
大切な愛猫を亡くした時、癒えてくれない心の傷とはどう向き合えばいいのか。そのヒントを教えてくれるのは愛猫・杏子ちゃん(通称:きょんきょん)を3歳で亡くした、にゃめくじ号(赤)さん(@iihitsuji)だ。
【写真】生後7カ月だった姉妹 お迎え当初はソファーの下に引きもこっていました
白血病キャリアだった杏子ちゃんは、3歳の誕生日を迎える寸前に白血病が発症。抗がん剤治療を受け、リンパ腫と闘った。
心を開いてくれた愛猫に迫った“白血病”
杏子ちゃんは姉猫りんりんちゃんと共に、里親募集サイトに掲載されていた。2匹は、野良猫が産んだ子。お迎え当初、杏子ちゃんは人間を警戒し、りんりんちゃんと共にソファーの下に引きこもった。
だが、3日ほど経った頃、態度が変化。飼い主さんがソファーで本を読んでいると突然、膝の上へ。それまでは指一本触れられなかったのに、そっと座り、喉を鳴らし始めた。
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その後は、すっかり甘えん坊に。冬には、一緒の布団で眠るようになった。
「ただ、抱っこは苦手。抱き上げようとすると、飛び跳ねて拒否しました(笑)」
杏子ちゃんは白血病キャリアだったが、元気いっぱい。猫じゃらしで遊ぶのが大好きで、テンションが上がると関係ないところに駆けていくこともあった。
だが、3歳を目前にした2019年2月、異変が。顔を振るわせた時、唾液が飛ぶようになったのだ。
「今、思えば顔面麻痺の症状でした。2月末には、夜食を食べにこなくなりました」
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数日後、左目の瞳孔だけが開くようになり、動物病院へ。紹介された眼科を受診したが、原因は分からず。飼い主さんは、白血病の発症を疑った。
症状は段々悪化し、5kgあった体重は3.6kgに。トイレは自力で行くものの、寝室に引きこもるようになる。
3月末、眼科医から「眼球の奥に何かある」と言われ、専門病院へ。検査をすると、白血病が発症し、脳内にリンパ腫ができていることが分かった。
腫瘍は脳よりも大きく、抗がん剤治療の効果は五分五分。飼い主さんは悩んだが、抗がん治療に承諾した。
片道2時間かかる専門病院で受けた抗がん剤治療
入院して抗がん剤治療を受けたところ、腫瘍はほとんどCTに写らなくなった。面会時には、自分の足で歩く杏子ちゃんの姿があった。
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「でも、持参した猫じゃらしは見えておらず、同じ場所で何度もクルクルまわっていました」
専門病院は片道2時間ほどかかる距離だったが、飼い主さんは毎日、面会へ。これからの生活に不安を抱くこともあったが、抱き上げた時に抱っこを嫌がるなど変わらない杏子ちゃんの行動を見ると、「様子が違ってもやっぱりうちの子だ」と愛しくなった。
だが、入院から5日目、杏子ちゃんは急変。医師からは「家に連れ帰るなら今しかないが、自宅で発作を起こすかもしれないし、帰っても今晩が最期かもしれない」と言われた。
悩んだ結果、飼い主さんは自宅へ連れ帰る。姉のりんりんに会わせたい、少しでも安心させてあげたいと思ったからだ。
「帰宅後は、つきっきり。お気に入りの毛布に寝かせると、横になったままふみふみをしてくれた。好きな毛布がちゃんと分かったので、嬉しかったです」
仕事と愛猫の闘病の狭間で苦しんだ日々
翌日、杏子ちゃんは発作を起こした。飼い主さんは処方薬を与え、近くの病院へ駆け込んだが、そこではできることに限界あったため、大きな病院への再入院を依頼した。自宅で発作を起こしてひとりで旅立つより、病院で不安なく過ごしてほしいと思ったのだ。
「延命治療は不要なことを伝えると、最終的には安楽死を検討することもあると説明され、戸惑いました。でも、この日、散瞳したままだった瞳孔が動いたので、まだ大丈夫だと信じたくなりました」
命の危機に瀕している愛猫のそばにいたい。そう思いながらも働かなければならない日々は、苦しかった。平静を装うも、頭の中は杏子ちゃんでいっぱい。
