
京都市の丸太町通から西洞院通を上がった場所に、「柿傳」(かきでん)と染め抜かれた暖簾がかかる京町家があります。外観からは何のお店かわかりませんが、実はお茶の世界で有名な仕出し料理屋さんです。茶道を嗜む人以外はほとんど知らないであろう茶懐石料理について、柿傳9代目の木村好男さんに聞きました。
享保5(1720)年創業の柿傳の仕事の約7割は、お茶事関連の出張料理です。そのため店の引き戸を開けると炭火の焼き台などがならぶ調理場があるだけで、食事を提供するような場所はありません。
現在は茶道の表千家の家元やお弟子さんを中心に、武者小路千家などでも茶事の料理を担当しています。茶懐石は、亭主が客をもてなす茶事において出される料理で、流派によっても内容が異なり、亭主の趣向に合わせて料理されます。
「お茶事をするご亭主の代わりに料理をする、代行なんですよ。だからご亭主の希望に従って料理をする。鍋などの道具、食材や出汁を車に全部積んで、お台所を借りて料理をして帰る。お茶事の流れに合わせてご飯を炊いたり、焼き物を焼いたりして、温かいものは温かいうちに出しますね」
|
|
茶懐石で重要なのが、「飯」を出すタイミングです。炊き立てのご飯が一番のご馳走との考えから、進行具合を見計らってちょうどの時間にご飯が炊けるように火をつけます。最初は、「たった今、ご飯が炊けました」という蒸らしていないやわらかいご飯を小付け(こづけ)で出し、その後、飯器で2回ご飯を出します。
ほかに、汁、向付、煮物椀、焼き物、炊き合わせ、和え物、八寸など、亭主の代わりに心のこもった料理をこしらえるのが木村さんの役目です。出汁は一番だしだけを使い、焼き台を持参して軒先などで炭を起こし、魚は金串に刺して焼きます。
「基本的には素材をそのまま、あんまり細工はせんと。先代から聞いたり教えてもらったことをやりつつ、自分でちょっと違うことも混ぜたりしています。決まりはありませんが、ニンニクとかにおいがきついものは使わないですね。フォワグラなどの海外の食材も使いません。でも、ご亭主から出してくれへんかと言われた食材は出します。ご亭主の代わりに料理をしているので」
おいしそうに見える色合いを大切に、全体が美しく整うように手前を低くしてそろえるなど、盛り付けにも気を配っています。
出張でお料理をする場所は、ガスコンロがなかったり、水もちょろちょろとしか出なかったりということがあるそう。そのためカセットコンロや井戸水も持参します。ときにはおくどさん(かまど)でご飯を炊くことも。
|
|
以前は呉服屋さんの展示会でお弁当を用意することもよくありました。展示会に足を運ぶ人は茶人が多く、柿傳の料理がいただけることは展示会の魅力にもなったのです。現在はそういった展示会や催事はなくなり、出張先は遠くても名古屋、奈良、大阪、神戸くらいになっているそうです。
お家元の初釜(年が明けて初めて行われる茶会)では、5日間、1日約200〜300人分の料理を用意します。ほぼ寝ないでつくる年末のおせち料理から、決まった日に初釜がある1月中は、ほとんど予定が詰まっていてとても忙しい期間だそう。
木村さんは、滋賀の料亭「招福楼(しょうふくろう)」で6年ほど修業をして、平成3年に柿傳にはいりました。それから先代に学びながらともに調理場に立ち、「継いだというか、大将が亡くなったのが5年前ですね。それまでずっと一緒にやってきました」と柿傳に入って34年、今年還暦を迎えます。
あとを継ぐ人について聞くと、「今25歳の息子がいます。ただ、継ぐかどうかはわからないです。本人次第で。ずっと実家で暮らしていたので、今は東京で一人暮らしをしています。手伝いにはしょっちゅう呼んでいますね。本人も見たいといっていますし」と話しつつ…
「京都市内の小学校に毎年出向き、料理クラブの6年生に、だし巻き卵と梅にんじんの作り方を教えに行っています。家に帰った子どもたちが、お父さんやお母さんにだし巻き卵をつくってあげたという話を聞いてから、何かせなあかんと思いたち、教室が終わったら『弟子認定証』を配っています。だからちっちゃい弟子がものすごく増えて」と笑いました。
|
|
(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・太田 浩子)