2025年F1第5戦サウジアラビアGP アイザック・ハジャー(レーシングブルズ) レーシングブルズのルーキーであるアイザック・ハジャーは、フランスとアルジェリア両国の国旗を、誇りを持って掲げ、F1で独自の道を切り開いている。
アルジェリア人の科学者の両親のもとパリで生まれ、フランスのライセンスでレースに出場しているハジャーは、北アフリカの血を引くため、この地域の出身者がほとんどいないスポーツ界で際立っている。
現在のF1カレンダーには中東でのグランプリが4つあるものの、アフリカのグランプリはない。F1でレースをする初のアラブ人ドライバーとしてのハジャーの存在は、たとえスポーツ界がまだ完全に認めていないとしても、同地域の代表としての大きな一歩となるだろう。
「ふたつの国を代表しているような気がする」と、20歳のハジャーは、先週末にサウジアラビアで『Reuters』に語った。
「僕はF1に参戦した地球上で初めてのアラブ人ドライバーだ。これは大きな出来事だ。注目されず、誰も気にしていないけれど、大きな出来事だよ」
彼の旅路には困難がないわけではない。メルボルンでのハジャーのF1デビューは、フォーメーションラップでのクラッシュにより失敗に終わった。しかし、その不運なつまずき以来、20歳の彼は使命感を持った若者となり、過去3レースで2回トップ10入りを果たした。
こうしたパフォーマンスを、レッドブルのモータースポーツアドバイザーであるヘルムート・マルコは称賛し、彼は日本GP後に次のように宣言した。
「ハジャーは今シーズンのサプライズだ。彼は落ち着いていて、いつもパフォーマンスを発揮している......。将来が楽しみな大物だ」
■「地球上で最もクールな仕事」
ハジャーの成功は、量子力学の上級研究者であり、熱烈なF1ファンでもある父ヤシーヌの影響を受けた生い立ちと、レースに対する思慮深いアプローチによって形作られてきた。
彼は7歳でカートを始め、昨シーズンはFIA F2で2位につけた。そのシーズンは、モータースポーツのトップに上り詰めたいという彼の強い意志を反映した、激しい無線でのやり取りが特徴的だった。
当時のことを振り返り、ハジャーは次のように語った。
「許される範囲の限界でプレーするんだ。F2では、自分はチームのクライアントであり、そこで自分の人生をプレーする」
「F1に行きたいのに、チームが失敗すると、彼らに対して腹を立てて、無線で自分の考えを話すんだ」
しかし、現在F1で彼の考え方は進化した。
「ここでは、まったく違う。ドライブすると給料がもらえる。これは地球上で最もクールな仕事だ。人に向かって怒鳴るようなことはしないよ。それは不可能だ」
「叫びたいときはヘルメットのなかで叫ぶ。それが僕のやっていることだ。僕はナンセンスなことを言うために、無線のボタンを押しているわけではない」
■“プチ・プロスト”のあだ名と、知的アプローチ
ハジャーのキャリア初期に、マルコはフランスが誇る4度の世界チャンピオンであるF1の伝説的人物にちなんで、彼に“プチ・プロスト”というニックネームを付けた。ハジャーは当初、そのたとえは大げさだと思ったが、真実はもっと平凡なものだった。
「僕はただ爪を噛んでいたんだけど、彼は『それはプロストみたいだ』と言ったんだ。それだけのことだよ。とても単純なことだ」
「僕は気にしていない。プロストは伝説だ。子どもの頃は、アイルトン(・セナ)を応援していたけど、成長するにつれてアランの素晴らしさがわかるようになった」
「子供の頃はスピードと明るい色ばかり考えていた。アイルトン・セナを見ると、『ああ、すごい」』と思うだろう。そしてその後はルイス(・ハミルトン)だ」
しかし、当時の戦術的才能から“教授”の異名をとったプロストと同様に、ハジャーは生々しい感情よりも戦略を重視している。
「僕は自分を賢い人間だと自称するつもりはないが、父はいつも僕に頭を使ってドライブするように望んでいたので、間違いなくそのアプローチをとっている......。ドライブするときにはとにかく考え、マシンの外で違いを生み出すことだ」
この知的なアプローチと最近の成績を合わせると、フランスとアルジェリアの国旗を、誇りを持って掲げ、F1で名を残そうと決意しているハジャーの明るい未来の兆候が見えてくる。
[オートスポーツweb 2025年04月30日]