国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。インドのIT企業「HCLテクノロジーズ」(HCLTech)訪問記をお届けする番外編、前回は、日本向けローカライズユニット「JLANS」を紹介した。今回は、インドでビジネスに使われている言語、HCLTechの女性のエンパワーメント方針、取材外伝などをお届けする。
●インドの公用語、HCLTechの公用語
インドの公用語は、憲法で連邦公用語とされているヒンディー語である。その他にも、ベンガル語、タミル語、テルグ語など複数の言語が使われおり、その数、公的指定語だけでも22言語。さらに州や連邦直轄領ごとに州の公用語が制定されており、インド全土では461ほどの言語が使われているという。
お互いの言語は全く異なり、1つの言語で制作された映画を他の地域で公開するときには、吹替版が制作されるほどである(例えば、テルグ語で制作された映画『RRR』は、インド全国公開に当たり、ヒンディー語、タミル語、マラヤーラム語、カンナダ語に吹き替えられた)。では、HCL社内では異なる言語出身者同士は何語でコミュニケーションを取っているのかというと……。
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「英語です」(HCLTech従業員)
さまざまな言語を母語とする従業員がいることと、グローバル企業であることから、HCLTech社内の公用語は英語であり、会話やテキストでのコミュニケーションはインド人同士でも英語を使うという。
なお、インドでは上位の大学は英語で講義し、私立高校も英語で学ぶので、英語を扱うことは「普通です」とのことだ。
●女性のエンパワーメント
女性が個人や社会集団として意思決定過程に参画し、自律的な力を発揮することを支援する「女性のエンパワーメント推進」は、多くの国や団体で注力しているテーマである。HCLTechは、この課題をどのように考えているのだろうか。同社のChairperson(会長)、Roshni Nadar Malhotra(ロシュニ・ナダー・マルホートラ)氏に聞いてみた。
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「私が会長になってから今日に至るまで、インドで上場しているテクノロジー企業で女性がトップにいるのはHCLTechだけです。しかしここ十数年で、素晴らしい女性の起業家や創業者、リーダーが多く誕生しています。インド国内だけではなく、海外の複数の業界でもインド系の女性が活躍していますので、個人的には、楽観視していきたいと思っています」(マルホートラ氏)
女性の雇用拡大に関しては、「インドの人口14億人の半分が女性です。これからは多くの女性の育成が必要でしょう。インドは恐らく、他の国よりもその課題感は強いかもしれません」と考える。
では、HCLTech社内の女性雇用促進はどのような状況なのだろうか。同社の現在の従業員女性割合は30%、これを2030年までに40%にするという目標を掲げている。目標に向けて行っている女性の雇用促進やキャリア開発施策の一つを紹介してもらった。
「7年ぐらい前でしょうか。ITや理数系のバックグラウンドがない学生をあえて採用する試みを始めました。それまではどうしても、高学歴だったり、情報工学系の学位を持っていたりする学生を積極的に採用しており、それがネックとなって女性の採用にも苦労していました。
対象は、日本の高卒に当たる年齢の非IT系の学生です。学生たちは、HCLTechに入社後9〜12カ月のトレーニングを経て、直接カスタマーのサービス対応をするエンジニアになります。大学とも連携し、仕事をしながら終業後や土日に学習をして、エンジニアリングやサイエンスの学位も取れます。
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『TechBee:テック・ビー(蜂)』と呼ばれるこの試みは、100人規模で始め、今では1万人規模にまで成長しています(と言いながら、蜂が羽ばたくジェスチャーをする)。理数系卒というバリアーがないため、テック・ビーメンバーの男女比は50%です。
