金萬福さんお笑いファンからすると、『ASAYAN』ではなく『浅ヤン』である。あのテリー伊藤が総合演出を務め、92〜96年に放送されたバラエティ番組『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)は今なお語り継がれる伝説だ。
数々の名企画が生み落とされた同番組だが、なかでも「中華大戦争シリーズ」を忘れられない人は多いと思う。このシリーズで一気にスターダムを駆け上ったのが、金萬福だった。新横浜プリンスホテルの料理長という役職ながら、火を吹くわ、相撲部屋でぶつかり稽古をするわ、クレーンに吊るされながら20メートルもの長さの中華麺を茹でるわ……。
そんな彼も、今や御年70歳。ここでひとつ、今までの半生を振り返っていただきたくインタビューを申し込んでみた。日本に来たきっかけ、『浅ヤン』出演の経緯、地獄のようなロケを完遂した心境……などなど、盛りだくさんの内容になっている。読めば、“あの時代”の空気が蘇ってくること請け合いだ。
◆来日した経緯は「周富徳さんに誘われて」
――どういうきっかけで、日本に来たのでしょうか?
金萬福(以下、金):香港で仕事してたら、「日本で料理の仕事をしないか」と周(富徳)さんが誘ってきたの。彼は横浜の中華街生まれでずっと日本で仕事してたんだけど、材料を買いに年6〜7回くらい香港に来るんです。そのときに毎回会ってて、一緒に食事して。いつも、「日本に仕事しにきてください」と言ってきた。それを毎回断っちゃって。
それで、僕は日本じゃなくてアメリカのサンフランシスコで仕事が決まったから、4〜5人の弟子を連れて行こうと思ったんです。でも行くと、店の建物の建設が半年くらい遅れてまだできてなかった。「建物ができるのは予定より半年くらい遅れると思う。完成まで金さんが待っていてくれてたら嬉しいけど、もしも待てなくてほかに仕事があるようなら、そっちに行ってもらってもかまいません」って。だから、僕は弟子を1人連れて日本に行ったんです。
――建物のでき上がりが遅れたから、周さんの誘いに乗って日本に来たと。
金:そう。そのときも「日本はどうですか?」と周さんが誘ってきてたし、僕もアメリカの仕事を断っちゃったから「日本に行きま〜す」という流れね。
その後、日本で仕事して2年目くらいね。僕が新横浜プリンスホテルで料理長の仕事をしてたら、周さんが「こういう番組があるから、出ますか?」って。僕も料理人だから、やっぱりテレビに出たいじゃん。なかなか、料理人がテレビ出ることってないからね。僕は「ああ、出ます出ます」って。
――それが、あの『浅ヤン』だったと。
金:周さんは、僕よりも少し早めに『浅ヤン』に出てたんですよ。本当は、周さんと最初から一緒に出てほしいと言われたけど、僕のスケジュールが合わなかった。
◆ディレクターが金萬福に大興奮「この人、この人!」
――実際は、最初の料理人として周さんが登場し、次に譚彦彬(たん ひこあき)さんが出て、3人目が金さんでした。金さんの出演が決まったのは、名前がおもしろいのが決め手だったという話を聞いたことがあります。「金萬福」の「まんぷく」は、日本語で「満腹」。もう、そのまんまですから(笑)。
金:香港でも「萬福」って、「お腹いっぱい」とか「幸せ」とかだいたい日本と同じ意味ね。
――同じなんですか!
金:テレビに出るとき、スタッフがテストで僕のことを1回見たんです。当時、周さんがいたお店「赤坂璃宮」で、ディレクターの高須さん(『浅ヤン』のディレクターだった高須信行氏)に「なにか、得意なことをやってください」って言われて。高須さんは「この人はなにが得意なのか?」が知りたかった。その得意なことで、オープニング映像を撮りたいじゃん。
そこで僕は食材を切ったり、鍋からファイヤーを出したり、いろいろやったら、高須さんが「これこれこれ! この人!!」って興奮してた。彼の気持ちとしては、僕みたいなイメージの人を探していたみたいです。
――ものすごい火を立たせながら料理している金さんの姿を見て、高須さんは「この人、この人!!」と興奮したわけですね。
◆命をかけてでも『浅ヤン』のロケをやりたかった
――新横浜プリンスホテルの料理長という役職にいた金さんが、番組ではありえないほど過激な企画ばかりやらされました。今から振り返って、「こんなことをやらせやがって」と思うことはないですか?
金:そのときはディレクターとか作家が「金さん、今度こういう撮影あるけど、とうですか?」って、聞いてくるんです。僕は「あ、いいねえ。なんでもやるから」と言ってた。僕も「あ、これはやりたいな」「おもしろいな」という気持ち。大変だけど、命をかけてでもやりたいという気持ちがありました。
――命をかけてでも!
