エハラマサヒロ昨年11月末をもって、23年間所属していた吉本興業とのマネジメント契約を終了し、フリーに転身したお笑い芸人のエハラマサヒロ(42)。
‘09年と‘10年に2年連続で『R-1ぐらんぷり』で準優勝してからはモノマネや歌、ダンスなど多彩な芸を生かして劇場やメディアで活躍してきた。また、ミュージカル俳優としても数多くの作品に出演して存在感を発揮。
さらに、夫婦と5人の子供との楽しい日常をアップするファミリーYouTubeも人気を博すなど、順風満帆だったエハラに何があったのか……。
フリーになる決断をしたきっかけ、吉本時代に味わった孤独、ミュージカルに出演する理由、現在の収入事情、今後についてまで赤裸々に答えてくれた。
◆吉本を退所したのは「自分で動きたい」から
――昨年11月末で吉本興業を退所されて独立にされた理由は?
エハラマサヒロ(以下、エハラ):基本的に昔から自分で動きたいタイプだったので、吉本からの仕事を待っているというよりは、自分で仕事を作ったり、仲間と話して個人的にオファーをいただいたりすることが多くなってきていたんです。
特にここ5年ぐらいは、ほぼ劇場出番も辞めて営業も行っていなかった。自分発信の仕事ばかりしていたんです。なので、自分一人でやってみてもあまり変わらないのかなと。
――ブレイクされて以降、どのような心境の変化があったのでしょうか?
エハラ:20代のころは業界のことも分からなかったので、とりあえず手探りでいろんなことをがむしゃらにやってきた。30代になってからは自分の得意なこと、苦手なことも分かってきたのでもらった仕事が成功するかどうかも分かるようになってきて、仕事を選ばせてもらうになった。
30代後半になってからは今までの信頼や繋がりでいただける仕事も増えてきて、楽しいことだけを仕事にする方向に頭を置き始めたんです。
そういう仕事の受け方をしていると、吉本興業のマネージャーは結構な頻度で変わるので、やりづらい部分が出てきたというのも理由の一つですね。
――すぐに退所という道を選ばなかったのは?
エハラ:2人の社員さんへの恩義ですね。‘18年に『ザ・ミュージカルマン』というイベントを自分で企画したんですが、芸人からアーティスト、ダンサーまでかなり豪華なゲストを呼んだこともあって、700万円近く赤字が出たんですよ。
赤字は自分で補填しようと思っていたんですが、その社員さんがスポンサーを見つけてくれて全部カバーしてくれて……。これは、もう10倍ぐらい吉本に還元するまでは辞めないでおこうと思って、それくらい稼がせていただいてから、辞めました。
◆キングコング・西野亮廣に背中を押された一言
――フリーになることを後押ししてくれた方は?
エハラ:キングコングの西野(亮廣)さんには話をしてました。「おもろいな」と笑っていましたね。なので後押しというか、面白がってくれたというのが正しいかもしれないです。「良い時期かもな」と言われたのも覚えています。
――“良い時期”というのは?
エハラ:ここ数年で、業界の“暗黙のルール”みたいなものがなくなってきたと思うんです。
昔は、独立をしたら一定期間活動休止をしないといけない、所属していた事務所のタレントとは絡めない、といったことがあったみたいですけど、僕が「独立します」と吉本に伝えたときは社員さんたちがかなり協力的にサポートしてくださいましたから。
しばらくは吉本の芸人とは絡めないかもしれないと思っていたんですけど、現在も元・ピスタチオの伊地知とレギュラー番組をやっていますし、他の芸人と共演も多い。そういう意味で“良い時期”だったと自分でも思います。
◆40代はまだまだ動けるし、失敗できる
――40代はいわゆる一般社会でもセカンドキャリアを考え直す時期だと思いますが、年齢も関係あったのでしょうか?
エハラ:それもありますね。やっぱり50歳ぐらいになってからだと独立する気力を保つのが難しかったかも。40代ってまだまだ動ける年齢ですし、まだまだ失敗できる。それはサラリーマンの方も同じなんじゃないかな。
――フリーになった直後に焦りはなかったですか?
