浜崎貴司、グリコCMに自身起用した大宮エリーさんの人生は「ロックンロールでチャレンジャー」

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2025年04月29日 10:51  日刊スポーツ

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大宮エリーさん(2016年5月撮影)

FLYING KIDS、カーリングシトーンズの浜崎貴司(59)が29日、インスタグラムを更新。


23日に病気で49歳の若さで死去したことが27日未明に発表された画家で作家、アーティストの大宮エリーさんとの交流についてつづり、大宮さんの人生は「彼女の歩んだ道は奔放で、ロックンロールでした」と持論を展開した。


浜崎は「この間亡くなった大宮エリーさんと初めて会ったのは2008年12月でした」と、大宮さんとの出会いについて説明。「場所はかつて代官山にあった、カメラマンの小暮徹さんと、イラストレーターのこぐれひでこさん夫妻の家でした。『最近隣に引っ越してきた面白いこがいる』と言われ、紹介されたのが彼女でした」とつづった。「その時彼女からもらった本が『生きるコント』というエッセイ本でした。これがとんでもなく面白かったのです。それ以来興味を持ち、様々な形で会うようになりました」と大宮さんから著書を渡されたことで親交が始まったと明かした。


次に「一緒にした仕事は、グリコのCMでした。」と、CMプランナーだった大宮さんと一緒にした、CMの仕事についてつづった。「2011年に東日本大震災があり、被災者を励まそうという想いで企画されたCMの監督が大宮さんでした。それに私を起用してくれたのです。素敵なコマーシャルでした」と説明。「彼女の仕事は多岐に渡り、人生の空き時間の隙間に、次から次へとクリエイティブを詰め込んでいきました」と振り返った。


そして「最後のメインは画家でしたね」と大宮さんの画業についても触れた。「絵を描き始め、個展を開きました。私はその個展を何度か訪れました。ただ絵に関しては正直、ピンと来なかったのです」とした上で「でもこうして彼女が亡くなった後に振り返ってみると、最後は『自分の事』をしたのだな、と思うようになりました」と画業こそが大宮さんの本質ではないか? と推し量った。


浜崎は「それまでの彼女の仕事は、彼女のラジオとエッセイ以外は、他人を媒介として世に放たれる事が多かった気がします。脚本家、演出家、監督、などなど。なんならラジオとエッセイも、聞く人や読む人を必要とします」と指摘。「彼女の能力の中には、プロデューサーとして、経済的に成立させる、プロとしての意識の高さが存在していました。クリエイトと経済の両輪をこなす」とした。


その上で「ところが最後に選んだのが画業でした。これは思いっきり自分と向き合う仕事です。クリエイトの中で、なんなら一番お金にならないかもしれない仕事かもしれません。それに向かう理由はなんだったのでしょう?」と、画業が大宮さんの仕事の中でも、全く異質のものであったと指摘。「当然、絵を描きたいという衝動が一番でしょう。でも、これはあくまでも私の想像ですが、色々な事をやってきて、無意識下に、一番困難な課題に挑みたい、という側面もあったのかなと思いました」と大宮さんが画業に挑んだ背景に思い巡らせた。


そして「画業で自分の純粋な部分で勝負してみたいという想い。そんな目線で彼女の業績を眺めてみると、大宮エリーは物凄いチャレンジャーだった気がします」と大宮さんの人生は挑戦だったと定義付けた。その上で「まあ、それでも彼女はプロデューサーの気質を捨てる事なく、画業に関してもちゃんと経済的に成立するような活動をしているようでした。(実際にはよくわかりませんが。)ただ、まともな暮らしを顧みず、爆走し続けた人生であったことは間違い無いです」と指摘。「気がつけば、大宮エリーはカッコよかったのです。#大宮エリー #グリコ #みんなに笑顔を届けたい #glico」と締めた。

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