この試みはキャリア開発を大きく変えたと思います。これからはキャリアに関する考え方もクリエイティブに、特に若い人の採用に関してはデザインシンキングな観点を入れて、新しいキャリア開発の取り組みをしなければならないと考えています」(マルホートラ氏)
●ITエンジニアは、カーストフリーなのか
日本人にとって理解が難しいのが、インドの「カースト」である。
カーストとは、ヒンズー教に基づき古くからインド社会に根付いている制度で、「バラモン(司祭階級)」「クシャトリヤ(王侯、武士階級)」「バイシャ(庶民階級)」「シュードラ(隷属民)」の4つ+「ダリット」の階層からなる身分制度「ヴァルナ」と、職業的区分「ジャーティ」の2つの概念がある。
ジャーティは職種ごとのタグやラベルであり、血縁や職業などで結束された共同体でもある。インドには仕事の数だけジャーティがあり、その数はインド全体で約3000といわれている。無数のジャーティが相互依存と相互不可侵の関係を維持しながら共存することでインド社会が成立しているともいえる。
ジャーティの複雑なところは、世襲制であることだ。教師の子どもは教師、八百屋の子どもは八百屋、と職業選択が個人ではなく生まれによって決まる。それはヒンディー語で「ダルマ」といわれる使命であり、その使命を全うすることで来世が幸せになると考えられている。
そこに登場したのが「ITエンジニア」という職業である。ITは新しい産業のため、どのジャーティ出身者でも能力があれば活躍できる。かつ、ホワイトカラーの仕事なので上位のジャーティに位置付けられる。しかも高収入。だから、ITエンジニアは人気の職業であり、さまざまなジャーティの子弟がITエンジニアを目指して切磋琢磨(せっさたくま)している。それが、インドにITエンジニアが多い理由だ。
……と一般的には言われているが、実態はどうなのだろうか。本当にあらゆるカースト出身者がITエンジニアとして活躍しているのだろうか。
○聞いてみた
ここから書くことは、筆者が取材以外の場所で聞き取った内容であり、HCLTechの見解ではないことを了承の上、読んでいただきたい。インド滞在中に出会ったさまざまな立場の人に「カーストのいま」について聞いたものである。
インド在住の日本人A氏は、カーストは根深く、現状、ITはカーストを乗り越える手段ではないと感じているとのことだ。「エリートはエリートであり、そうではない人はそうではない。学ぶ機会までは得られても、職業選択に際してカーストを超えることはなかなか難しい。しかし、インドの人々はそれを当たり前に受け入れている」とのことだ。
ここには、与えられた職業を全うするのが使命であるという「ダルマ」の考えが影響しているのかもしれない。
デリーで通訳業を営むB氏は、「時代が変わり、カーストの考え方も変わってきた」と話す。
「父は公務員でしたが、私は民間に就職しました。父にはだいぶ反対されましたが。いま、同じようなことがさまざまな局面で起きています。異なるカースト同士で結婚する人もいるし、LGBTQをカミングアウトする人も出てきました。私の子どもがLGBTQだったら? それは認めざるを得ないでしょうねえ」(B氏)
なお、1950年に制定されたインドの憲法で、カーストの「差別」は禁止されているが、カースト制度そのものは否定されていない。
●アディショナルタイム トーク
最後に、取材前後で伺ったHCLTechメンバーたちの声をお届けする。
○日本がインドと真面目に向き合おうとしてきましたね
現在、エイチシーエル・ジャパンで顧問を務めるAnil Gupta(アニル グプタ)氏は、大学でハードウェアとソフトウェア両方のエンジニアリングを学び、卒業後に来日。NECとの合弁会社「NEC HCL システムズ テクノロジーズ」の代表を経て、現職に。長年インドと日本の架け橋となってきた人物だ。
「私が新卒の頃は海外といえば米国に行くのが一般的だったんだけれど、1年間の語学留学付きプランを提示されて、日本を選びました。当時の日本は、インドと仕事をすることをためらっている印象でしたが、最近はインドのIT業界に力が付いてきたし、世界の名だたるIT企業のトップがインド人であることもあって、日本の会社がインドの会社と真面目に仕事をしようとしているように感じますよ」(グプタ氏)