エハラ:そもそも僕は芸人という職業の中で何度も“転職”をしてきたので、フリーになったからといって焦りはなかったです。
劇場やテレビに出ることが芸人的な仕事だと思いますが、僕は子どものエピソードを書いた漫画を出したり、ミュージカルをやったり、歌を作ったり……。芸人と呼ばれる仕事以外のことをかなりやってきていたので。結構タフな転職者だと思います。
◆R-1でブレイクするも「1年後には仕事がなくなるかも」
――話は変わりますが、‘09年に『R-1ぐらんぷり』で準優勝後に変わったことは?
エハラ:視聴者や審査員に評価されて仕事が増えたことはうれしかったです。でも、全国ネットのテレビ出演が増えていくうちに心の中では「1年後には仕事がなくなっているかも」と思っていましたね。
――不安のほうが大きかったんですね……。そうした俯瞰した考えに至った理由は?
エハラ:例えば芸人界の師匠といえば、やすしきよし師匠、こだまひびき師匠とかいらっしゃいますけど、僕らが小学校のころからずっと変わらないし、増えていないですよね。
そういう師匠や大スターたちが活躍し続けている傍ら、実は仕事がなくなって辞めていっている芸人が大半なんですよ。
そのことに20代で気づいてしまって、何かセカンドキャリアを用意しておかないと、とは思っていました。そのためには芸を磨いて主軸にしないと、この仕事は続けられないなと。
◆R-1のネタにダンスを入れたのはキャリアのため
――セカンドキャリアのためにやったことはあるのでしょうか?
エハラ:『R-1ぐらんぷり』はお客さんに受けるネタ、審査員受けが良いネタを作ろうとする人がいると思うんですが、僕は次の仕事にどう繋がるかを考えていましたね。
2009年に準優勝したんですが、2010年は次に繋がることを考えていました。予選と最終決戦のネタ両方にダンスを入れたんです。
ネタの中身としてはダンスはいらないんですが、僕がダンスをできることを注目の集まる大会でやったら、絶対ダンスの仕事が来ると思って……。
――そんな狙いがあったとは……。令和ロマンが優勝するためにM-1グランプリについて分析していたと聞きましたが、エハラさんもやられていたんですね。
エハラ:令和ロマンと一緒にしてよいか分かりませんが(笑)、分析や研究は好きでしたね。
例えば、若手のネタコーナーがあるトーク番組に出たことがあって、僕は3分のネタをしてウケていたんですがカットされていて、あまりウケていなかった芸人の30秒ネタがオンエアされていた。それは尺の都合で、短いネタしか放送できなかったからだったんですね。
そこからは細かいモノマネをつないで自分でツッコむみたいな漫談スタイルにして、編集でどこを切ってもいいように変えました。そこからカットされることは無くなりましたね。
◆芸風のせいで「嫌がらせやデマを言われた」ことも
――ネタでダンスをしたり、歌やダンスの仕事をしたりすることで、芸人から“いじられる”ことも多かったと思いますが、嫌な思いをされたことは?
エハラ:ダンスや歌を披露して偉そうな顔をするといったウザいキャラは意図的にしていたので、芸人に「嫌いだわ」「腹立つわ」と言われることは平気でした。彼らもノリでやってくれていたので。
でも、エスカレートとしてそのノリをはき違えた芸人も出てきて……。エハラを悪く言ったらウケるだろうと思って「学園祭で肩パンされた」といったデマや陰湿な悪口を言われた時期もありました。
そのときは仕事に直接影響がありましたし「なんでこんな言われるんやろ」と歯がゆいこともありましたね。
――そこで心が折れることはなかったですか?
エハラ:物事をポジティブに考えるようにしていたので、気にしないようにしていました。合わない相手とは付き合わないようにすればよいので。
ノリをはき違えていたり悪く言うことだけをやっていた芸人たちは静かにいなくなっていったので、何となく自分のやっていることは間違っていなかったのかなと思います(笑)。
◆ミュージカルに出演するのは「必要とされているから」
――ミュージカルにも軸足を置かれていますが、ミュージカルとの出会いは?
エハラ:歌やダンスも好きだったんですが、元々ミュージカルを見る機会がなかったし、興味もなかった。
品川プリンスシアターに吉本の劇場があって、ナイトクラブショーみたいなイベントの司会をしているときに、その演出を手掛けていた菅野こうめいさんから「ミュージカルに出ないの?」と誘われたのがきっかけですね。
最初はクラシックミュージカル『カルテット!』に出演しました。その後、宮本亜門さんから『ウィズ〜オズの魔法使い〜』でメインキャストの1人に抜擢された。それが大きな機会になって、コンスタントにお仕事が来るようになりました。
――ミュージカルに出ていくうちに楽しさや魅力を感じていったのでしょうか?
