「ずっと後ろめたさがあった」芸歴30年のふかわりょう(50)がR-1グランプリに初挑戦した理由。「準決勝は吐きそうでした」

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2025年04月18日 09:01  日刊SPA!

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ふかわりょう
慶應大学在学中の20歳でお笑い芸人として芸能界デビューを果たし、あるあるネタ「小心者克服講座」で瞬く間にブレークしたふかわりょう。
デビュー30周年を迎えた昨年8月には、『R-1グランプリ』への初出場を表明したことが話題に。惜しくも準決勝敗退となってしまったが、新たに作ったネタで会場を大いに沸かせていた。

また、音楽活動では「ROCKETMAN」名義で元「ピチカート・ファイヴ」の小西康陽、女優・のんとコラボした最新配信シングル『no worries』をリリースするなど、多方面で精力的な活動を続けている。

初めて『R-1グランプリ』に挑戦した理由、準決勝でネタを披露した後の率直な心境、コラボ新曲に込めた思いを聞いた。

◆ネタをしていない後ろめたさを感じていた

――芸能生活30周年・50歳という節目に、ピン芸人ナンバー1を決める「R-1グランプリ」への挑戦を決意した理由は?

ふかわりょう(以下、ふかわ):もちろん『R-1グランプリ』という大会の存在自体は知っていたんですけど、それまではあんまり強い関心を持っていなかったんです。

ただ、50歳で芸能生活30周年を迎えたタイミングで、目の前にある島にちょっと行ってみようかな、立ち寄ることがなかった場所に行ってみようかなという心情になりました。

その心情を作った一つとしては、お笑いライブでの下積みから割と早めに退いてしまったことへの後ろめたさですね。

20歳でこの世界に飛び込んだときからテレビへの憧れが強くて、テレビをメインで活動したいと思っていて、その結果テレビの世界にスムーズに入ることができたので。

――メディアで活躍してきた期間に、ネタをもう一度やろうと思ったことは?

ふかわ:いわゆるネタという形ではなくエッセイを書くとか、ラジオで話すとか、テレビで話すとか、そういうところで表現していました。別の受け皿に乗せていた感じです。

なので、それまではネタをしていない後ろめたさを見て見ぬふりすることができていたのですが、30年経ってもそれが頭に残っていたので、純粋にネタをやることを久しぶりにやってみようという気持ちになったんです。

◆芸能生活30周年の誕生日に出場表明

――知名度もあるふかわさんが出場することに対して、若手や中堅芸人にどう思われるかなどは考えたりしましたか?

ふかわ:いや、それに関しては全くなかったです。どっちも良し悪しがあるので。

知られていないほうがアドバンテージになる場合もあるし、むしろ彼らはお笑いライブを現役でやっているので筋肉も備わっている。逆に、僕はしっかりリハビリしないとダメな状況だったので。芸歴制限が無くなった以上は、有名無名は関係ない戦いになるだろうと思っていました。

――Xで出場表明を投稿したのはなぜでしょうか?

ふかわ:30周年だった僕の誕生日に、ここからの1年間をある種のアニバーサリーイヤー的な感じで少し打ち上げられたらという思いからですね。

――出場を表明したことで周囲からの反響は?

ふかわ:参加表明したことによって取材を受けたりSNSで広まったりもして、応援メッセージや、周囲の方からもお言葉をいただいたりしましたね。

これまであまり会う機会がなかった人との対談する機会も増えました。「聞く耳を持ってもらえた」という実感がありましたね。

◆若手のお笑いライブにも参加しネタ作り

――予選出場するにあたって、お笑いライブなどにも積極的に参加されていたそうですね。

ふかわ:昨年の夏前ぐらいから若手のお笑いライブに参加させてもらっていました。

――新ネタ作りで変えたこと、意識したことは?

ふかわ:先ほど話したようにテレビへの憧れが強かった分、20代のころのネタ作りはテレビに出るためにテレビ向けのネタを作る作業だったんですけど、『R-1グランプリ』という大会では、純粋に4分間で何が表現できるだろうかという、割と下心のないネタ作りができました。新鮮でしたし、気持ちよく向き合えました。

――ネタ作りはご自身一人で行なっているのでしょうか?

ふかわ:そうですね。デビュー当時から一人でネタは作っています。そのスタイルはずっと変わっていないです。

◆一番信用できるのは観客の笑い声

――舞台でネタを披露してみて感じたことは?

ふかわ:基本的にはやっぱり一番信用できるのってお客さんの笑い声なんですよ。どっちのネタが面白いかを放送作家さんに聞いたところでその人の主観なので。

もちろん客観性を持った視点ではあるんですけど、特に僕がやるようなモノってお客さんの笑い声しか信用できない。

それに、ステージとお客さんという、絶対的な関係値の中で生まれる笑い声は本質的に違うと思っているんです。それを浴びたのはすごく貴重だったし、これからも浴びていたいなとは感じました。すごく価値のある時間だったと思っています。

◆1回戦から準決勝まですべてネタを変えた理由

――1回戦から準々決勝、準決勝まですべてネタを変えたそうですが、意図があったのでしょうか?

ふかわ:意図というより自己満足ですね。おおげさに言うと、自分の中での美学のようなものになりますかね。

――準決勝のネタを拝見したのですが、これまでの「あるある」に加えて社会風刺的なことも織り交ぜていたのが印象的でした。新しい角度の笑いを入れようという意識は?

