『あんぱん』第14回 「ズキューン!」な瞬間がないから、アオハルに乗れないのです

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2025年04月17日 17:01  サイゾーオンライン

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今田美桜(写真:サイゾー)

 うーん、さりとて不快ではないんだよな。展開としておかしなところは散見されるどころか大筋としておかしいと思うんだけど、不快ではない。基本、良心的に作られていると思います、NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』。

『あんぱん』今田美桜がよくなってきた

 今週は「なんのために生まれて」ということで、木曜日である今日、嵩くん(北村匠海)がとにかくジェラスィーに胸を痛めていることがよくわかりました。

 愛しののぶちゃん(今田美桜)が中尉に憧れのまなざしを向ければモヤモヤ、「千尋くんに会うたらちゃんと言わんといかんことがある」と聞かされたらウジウジ、なんすか、アオハルすか、ちょっと「淡い」通り越して「ヌルい」んですけど。

 要するに、嵩がのぶを好きになった瞬間がないんだよな。だからジェラスィーにリアリティーがない。

 好きになった瞬間がなくても、2人でいてすげえ楽しかった時間があって、そのときはそれが恋だとは気づかなかったけれど、のぶが中尉や千尋とコンタクトしているのを見てなぜだか胸が痛む、それがジェラスィーだと気づいて、自分がのぶのことを好きだったことに気付く。その気づきの瞬間でもいい、嵩にとって「のぶが好き」という気持ちを自覚することは人生最大の大事件であるはずで、その自覚のズキューンというインパクトを嵩に受け止めさせていないから、なんかこの恋心そのものがヌルっとしちゃってる。風景としてはとことんアオハルなのに、こっちからしたら「知らんがな」が勝ってしまう。

 そういうことが起こっていたような気がします。第14回、振り返りましょう。

カッちゃんやっぱ装置だったか

 突然現れたときから嫌な予感はしていましたが、カッちゃん中尉はやっぱりのぶに展開を与えるためだけの装置でしたね。主人公の住む町に、主人公に都合のいい「パン食い競争」という設定をもたらし、物語を前に進めるためのラジオをもたらし、役割を終えたらさっさと消えていく。実に便利に、海軍中尉というカリスマが消費されていきました。

 だいたいさ、なんで誰も見送りにきてないのよ。この町が生んだスーパースターでしょう。鶴の一声で町長に高額商品のラジオを用意させるくらいの立場なのでしょう。出征じゃなくて休暇の終わりだとしても、役場の人間総出で見送るくらいあっていいと思うんだよな。しばらく帰ってこないわけだし。

 こういう、中尉という人物の持っている「能力」と「扱い」のアンバランスを見るにつけ、ああ単なる装置だったなと思ってしまうわけです。

 その中尉の最後の役割として、のぶに「あのとき助けたのは千尋だ」と教えるというものがありました。レース中に突き飛ばされて、倒れそうになったところを千尋が助けていた。あのスローモーションはそういう意味だったんだね。ちゃんと見てなかったので今日までわからんかった。

 そんで、夜な夜な思い悩むほど「助けてくれたのは誰?」と考えているくらいなら、1位でゴールした瞬間に「誰!? さっき助けてくれたのは誰なの!?」があっていいと思うんですよ。

 このレースにおけるのぶの勝因というものを考えたとき、のぶがレース直後に助けた手に意識を払わなかったことで、私たちは「のぶは誰よりも足が速いから」と受け取ってしまっている。

 実際には、千尋の助けがなければのぶはコケて敗退していた。事実関係としてそういうことなら「このラジオをもらうべきは私ではない、私を助けてくれた誰かである」と考えるのが人の良心というものだと思うんだけど、あっさりラジオは受け取っておいて「私が勝ったのは誰かのおかげ」と思い悩んでいる時点で、ちょっとのぶちゃんを信用できなくなってしまうのよ。結果、助けた人である千尋がラジオゲットしたことで事なきを得ているけど、そんなのはドラマが作為的に用意した偶然でしかない。

 あと、シンプルに「突き飛ばされて、助けられて勝った」という筋そのものがハチキンらしくないというのもある。

 昨日、のぶが先生になりたいという夢を抱く動機付けについてもその具体像のなさに疑問を述べましたが、総じて、パン食い競争からここまでの展開はあんまりうまくいっていなかったという印象でした。

ブレるヤムおじ

 ヤムおじ(阿部サダヲ)も便利に使われ始めたな、と思いました。

 嵩の賞金をくすねようとするムーブはいいとしても、3姉妹を海辺に連れ出し、そこに嵩&千尋を呼び出すという一連になんの必然性もない。自転車のヤムおじと徒歩の3姉妹が大量のパンを配達に行ったという風景が全然見えてこない。

 極めつけが、のぶの「たまにはうちでごはん食べたら?」というセリフです。こいつ住み込みじゃなかったの? いつから別居してんの? そんで早朝に毎日出勤してんの? 「この町に8年も居付く」というフーテンにあるまじき選択をさせておいて、ここでまたフーテンであるという主張をされてしまうと、ファンタジックな妖精でもなければ堅実なパン職人でもない、つまりは彼もまた物語を都合よく進めるだけの装置と化してしまいます、ということです。

フリを作るにもフリが効いてない兄弟

 嵩と千尋が海辺で相撲を取るシーン。単体としては実に美しいものです。一度負けてあげる千尋も健気でいいよね。

 でも、この兄弟の関係性におけるもっとも重要な謎、千尋が母ちゃまをどれだけ認識していたかを幼少期パートに取り残しているせいで、2人の絆の形が見えてこない。千尋は嵩を「兄貴」と呼んでいるし、良好な関係であることは疑いようがないのだけれど、これも瞬間がないんだよな。2人がこうなった瞬間がない。せっかく美しいシーンなのに、フリが効いてないから「あの2人が今ではこんないい関係に!」の「今では」が意味を持たない。

 このシーン、たぶん戦争とのコントラストになってくる重要な場面だと思うんですよね。悲惨な戦争で視聴者から涙を搾り取るためのフリになるシーンなんだと思うわけです。だからこそ、がっつり感情移入したかったところでした。

 と、今日も文句ばかりですが全然悪くないのよ。悪くないだけに要求が厳しくなってるだけで、楽しんで見ていることは間違いない。蘭子(河合優実)とメイコ(原菜乃華)の存在感もすごくいいし、母ちゃま(松嶋菜々子)のご帰還も展開への興味をそそります。

 明日は久しぶりに母と再会した嵩こと北村匠海のお芝居に注目ですな。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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