エハラ:もちろん楽しいですが夢中になっているというよりも、必要とされている、得意な分野だから続けているという感覚です。お笑いの舞台に立つときよりも、目に見えて努力が形になって認められていくことへの充実感が大きい。
新喜劇のようなアドリブも面白いですが、作り込んだものは「やっぱりすごい」と実感して、自分の単独ライブでも適当にやるのではなく、きちんと作らなければならないと考え直すきっかけになりました。
◆収入は吉本所属時代よりもアップ
――現在のお仕事の割合はどんな感じですか?
エハラ:ミュージカルは年1回ほどで、それ以外は細々としたレギュラー番組や趣味のスロット番組など、いろんな仕事をしています。飽き性なので同じ仕事が続くと楽しくなくなってしまうんです。毎日違うことをしていたいんですよね。
割合だとスロットの仕事が1割、ミュージカルが4割、YouTubeが2割、モノマネが3割ぐらいですかね。
――仕事量に変化は?
エハラ:フリーになってからはおかげさまでめちゃくちゃ仕事が増えて、スケジュールは常に埋まっている状態ですね。基本的に休みはないです。
――収入面の変化はいかがでしょうか?
エハラ:吉本時代よりも上がっていますよ。ただ今は独立1年目で信用を作る期間だと思い、単価を下げているので、爆発的に増えているわけではないです。
――収入で一番大きいのは?
エハラ:スロット関係の仕事が一番大きいですね。休みにやっていたことが仕事につながっているので、僕からしたら休日の感覚。なので、休みがなくても充実した日々を過ごせています。
――フリーになってからデメリットを感じることは?
エハラ:デメリットは一つも思いつかないです。メリットは100個以上あるんですけど。もちろん、面倒な作業もありますけど、嫌な仕事のほうが成長を感じることができる。なので、極力嫌な仕事も受けるようにしています。
1つあるとすれば、吉本にいたときは「なんで僕に?」みたいなオファーがあったんですが、それがなくなったことぐらいですかね。そういうものに面白い仕事もあったので。
◆「飽きひん」と呼ばれるエンタメショーを主軸に
――今後挑戦してみたいことは?
エハラ:“エンターテイメントショー”を開催したいんですよ。僕は芸人として「おもろい」と言われるよりも「飽きへんな」と言われるほうがうれしいんです。
国民全員がお笑い好きなわけじゃないので、何か一つは観に来た人を楽しませられるようなショーをしたい。ヒューマンビートボックスやダンスの世界一を呼んだり、僕のネタを生バンドにブラッシュアップして音楽としても聴けるネタにしたものを披露したり。
それをミュージカル形式で1本のお話にしたショーを9月に開催するんですが、今後の主軸にしていければ。
◆仕事を仕事だと思ってやっていない
――テレビに重きを置いてはいかないのでしょうか?
エハラ:自分がやっていて楽しい、実力が発揮できるものは出たいです。『ものまね王座決定戦』や『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』は10年以上出させてもらっているので大事にしていきたいです。
――最後になりますが、何歳ぐらいまでお仕事をしていたいですか?
エハラ:仕事を仕事だと思ってやっていないので、多分死ぬまでやっていますよ(笑)。子供のころは仕事って、お金を稼ぐために嫌なことをやることだと思っていたんですけど、楽しいことが全部仕事になると気づいたので。
お金のために働いていないし、フリーになってより好きなことだけをやる環境に身を置けているので、なおさらその気持ちが強くなっていますね。
【エハラマサヒロ】
‘82年生まれ、大阪府出身。モノマネや歌、ダンスを生かした芸を得意とするピン芸人。『あらびき団』などの番組出演をきっかけにブレーク。‘09年と‘10年には『R-1ぐらんぷり』で2年連続準優勝を果たす。また、ミュージカル『カルテット!』の出演をきっかけに、数多くのミュージカル作品にも出演。5人の子供を持つパパでもあり、ファミリーYoutube『エハラ家チャンネル』も人気を博している。‘24年12月からは吉本興業を退所してフリーとして活動。
<取材・文/瀬戸大希、撮影/星亘>