
日本ではまだ、「悪い人が裁かれるもの」「怖いところ」という認識が一般的なのが、裁判や裁判所。世界中を周遊し、専門家の立場からさまざまな裁判を直接見てきたのが、弁護士の原口さんだ。和やかな青空裁判から、リアリティーショーさながらにテレビで公開されている国まで、実にさまざま。来たる5月3日は憲法記念日。裁判を身近に感じ、法律の意義を考え直してみては?
長老たちが裁判官より偉いといわれているような地域も
2024年、『ぶらり世界裁判放浪記』(幻冬舎)を出版した、東大卒の弁護士、原口侑子さん。131か国を周遊しながら各国の裁判所を訪れ、歴史や文化、日本の司法制度との比較など気づいたことを書き記した。
現在はロンドンを拠点に、一般企業の法務の仕事をしながら、社会・文化の視点から法制度を研究する「法人類学」という分野でアフリカと日本の比較研究をしている。
原口さんはどのような経緯で日本を飛び出し、世界での裁判傍聴を始めたのだろうか。
「東京で弁護士として何年か働いた後、しばらくは弁護士業を離れていました。忙しすぎる日本での仕事から逃れ、最初の2年は貯金を使いながら世界を旅していたのです。旅の中で裁判を傍聴する機会があり、訪れた国々の裁判所を見学するようになりました。
その後、弁護士として復帰しましたが、東京での仕事をメインにせず、海外での法律調査の仕事を受けながら旅を続け、裁判を傍聴してきました」
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なかでもアフリカでの裁判は興味深いものがあった。
「正式な裁判所とは別に、村の長老や首長といった人たちによる裁判に似た仕組みがあり、白黒をつけずに和解しましょう、仲良くやっていきましょうといった文化を持っている国が多いのです。
植民地として支配されたことで西洋型の裁判制度が入ってきたものの、昔ながらの方法でトラブルを解決していく仕組みが残っていて、長老たちが裁判官より偉いといわれているような地域もありました。たくさんの法律や人を裁くシステムがある中で、当事者たちに悔恨が残らないよう、長老や裁判官たちがバランスを取ってトラブルに向き合っているのが面白かったです」
実は、日本の司法もアフリカと似ている部分があるという。
裁判所のイメージも国によって異なる
「日本は明治時代にドイツやフランスなど西洋型の法律の仕組みを取り入れて、今の憲法はアメリカの影響を受けています。西洋式の法律の概念はすごく個人主義的で、そこには収まらない考え方が日本にはあると思っています。
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いい意味でも悪い意味でも社会の安定を大事にするため、一人ひとりの声がかき消されるといった面があるのです。アフリカも個人の概念より、民族やコミュニティー、地域社会をどうやってこれからも長く続けていくかというようなことにすごく価値が置かれていて、日本と似ている部分を感じます」
アフリカ南部のマラウイでは青空裁判が行われていたのも印象的だった。
「あずまやのようなスペースの中で、周りは子どもたちが駆け回っていて騒がしい中、窃盗事件の裁判が行われていたのです。日本の法廷では私語禁止でシーンとしていますし、傍聴する人にも厳格なルールが定められているので、裁判所のイメージも国によって異なりますよね」
一方、アフリカでは裁判官も、長老や首長も男性が多いため、例えば女性の性被害が申告しづらいという状況もある。そんな中で、女性の裁判官も増えてきた。
「ケニアの最高裁裁判官にもなったレイディ・ジャスティスは、まだ女性議員が少なかった時代に、性犯罪法の成立と育休制度の確立に尽力した国会議員でした。ケニアでは2003年まで、香水やコスメと同じぜいたく品とみなされて、生理用品に税金が課されていました。
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そのため、生理用品を買う経済的余裕のない女子学生が生理の期間中に学校に行けず、ドロップアウトすることが社会問題になっていたのです。その税金の廃止に向けて動いたのが彼女でした。