金:うん、そのときはね。30代後半で、まだ若かったから。
――だって、料理人なのに初登場シーンがたいまつの火を吹く姿でしたからね(笑)。
金:ガソリンを口に入れて、火を持って吹く。あれ、危ないですよぉ。すっごい危なかった。僕、やったことないから。
――火吹きはぶっつけ本番だった(笑)。
金:そう。連続で吹いて吹いて、5回くらい! 後からみんなが「やめたほうがいいって、絶対! 危ないよ」って言ってきて。向かい風だったら、火がこっち来るかもしれないじゃん。「燃えちゃうよー」って言われたけど。
オープニングの撮影は30分かかっちゃうんですよ。口にガソリンがいっぱい入ったまま、30分間そのままいるって大変じゃないですか。気持ち悪くて、あのときは吐いちゃった。30分できないね。少し、喉に入ったですよ。大変! その後、2日間ずーっと口の中がカソリンのにおいが残ってた。あのにおい、めっちゃめちゃ強い。消えないよ。
◆ジャッキー・チェンと「同じことをやったらおもしろいかな」
――なんで、プリンスホテルの料理長がそんなことをやってるのか? というのがおもしろいですね(笑)。それ以降、『浅ヤン』における金さんの出番はドンドン増えていきました。キャラがおもしろいのはもちろん、金さんに体力があったことが重宝される理由だったと聞いたことがあります。
金:あのときは体力あるよ。逆に、周さんたちはできないじゃないですか?
――周さん、体がヒョロヒョロですからね(笑)。
金:僕、運動大好きだから。もともと、スポーツ系だから。
――ジャッキー・チェンみたいなことをいっぱいやってましたよね。
金:やってました、同じこと。高須さんが「これをやりたい」ってジャッキーがやってたことを絵コンテで描いて、「金さん、できますか?」「OK、OK。やります!」って。僕、もともとジャッキーの映画を見てるから「同じことをやったらおもしろいかな」って、やってみたい気持ちもあるですよ。
――ロープで木に逆さ吊りになって、逆さまになったままキャベツの千切りをしてましたね(笑)。
金:あれ、大変ですよ。ずっと揺れてるじゃないですか? 浅草キッドもわざと揺らして、本当に危ないですよ(笑)。
◆世界最長の麺をつくる企画は「ほとんど拷問」
――数あるロケのなかでも伝説が、「世界一長いラーメンをつくる」でした。クレーンでものすごい高さの海上に吊るされた金さんが、世界最長の麺をつくる企画です(笑)。
金:あれも、危ない! 危ないよ〜、あれ。クレーンで30メートルくらいの高さあるんじゃない?
――ほとんど拷問ですよね(笑)。
金:海の上から下を見ると、人間が本当にちっちゃい蟻みたい。その日は朝が早いし、千葉の海のロケで夜までずっとやってるんですよ!
――『浅ヤン』のDVDを見返すと、オープニングでは金さんも元気があって周りの日も明るいんです。だけど、5分ぐらい経つと辺りが真っ暗になって、あきらかに金さんの元気がなくなっていくんですよね(笑)。
金:当たり前よ。ずーっとクレーンで吊るされて、くるくる回ってるからめまいして。それで“バーン!”って海に叩きつけられて、水のなかに入るじゃないですか。海が寒いのよ! 春の千葉は風も結構強いしさ。
◆「もう1回、浅ヤンをやろう」の呼びかけに「絶対、いや!」
――ところで、あんな長いラーメンって本当につくれるんですか?
金:一応、最初は本物をつくったですよ。でも、麺を持ったらちぎれちゃうじゃない? だから、外は麺だけど中にホースが入ってるんです。
――ホースに麺を巻いて、あたかも完成したように見せたんですね。
金:そうそう。本物の麺を手に持ってぶら下げるとちぎれちゃうじゃん。それで考えて、ホースを入れて麺を外側に巻いた。そうじゃないと、ああいう感じにできないよ(笑)。
――高所に吊るされた金さんが、麺を持ってぶらぶらさせてましたからね(笑)。あのロケが本当につらくて、番組終了後に水道橋博士が「もう1回、『浅ヤン』の特番をやろうよ」と言っても、金さんは「絶対、いや!」「高須は絶対いや!」と、ディレクターを名指ししながら嫌がったと聞きました(笑)。
金:ハハハハハ! 今はそうでもないけど、そのときはね(笑)。厳しいもん、高須さん。
――高須さんのロケは伝説です。ロケの時間は長いわ、スタッフへの当たりは強いわ(笑)。
金:時間も長いし、やることが彼は厳しいですよ。やりたいことができなかったら、ADさんとかタレントさんに彼はいろいろやっちゃうかな(笑)。ハハハハハ! 今はダメねえ。昔のADさんは本当に大変だったけどねえ。
◆“超人”江頭2:50でさえできなかったことに成功
――あと、中華鍋で水上スキーを滑らされていましたね(笑)。
金:あれも本当に死んじゃうかと思った。『浅ヤン』のロケでキツかったのは、「世界一長いラーメンをつくろう」と、3月に河口湖でやった水上スキー。3時間ずーっとやってるんですよ。さ〜むい! 氷水よ、鳥肌!
