
黒木芽依インタビュー(後編)
かつてロッテのエースとして活躍し「ジョニー」の愛称で親しまれた黒木知宏さんの長女である黒木芽依が、今年から芸能活動をスタートさせた。小さい頃から踊りが大好きで、3歳からクラシックバレエを始め、東海大浦安高を卒業後は日本女子体育大に入学。体育学部運動科学科で舞踊学を専攻し、踊り漬けの日々を過ごした。
【ビールの売り子で社会経験】
「体育大学でしたが、私の専攻はダンスが8割で、残りの2割でほかのスポーツ学科と体のことや栄養学などを学んでいました。バレエや、ジャズ、コンテンポラリー、エアロビといったいろんなダンスのジャンルが授業のカリキュラムに入っていたので、大学に通いながら、それが練習みたいにずっと踊っていましたね」
在学中にはダンスの傍ら、アルバイトで社会経験を積んだ。スマホで求人検索をしていたところ、ZOZOマリンスタジアムでビールの売り子を募集しているページを発見。迷わず応募し、2018年から4年間、ビールサーバーを背負いながら、スタンドを歩き回った。回の合間には、曲に合わせてキレキレダンスを披露したこともある。
「父からはけっこうな頻度で『今日は何杯売れた?』って聞かれました(笑)。私が中高生の頃は日本ハムのコーチで、売り子の時は解説をやっていたので、解説席から私が見えるということもよくあったようです」
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大学卒業後はアルバイトや一般企業に勤務するなかで、やはり踊りが好きだということを再確認。レッスンを重ねながら、かねてより憧れていたロッテの公式チアパフォーマー「M☆Splash!!(エムスプラッシュ)」のオーディションを受験した。
このとき、自身が「黒木知宏の娘」ということは明かさず、実力で約200人の応募のなかから合格9人の狭き門を突破した。
「ダンスの技術的には大幅には上がらないので、ほかの受験者との違いを見せるのにすごく苦労しました。M☆Splash!!は、何でも踊れるオールラウンダーではないと通用しないので、バレエ以外のダンスもかなり練習しました」
幼少期からさまざまなダンスを経験していたことがプラスに働いた。大一番での勝負強さも、ロッテ一筋13年の現役生活で通算76勝を挙げた父譲りだ。合格の瞬間も「すごく嬉しかったですけど、感極まって泣くようなことはありませんでした。父は喜んでいましたね」と笑顔で振り返る。
【愛されキャラ"ジョニ子"誕生】
そして2022年から、「MEI(めい)」名義で「M☆Splash!!」に加入。翌2023年には、父がロッテの投手コーチに就任し、ZOZOマリンスタジアムでまさかの「父娘共演」が実現した。
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「父からは冗談交じりで『芽依のほうが1年先輩だから、よろしくね』と言われました(笑)。2023年は一軍の投手コーチとしてベンチの担当をしていたので、試合中にあまり会う機会はありませんでしたが、昨年はブルペンの担当だったので、私たちがライトゲートから出て行く時に会うことが多くなりました。最初は距離感を保っていましたが、何か勝手にくだけた思いになったのか、最後の方は『娘たち、頑張れ〜!』と、全員が娘のような感覚で、親身になって応援してくれました」
父の愛称「ジョニー」になぞらえ、ファンからは「ジョニ子」と親しまれた。もちろん、「黒木知宏の娘」という肩書がついて回るのは「覚悟していた」という。それでも、圧倒的なダンスパフォーマンスや、スタジアム内でのファンサービスイベントを献身的にこなしていくうちに、いつしか「M☆Splash!!のMEIちゃん」というひとりのパフォーマーとして認められたことが「自分的には本当にうれしかった」と振り返る。
「M☆Splash!!では、プロとしての意識であったり、社会人としての視野の広がりを学ばせていただきました。ダンスチームではありますが、本当に多くのことを経験することができました」
ダンス以外にも、人前で話すことが「楽しい」と思う自分を発見することができた。イベントでのフリートークが「面白い」「聞き取りやすい」と評判になり、徐々にMCやリポーター業に興味を示すようになる。
「私の性格的に、長くやり過ぎると、たぶん辞められなくなっちゃうので、3年ぐらいをメドにしていました。もう1年やるかどうかも迷いましたが、次のことをやりたい気持ちが強いうちに辞めないと、もう辞められない気がして......スパッと決断しました」
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父に報告すると「だいぶ厳しめに言われた記憶があります」と苦笑いを浮かべる。これまで以上に「黒木知宏の娘」という肩書が「倍以上にくる」と忠告された。それでも最後は「自分が好きでやりたい仕事をやれているのだから、そのありがたみを感じて頑張りなさい」と背中を押されたという。
【MEIから黒木芽依へ】
そして昨年いっぱいで「M☆Splash!!」を卒業。年明けから芸能活動を本格化させた。2月にはロッテのキャンプ地である沖縄・石垣島を訪問。リポーターとして父を取材した。
「良くも悪くも、やりづらさはなかったです。関係上は父と娘なのですが、仕事上ではコーチとリポーターなので、いい意味で緊張感がありました。プロとして接してくれましたし、私がこの業界に入って初めてのお仕事が父だったので、それは本当によかったです。いろいろな人とのご縁があって、ダンスとは違うやりがいを感じています」
昨年までの「MEI」から、「個人でやるからには名字もすべてさらけだしてやってしまおう」と、本名の「黒木芽依」に戻して活動する。今後は、野球をメインにMCやリポーター業をこなしながら、特技の「ノーラン・ライアン投げ」で、始球式登板への準備も万端。得意のダンスを広める活動や女優業にも意欲を見せるなど、「魂のエンターテイナー」を目指して日々精進する。
最後に、黒木芽依にとって黒木知宏とはどんな存在か、訪ねてみた。
「いま生きている人物のなかで、一番尊敬している人です。言葉でも行動でも教えてみせてくれますし、どこをとっても、この人が言っていることに間違いはないなと思うので、本当にすごいなと思います」
憧れの父のように、ファンに感動を与える唯一無二の存在へ。黒木芽依の新たな挑戦は、まだ始まったばかりだ。
黒木芽依(くろき・めい)/1999年1月19日、千葉県出身。3歳からクラシックバレエを始め、ジャズダンスや舞台など、さまざまなジャンルのダンスに挑戦。高校時代は野球部の夏の大会のチアリーダーも経験した。2021年の「M☆Splash!!」オーディションを受験し、募集200名の中から合格者の9名に残った。22年3月のオープン戦でデビューし、24年12月に卒業。M☆Splash!!在籍時は、パフォーマーとしてだけではなく、イベントMCやダンスのインストラクターとしても活躍。今後はダンスや野球の普及活動を中心にさまざまなことに挑戦していく。父はロッテに13年間所属し、最多勝1回、最高勝率1回を受賞した黒木知宏氏