議員としても裁判官としても『女性だからこうしなければいけない』とわきまえないで仕事をすることで、女性裁判官という肩書から『女性』が外れ、『裁判官』になっていったのだと思います」
南米でも裁判を傍聴した原口さん。ブラジルでは裁判の数がべらぼうに多く、裁判の審理がテレビで公開されているという。
「これだけ頻繁に裁判を目にすると、裁判が身近なものになり、裁判所という場所への恐怖が薄れるという面があると思います。日本はそもそも裁判所へ行ったことがない人のほうが圧倒的に多いですし、裁判所=怖いところというイメージが強いですよね。
本来は裁判と生活はつながっているのですが、日本はそこがすごく離れているように感じます。とはいえフランスのパリで裁判所に行ったときは、建物があまりに重厚すぎて、私も気後れしました」
植民地だった国では、裁判官がカツラを着用する風習が残っているケースも。
「昔、イギリスでは裁判官がカツラをかぶっていたのですが、今はほぼ廃止されたのに対し、旧イギリス植民地だったフィジーやウガンダでは、植民地時代の名残で、裁判官のカツラが権威を示すものとして残っているんです」
各国で裁判を見てきた原口さんだが、すんなり入れない国や断られた国もあった。
世界の裁判を傍聴したことで日本の司法制度の課題に気づく
「トルコでは外国人が裁判を傍聴する際に手続きが必要と言われましたし、セルビアでは『私はこういう者で裁判を傍聴したい』とセルビア語で一筆書き入れるよう求められました。中国では断られて傍聴ができていません。
一方、日本は比較的誰でも傍聴できる点では開かれているともいえます。最近まで傍聴メモは禁止されていましたが……」
世界の裁判を傍聴してきたことで、日本の司法制度の課題にも気づいた。
「私は日本でトレーニングを受けて弁護士になりましたが、研修所ではサンプルとなる事例を見て、それを法律に一つひとつ当てはめていきます。刑事裁判の場合は、このタイプの事件だったら情状酌量の範囲はこのくらいまでで、といった感じで機械的に決まることも多く、一人ひとりのストーリーが軽視されがちに見えます。
法律を安定させるため、社会を安定させるという意味ではこの『当てはめ』の制度は必要なのですが、裁判は生身の人間の話で、機械的にさばききれないこともすごく多いと感じています。世界の裁判を見てきて、法律は一つじゃない、裁判は機械ではないという学びがありました」
一方、日本では夫婦別姓問題など、「伝統」という理由のもとで、人権のいわゆるグローバルスタンダードから外れている法律もある。
「国際的な条約や男女平等の人権概念から見れば、夫婦別姓が実現しない日本が特殊な状況にあることがよくわかります。日本では夫婦同姓が『伝統』という理由で維持されていますが、その伝統自体がここ150年くらいでつくられたものであることを知ると伝統といえるのかどうか疑問なのですが……。
世界には、既存の『伝統』を守るためではなく男女平等やマイノリティーの権利を守るようにできている法律も多いので、世界の法律を見ることで、法律の役割を考えさせられますし、家父長制が残る日本の問題点が浮き彫りになります」
現在、WEBで連載中の『続ぶらり世界裁判放浪記』の中では、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国や、今後はヨーロッパの裁判についても書いていくという原口さん。
「アジアやヨーロッパはアフリカよりも日本の皆さんがなじみのある国が多いと思いますので、裁判と人々の生活がどう関わっているのかを新たに伝えていきます。アフリカで困ったときに長老や首長に相談に行くのは、ある意味、占い師のところに行くことと似ています。記事を読んでいただくことで、皆さんに裁判を占いと同じくらい身近に感じていただけるとうれしいです」
取材・文/紀和 静
はらぐち・ゆうこ 弁護士。東京大学法学部卒業。早稲田大学大学院法務研究科修了。大手渉外法律事務所を経て、バングラデシュ人民共和国でNGO業務に携わる。その後、法務案件のほか、新興国での社会起業支援、開発調査業務、法務調査等に従事。現在はイギリスで法人類学的見地からアフリカと日本の比較研究をしている。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に旅した国は133か国。「幻冬舎plus」で連載中。