「病院の方は毎日、きょんきょんの状態を連絡してくれました。仕事が忙しい時期だったので、週末には絶対に会いに行こうと思い、頑張って働いていました」
しかし、週末を目前にした金曜日。残り1時間で終業というタイミングで病院から、杏子ちゃんが危ないとの連絡が…。飼い主さんは延命が不要なことを伝え、「苦しくないようにだけしてあげてください」とお願いした後、泣きながら早退の手続きをし、病院へ向かった。
だが、到着時、杏子ちゃんはすでに天国へ。亡骸を見た時、“愛猫の死”が途端に現実味を帯び、涙が止まらなかった。
「リンパ腫が発覚してから10日後のことでした。一緒に暮らせたのは、たった2年半。発作を起こすことなく、静かに逝けたことだけが救いでした」
自責の念が消えず、ペットロスに苦しむ
杏子ちゃんの死後、飼い主さんは「治療を頑張らせたせいで別れの日が早まったのではないか」と自分を責めた。自身が医療職だったからこそ、初期の段階で異変に気づけていたら未来は変わったのかもしれないとも思ったそう。
ふとした時に感じるのは、「早くきょんきょんの病院に行かなきゃ」という焦燥感。まるで、病院に愛猫を忘れてきたような感覚だった。
準備していた遺影も死を認めることになると感じ、飾れず。曜日や日にちから“必死だった10日間”がフラッシュバックすることもあった。
「きょんきょんの検査を待っている時に見た桜が見事すぎて、満開の桜を見られなくなりました。通勤ルートに桜並木があり、どうしても道を変えられなかったので桜の時期は有給を使っていました」
骨壺のカバーに名前を書けたのは、死から1カ月以上経った頃。正直、書きたくなかったが、書かないと杏子ちゃんの居場所が決まらないような気がした。
心身共に限界になった飼い主さんは、心療内科へ。休職をし、1日中飲まず食わずで過ごすようになる。
そんな時、寄り添ってくれたのは姉猫のりんりんちゃん。りんりんちゃんは飼い主さんの心身の状態を察し、寝室から呼ぶなどし、「休んで」「寝て」と伝えてくれたそう。和ませたかったのか、杏子ちゃんの癖を真似することもあった。
「この頃の私は、りんりんのためだけに生きていました。りんりんがいたから、最低限の生活が維持できた」
4カ月後、飼い主さんは徐々に職場復帰し、フルタイムに戻りかけるも翌年1月に別のストレスも重なり、再び休職。その後、休職が長引いたため退職したが、逆に心は楽になった。
「闘病中やペットロス中に私が一番重いと感じたのは、仕事でした。辞めたら、誰にも迷惑かけないし、一生懸命元気にならなくていいと思えた。また働けばいいと思いながら趣味の時間を作ったり、身体を動かしたりしていたら生活に彩りが出てきました」
また、杏子ちゃんを診てくれた病院から貰ったお悔やみの花が心を埋めてくれたことから、月命日にはお花を買うように。杏子ちゃんのお花のためと思えば外出ができた。
そして、1年後の命日に飼い主さんは杏子ちゃんの遺影を飾ることができた。やはり涙は出たが、それを機に辛い姿だけでなく、楽しかった日々も思い出せるようになったという。
「日常生活を送るふりができるまでに3年、体力と気力が戻るのには4年かかりました」
焦らず、無理せず愛猫がいない現実を受け入れてほしい
当事者にとっては、カタカナ5文字で表せる問題ではないペットロス。向き合う中で大切なのは、「焦らないこと」と「無理をしないこと」と飼い主さんは語る。
「時間が解決するという単純な表現は受け入れがたかったのですが、嘘ではありませんでした。たくさん泣き、名前を呼んで一緒にいるような気分になったり、“いない現実”を突きつけられたりして、やっと消化できた。疲れたら、何日でも寝ていていい。休養を優先してほしい」
なお、飼い主さんは上司がペットロスに理解を示し、休職や復職の配慮をしてくれたことがありがたかったため、自分の経験を同僚に伝えることで精神的に辛い時、休みやすい環境を作っている。
「周りの理解って偉大だから、辛いことが起きたら休んでいいんだと知ってほしくて、経験を話しています」
近年はペットを亡くした飼い主へのケアに力を注ぐ動物病院が増えているが、一方でペットロを専門に診る機関はほぼない。動物も家族という意識が浸透してきているからこそ、ひとりで頑張らなくてもいいペットロスとの向き合い方が確立されていってほしい。
(愛玩動物飼養管理士・古川 諭香)