○インド人、映画みたいに踊らないよ
エイチシーエル・ジャパンの統括営業本部長 Kovalan Shan(コバラン シャン)氏も、もともとはエンジニアだったという。最初に就職した会社で日本向けプロジェクトに配属され、以来ずっと日本関連のビジネスに携わっている。
「インド人エンジニアと日本人エンジニアの違いは特にないかと思いますが、強いていえば、インド人エンジニアはマルチタレントであるのに対し、日本人エンジニアは専門特化しているように思います。インド人のエンジニアはテストエンジニアからスタートし、開発や設計にまでキャリアアップしますが、日本人のエンジニアは一度役割を割り当てられると、その役割にとどまります。そして、担当する分野で非常に強くなります」
インドは世界第1位の制作本数をほこる映画大国である。近年は、ITエンジニアが主人公の映画も多い。どうやら、女性は医師、男性はITエンジニアが「成功した職業」の象徴のようだ。技術系の学生が主人公の映画もあり、インドの理系学生を取り巻く状況が描かれている。
インドではITエンジニアを目指して情報工学を学ぶ学生が多く、トップ大学ともなると、受験戦争は苛烈を極める(※)。インド工科大学を舞台とした映画『きっと、うまくいく』では、同大学の受験と学業の厳しさが描かれていた。『無職の大卒』は、情報工学以外の理系学部を卒業しても就職が難しいという現実が描かれていた(主人公は土木工学出身)。そのためインドでは、就職のために情報工学を勉強する学生も多いという。そのあたりの実情は、どうなのだろうか。
「インド工科大学は確かに入学も卒業も難しいね。専門分野の選択は、その映画の頃より少し状況が変わってるかな。数年前まではIT一強だったけれど、最近は化学系などのエンジニアも増えているよ。それと、インド人は映画みたいに踊らないし、歌わないと思いますよ(笑)」(シャン氏)
○初めてのプロジェクトのことは、忘れられない
同じくエンジニア出身のC氏が就職したのは、30年前。インドではIT業界はまだメジャーではなかったが、将来性を感じてHCLTechに入社した。当時はPCがいまほど普及しておらず、「一般の人もPCを持てるようにしたい」という夢を持っていた。
「この30年間で1番の思い出は、初めてのプロジェクトのことですね。さとうきび農場で生育を管理するソフトウェアを作ったのですが、最初は失敗続きで、農家に不評だったんです。けれども改良を加えて正しく動くようになったら、とても感謝されましてね。いまでも忘れられないですね」(C氏)
○バッターボックスに立たせてくれ!
エイチシーエル・ジャパンの代表取締役社長である中山雅之氏は、インド人メンバーに「masa」と呼ばれて親しまれている。日本アイ・ビー・エム執行役員、日本郵政グループ 常務執行役グループCIO、日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ 副社長を経て、2021年に現職に就いた。
現在の課題は「バッターボックスに立つ回数を増やすこと」。
HCLTechは米国や欧州では比較的有名だが、日本では知名度が足りない。かつて在籍していた企業は誰もが社名を知っていたが、HCLTechはまだまだだ。そこからまずは「ファーストコンタクト時に相手がHCLTechを知っている」状態に、次に「大型案件の発注先選定段階で声を掛けられる=バッターボックスに立つ」頻度を上げ、その上で「打率も上げていきたい」と考えている。
エンジニア個人のキャリアについても聞いてみた。インド×ITというと、インドのエンジニアが海外で活躍するイメージがあるが、逆に日本のエンジニアがインドで働くパターンは“アリ”なのだろうか。
「大いにアリだと思います。IT業界ではこれからインドの存在感がますます増していくでしょう。そのときに『インド×ITの経験がある』ことは、きっとアドバンテージになる。チャレンジしてみる価値はあると思いますよ」(中山氏)
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