中園ミホ「皆さんに“やなせたかしワールド”を知っていただきたい」連続テレビ小説「あんぱん」脚本家が作品に込めた思い【インタビュー】

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2025年05月01日 17:10  エンタメOVO

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NHK提供

 NHKで好評放送中の連続テレビ小説「あんぱん」。『アンパンマン』を生み出したやなせたかしと妻・暢の夫婦をモデルに、何者でもなかった朝田のぶ(今田美桜)と柳井嵩(北村匠海)の2人が、数々の荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでを描く愛と勇気の物語だ。脚本を手掛けるのは、「花子とアン」(14)、「西郷どん」(18)の中園ミホ。実は子どもの頃、やなせたかしと文通していたことがあるという。縁の深い人物をモデルにした物語に込めた思いを語ってくれた。




−第4週まで放送されましたが、作品をご覧になった感想はいかがですか。

 毎回、素晴らしい映像で、感激しています。魅力的な俳優の方々やさまざまなプロの手が加わり、私の頭の中で想像していたことの何十倍にも世界が広がっているので、「本当に私が書いた話かしら?」と驚くほどで(笑)。

−のぶと嵩を演じる今田美桜さんと北村匠海さんの印象はいかがでしょうか。

 お二人とも、すごくすてきです。今田さんとは民放のドラマでご一緒し、お人柄は知っていたので、ちょっと気の強いのぶを魅力的に演じてくれるはず、と信頼していました。でも、実際に作品を見たら、期待以上で。北村さんは、第1回の冒頭に登場した姿を見たとき、やなせさんそのままで、鳥肌が立つほど驚きました。それくらい、ご本人に雰囲気が似ていたんです。私の脚本の書き方は、頭の中にあるテレビモニターの中で、登場人物が動いたり、しゃべったりするのを書き取るような感じなので、お二人が演じるのぶと嵩を見て、役柄のイメージがどんどん膨らんでいます。ずっと見ていたいくらいです。

−ところで、中園さんはやなせたかしさんと子どもの頃、文通していたそうですね。

 私が小学4年生で父を亡くしたとき、「たったひとりで生まれてきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさみしいね 人間なんておかしいね」というやなせさんの詩を読み、悲しみからすごく救われたんです。そこでファンレターを送ったことをきっかけに、文通が始まりました。当時、やなせさんは既にテレビに出るほどの有名人でしたが、手紙のお返事はものすごく速く、また、やなせさんが開催された音楽会に招いていただいたこともあります。お会いするたびにいつも「おなか空いていませんか?」と優しく声をかけてくださるんです。まだ『アンパンマン』を発表する前で、苦労はされているようでしたが、とても優しく、正直でまっすぐな方という印象でした。

−文通はいつ頃まで続いたのでしょうか。

 思春期を迎えた頃、申し訳ないことに私の方がお手紙を送るのをやめてしまったのですが、19歳のとき、道でばったりやなせさんにお会いしたことがあります。以前と変わらず優しく接してくださり、ちょうどご自身の出版パーティーに向かうところで、一緒に連れていってくださいました。ただそのとき、私の母が重い病気を患い、寝込んでいたので、事情を伝えて途中で帰ろうとしたら、会場から母に電話し、励ましてくださいました。その後、母も亡くなりましたが、そういう意味では、私は二度もやなせさんに救われているんです。

−中園さんご自身がやなせさんの影響を受けている部分もあるのでしょうか。

 私は子どもの頃から詩を書いていましたが、それもきっと、やなせさんの影響なんですよね。それがものを書くことの原点で、最終的に脚本家になったことを考えると、やなせさんが私を作ってくださったんだなと、今改めて感じています。しかもここ数年、嫌な出来事が続く世の中を見ながら、「やなせさんが生きてらしたら、なんておっしゃるだろう?」と考えていたんです。そういうタイミングで、こんな機会をいただき、時々まるでやなせさんが私にこの作品を書かせてくださっているような感覚になることがあります。







−のぶのモデルになったやなせさんの奥様の暢さんについてはいかがでしょうか。

 打ち合わせを重ねた末、朝ドラらしく主人公は女性で、ということで、のぶが主人公ということになりました。暢さんのことはこれまで存じ上げませんでしたが、今回の取材を通じて“ハチキンおのぶ”、“いだてんおのぶ”と呼ばれたパワフルな奥様がいたからこそ、やなせさんの人生があったことを知ったのも、私にとっては発見でした。だから、暢さんに関する記録は多くありませんが、しっかり取材した上で、のぶと嵩、2人の人生を並行して描いていくつもりです。

−実際にやなせさんと暢さんが出会ったのは、新聞社で働き始めてからだそうですが、のぶと嵩を幼なじみにしたのはなぜでしょうか。

 昔、やなせさんに「子どもの頃、どんな子でしたか?」と伺ったとき、「気が弱く、男の子らしい遊びはあまりせず、女の子の友だちと遊んでいた」とおっしゃったことが、強く印象に残っていたんです。生い立ちも複雑で、センチメンタルな詩をたくさん残していることを考えると、やなせさんは寂しかったのではないでしょうか。だから、元気のいい明るい女の子がそばにいてくれたら…という私の願望もあり、のぶと嵩を幼なじみにしました。結婚するところから物語を始めるやり方もありますが、2人の人生観がつくられた青春期をどうしても描きたかったんです。

−青春期という点では、2人が結婚に至るまでの恋模様なども気になるところです。

 私はラブストーリーを書くことが大好きなのですが、最近はご無沙汰していたので、久々の“大恋愛もの”ということで、楽しみながら張り切って書いています。また、やなせさんを語る上では戦争体験も外せません。やなせさんは激しい戦闘を経験したわけではありませんが、餓死寸前まで追い込まれたほどの飢えのつらさをさまざまな本に書き残し、「戦争は嫌だ」と言い続けていました。それが『アンパンマン』の誕生につながるので、そこはしっかり描くつもりです。

−やなせさんの人生は波乱万丈だったようですが、どのように物語を紡いでいこうとお考えでしょうか。

 お父さまを早くに亡くされるなど、やなせさんは若い頃からたくさんの別れや悲しい出来事を経験してきました。それでも、私が出会った頃のやなせさんは、冗談がお好きで、とても明るい方だったんです。そんなふうに、深い悲しみを何度も乗り越えた結果、『アンパンマン』が生まれたことを考えると、人生はつらいことがあるからこそ、楽しい物語が必要なんだと、やなせさんと暢さんはよく考えていたと思うんです。だから、私もそんなお2人の精神を受け継ぎ、序盤はつらいことが続く物語を、いかに楽しく、面白く、毎朝皆さんを元気づけるドラマとしてお届けするか、知恵を絞っているところです。キャストの皆さんも、そんな私の思いに応えてくださっています。

−最後に、作品を通じて伝えたい思いをお聞かせください。

 やなせさんが『アンパンマン』で世間に知られるようになったのは69歳のときですが、それ以前からすてきなお仕事をたくさんなさっています。その豊かな“やなせたかしワールド”を、ぜひ皆さんに知っていただきたい。そんな思いを込め、やなせさんの詩や言葉をあちこちにちりばめています。暢さんに関するエピソードも、すてきなものばかりなので、それを存分に生かして、イマジネーションを膨らませながら描いています。ぜひ応援していただけたらうれしいです。

(取材・文/井上健一)




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