ふかわ:いろんな感じ方があると思うので風刺と捉える人もいるでしょうが、そういう意図や考えはなかったです。

あのネタは「公園で子供に諭すようなちょっとヤバいおじさんっていたよね」という発想からできたもので、自分の中の面白いものをやりたいと思っただけです。

何か新しいことをやろうとか、人と違うことをしようではなくて、今僕が面白いと思うことを表現できる範囲内でやろうとした。それ以外にはなかったです。

◆「準決勝は吐きそうだった」 それでも終了後は充足感に

――予選からネタを披露していく中で、恐怖や緊張感は生まれなかったですか?

ふかわ:出場していたライブや準々決勝までは基本的に怖さは感じなかったです。それよりもお客さんの反応とか、こう言ったほうが伝わるなということを冷静に見られていました。

ただ準決勝は本当に吐きそうでした。ここを超えないと決勝に行けないという独特の緊張感、どの芸人もウケているという状況だったので……。

ネタを終えた後は頭のどこかに「通過した」という意識はありましたが、合格者発表で自分の番号が呼ばれなかったときは、なんとも言えないやりきれない気持ちになりましたね。

その日は悔しくて眠れないかなと思いましたが、ぐっすり眠ることができました。その日までに経験したことに対する充足感のほうが大きかったです。

◆ふかわりょうが思うピン芸人の魅力

――今回『R-1グランプリ』に初出場されてみて、改めてピン芸人について感じたことは?

ふかわ:ピン芸人は基本的には孤独な職業ですけど、だからこそ奇想天外なネタも生まれやすい。

全てではないですが、ピン芸はツッコミがないスタイルが多いので、そういう笑いの表現は広がるといいなと思いましたし、もっと型破りなモノが出てきてほしいなとは感じました。

◆SNSで来年の『R-1グランプリ』出場を表明

――決勝終了後にXで来年の出場も表明されていましたが、その決意に至ったのは?

ふかわ:性格的に多分やるだろうなと思ったから、言うとしたらその日が一番いいだろうなと思ったからです。

――準決勝敗退の悔しさから投稿したものだと勝手に思っていました。

ふかわ:いえ。充足感が上回っていたので、その時点では悔しさはゼロに近かったです。

――地方でのお笑いライブにも行かれていますが、そこで来年の『R-1グランプリ』のネタを磨いていくイメージなんでしょうか?

ふかわ:どちらかというと、僕がネタをやることを驚かれず、自然に認識されている状況になればいいと思っていて、その先に来年の『R-1グランプリ』があるぐらいです。

今年出場したときはさながら鉢巻をした受験生のようだったので、ふかわりょうがお笑いライブでネタをやっていても「どうして?」と思われない状況になることを願っています。

◆30周年記念でリリースする『no worries』に込めた思い

――音楽活動も30周年ということで小西康陽さん、のんさんとコラボした楽曲『no worries』も配信されました。ふかわさんにとって音楽活動はどういう存在なのでしょうか?

ふかわ:単純に好きなことをやっているだけです。お笑いに関してもそうですけど、基本的には好きなことを続けているだけです。

30周年でリリースしたこの楽曲は、打ち上げるという意味で最初にタッグを組んでくださった小西さんとまたやれたらなという思いからです。

――のんさんとコラボしたいきさつは?

ふかわ:まず曲を作ったときに、この曲はのんさんに歌ってほしいなと思ったんですよね。不安の多い世の中、先の見えない世の中で『no worries』という楽曲のメッセージを世の中に届けるのにふさわしい人だなと。

のんさんも彼女なりに人生の起伏をきっと感じていて、それでも前向きに進んできただろうなと、僕が勝手に想像してオファーしました。

――実際にレコーディングされた楽曲を聴いてみていかがでしたか?

ふかわ:改めてお願いして良かったなと思いました。のんさん自身も音楽活動をされていますけど、今回は僕の世界にちゃんと乗っかってくれた。そこは俳優としてのマインドもあったのかもしれないですけど、普段の音楽活動とは違う表現をしてくれた気がします。

――ネタ作りと音楽を作ることで似ている点はあると感じていますか?

ふかわ:僕は全て音楽だと思っています。曲を作るのはもちろんですけど、文章を書くこと、ネタを作るのも音楽的なリズムを大事にしていますね。

◆やりたいことをしているだけで「多彩ではない」

――お笑い、タレント活動、音楽、文筆業など多彩な活動をやられていますが、後悔した仕事や趣味はあるのでしょうか?

ふかわ:自分が魅力的じゃないと思うことはやらないので、あまり後悔はないですかね。芸能界に入った当時は、周りがゴルフにハマっていたんですけど、僕は行かなかったです。

そもそも関心があること、ないことの差が激しいタイプなので、マルチな活動をしていると言っていただけますがそんなつもりもなくて……。ただ、自分の好きなことをやっているだけですね。

――50代を迎えられて新たに取り組んでみたいことは?

ふかわ:まずはお笑いライブでネタをやっていくことですね。あとは変わらずやりたいことをやっていけたらと思います。

【ふかわりょう】
‘74年、神奈川県生まれ。慶應大学在学中の‘94年8月にデビューし、長髪に白いヘアバンドの独特な装いでエアロビクスのリズムに乗ってつぶやく一言ネタシリーズ「小心者克服講座」でブレーク。‘00年に始まった『内村プロデュース』(テレビ朝日系)では初期からレギュラーを務め、リアクション芸人として新境地を開拓。『5時に夢中!』『バラいろダンディ』(ともにTOKYO MX)ではMCを務め、その手腕を発揮する。DJ ROCKETMANとして音楽活動を精力的に行うほか、「世の中と足並みがそろわない」「ひとりで生きると決めたんだ」「いいひと、辞めました」(ともに新潮社)などの著書がある。

<取材・文/瀬戸大希、撮影/星亘>

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