――水上スキーで、金さんは中華鍋の上に立ったじゃないですか。よく立てましたね!
金:3回やって、成功して立てたですよ。僕、そのときは「なんでもやりたい!」って気持ちがすごい強いですよ。めっちゃめちゃ気持ち強かった。
――一方、江頭2:50さんは中華鍋に立てなかったという話も聞きました
金:全然、立てない。エガちゃんは河口湖じゃなくてグアムで水上スキーをやって、全然できなかった。20回ぐらいやって1回も立てなかったよ。
――僕らのなかで江頭さんは“超人”というイメージがあるから、なんでもできそうな気がしたんですけど……。
金:「絶対、できそう」と思うよね? でも、彼できなかった。「悔しい、悔しい」って、ずーっと言ってた。「1回も立てないよー、悔しい!」って。オンエアではエガちゃん、全部カットされてたね。そのグアムロケのエガちゃんのオンエアは1分もないよ。
――何回チャレンジしてもダメだったから、全カット! 江頭さんも悔しかったでしょうねえ。
金:でも、できなかったからしょうがないよねえ。もう一つ大変だった企画は、新潟のスキー場にエガちゃんと一緒に行ったです。そこで、スキーのストックの代わりに弁当箱を持たされて。
――なんで、弁当箱で滑るんでしょうね(笑)。
金:テレビで見ると1回しか滑っていないけど、実際はたぶん20回以上滑ったですよ。僕も江頭さんも、2人ともスキーは初めて! 一番上からなんにも持たないでずーっと滑って。
――死んじゃいますよ(笑)。
金:うん、そうだね(あっさり)。あのロケで、僕は手を怪我したですよ。湿布を貼られて1週間くらい仕事できなかったです。
◆藤原喜明にぶん殴られたことも…
――あと、酔っ払った藤原喜明さんに殴られたという話も聞きました(笑)。
金:それは本当。一発! 僕の顔は腫れたですよ。
――どういう企画だったんですか?
金:テリー伊藤さんが監督の催眠術のロケですよ。テリーさんに「1リットルの水を藤原組長の頭にかけてください」って言われて、かけたら組長が怒って。
彼ねえ、ポケットにウイスキーが2本入っててロケ中にずっと飲むんですよ。だから酔っ払ってて、たぶんそういう台本だとわかってないと思うんですよ。だから、「なんで水かけるんだ!」と怒って、バーン! と一発パンチを受けたよ。
――金さんが催眠術にかかっているから藤原さんに水をかけてしまう……という台本だったんですね。
金:そうそう、そういう企画ね。僕が催眠術にかかって、催眠術の先生が「お水をかけて」と言って……まあ、先生じゃなくて実際はテリーさん。それで顔が腫れて、翌日はテレビのスタジオ収録があったけど出られないから、しょうがなく行かなかった(笑)。
◆周りの料理人からはやきもちを焼かれた
――聞けば聞くほど、ありえない企画ばかりですね(笑)。
金:いやあー、大変でした。毎回毎回、命かけて。ほかの芸人さんやタレントはたぶん無理。裏で「やりたいくない」って言っている芸人もいっぱいいました。「そんなに危ないんだったら、もうやりたくないよ」って。ロケも長くて、26〜28時間ぐらいのときもあった。ありえないよ、そんなこと(笑)。
――超一流の料理人が、なんでこんなことをやってるんだっていう(笑)。でも、金さんは「やりたい!」という気持ちで出演し続けていた?
金:はい。そうじゃないと、たぶんできないね。
――浅草キッドが、「金さんは香港映画をたくさん見ていたからコメディへの理解があった」とも言っていました。
金:いや、半分半分ね。理解できていることは半分あるけど、ワケわからないのが半分ですよ(笑)。でも、当時は料理人でテレビに出ることってなかなかないですよ。だから、気持ちとしてはめちゃめちゃ出たかったです。最初はずっとじゃなくて2〜3回くらいで終わりかな? と思った。でも、1回出たらずーっと続いて嬉しかったね。あの頃、僕の友だちの料理人でテレビに出たい人は結構いたんですよ。だから、やきもちとかいーっぱい焼かれた。
――ああいう危ないことをやってでもテレビに出たい料理人が、周りにはいたんですね。
金:やっぱり、いるね。
<取材・文/寺西ジャジューカ>