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1965年(昭40)の映画「アンコ椿は恋の花」(桜井秀雄監督)でデビューして60年。藤岡弘、(79)の俳優人生は、来年2月で傘寿を迎える今、次のフェーズに入っている。長女天翔愛(23)長男藤岡真威人(21)次女天翔天音(19)三女藤岡舞衣(17)が俳優、モデルとして頭角を現し「藤岡ファミリー」は芸能界の1つのブランドとなった。自身、想像もしていなかったという展開の“前夜”からの歩み、秘話を明かした。【村上幸将】
★本質教え導く役
藤岡は、79歳になって新たな挑戦をした。愛の主演ミュージカル「ZIPANGU〜遥かなる路〜」で、劇中で流す映像の形ながら舞台に初出演。俳優同士として初共演、しかも実生活を地でいくような師弟役のオファーを受けたのは、積み重ねてきた子育てと通底するものがあったからだ。
「人間とはなんぞや、どこに向かって何をしようとしているのか…本質を教え、導く役でした。子供を育てる時に、小さい頃から一番、大事にしてきたことが入っていた。子供たちも納得できる内容の舞台と出会えたことも不思議です」
俳優として子供と共演するなど、想像だにしていなかった。そもそも、市井の人々に夢を与える存在の俳優は私生活を語らないもの、という主義を貫いてきた。それが代表作「仮面ライダー」45周年、俳優人生50年、70歳の節目に企画から関わった主演映画「仮面ライダー1号」が、16年3月に封切られた前後の時期に、子供の存在が一部に漏れ始めていた。当時、耳に入った記者が問いかけると「待って欲しい。今は、その時ではない」と口にした。
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「子供を芸能人にしようとか、全く考えていなかった。子供には、自分の意思も個性もある。話を聞きながら見極めて、そういう方向に向かいたいと思うならよし、嫌なら構わない。それすら、はっきり決まっていない状況だった」
その裏で「仮面ライダー1号」の撮影現場を、4人の子供に見せていた。当時、愛は中学生だった。
「『お父さんの勇姿を見たい』と言うので、しょうがないから連れて行ったんです。周りには『うち(個人事務所)の子役が勉強しに来たんだ』と…自分の子供とは誰にも言わなかった。アクションを生で見た4人は『1800ccの、すごいバイクを一瞬で乗り、あのスピードでスピンして止めるんだ!』と感動した。親は口だけで説教してはダメ。実践して見せ、教え、やらせない限り、子供は絶対に受け入れない」
★親子出演オファー
転機は19年。子供の存在を知った一部のテレビ局から出演オファーが届き、親子で話し合った。その中、愛と真威人は慎重だった。
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「テレビ局から『子供を公表してくださいよ』と言われて…私は出したくなかったんだけれど、時が来たと思い、相談した。下の2人は『出る』と言ったんですが、愛は『出ない』と。すると真威人が『(下の)2人はマスコミの怖さを知らない。どうなるか分からないから、俺が出て守るよ』と言った。子供が芸能界に興味を持っていたと、この時、初めて知ったんです。子供が、ちゃんと親の背を見ながら世の中を見ていたことに驚いたわけです」
真威人の決意を聞き、藤岡も子供の存在をメディアを通して公表する腹を決めた。3人きょうだいでテレビに出演し、家族愛あふれる一家の姿に大きな反響があった。その中、愛が「高校生のためのeiga worldcup 2019」で最優秀女子演技賞を受賞。その際に、長女だとバレてしまった。それを機に愛も芸能界に進むと決意し、20年4月オンエアのCMで藤岡と共演し芸能界デビュー。「偶然が偶然を呼び」(藤岡)4きょうだいが芸能の道に進み、露出が増え、メディアが付けた呼称が“藤岡ファミリー”だった。その流れの中で、子供と心を1つにした思いがあった。
「当時、子殺し、親殺しといった今までの日本では、あり得なかったような事件が頻繁に起きていて、子どもから『お父さん、どうして、こんな事件が起こるの? 分からない』と聞かれた。『子供こそ日本の宝』と伝える一方、『お父さんは世の中に影響を与える仕事をしている』とも伝えたら『(きょうだいでメディアに)出ることによって、お父さんが唱える家族の大切さが伝わるんだったら世のため、人のためになるからやる』と言ったんです」
★4人の決意固く
「芸能界は甘くない」と投げかけたこともあった。藤岡自身、松竹ニューフェースでデビューも当時の青春路線に疑問を覚え、男の生きざまを描く作品への憧れから、ライバルの東映が制作した71年「仮面ライダー」への主演を決めた。ところが、同時期にNHKドラマ「赤ひげ」のオーディションにも受かり、責任を感じ、双方に断りを入れて失踪。関係者を通じ復帰後、73年5月に個人事務所を立ち上げ、1人で芸能界の荒波と闘ってきたからだ。それでも4人の決意は固かった。
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「真威人が『でも、お父さんは(芸能界に)存在している。メッセージは、みんなにいい影響を与えている。そういう存在になって一緒に夢を追いかけたい。だから芸能界で頑張る』と言うんです。愛も…全員が『お父さんの夢、私たちも一緒にかなえさせて欲しい。小さい頃から教わり、与えてくれた、生きる知恵を伝えたい』と言われ、僕も反対できなくなった」
デビュー当初、藤岡の現場に同行し、1歩引いたところから立ち居振る舞いを学んでいた愛は、成長して舞台を中心に活躍。真威人は、昨年10月期のテレビ東京系ドラマ「ウイングマン」で主演を張り、天音と舞衣はモデルとして進境著しい。そんな4人が、共演した番組内で藤岡の話を真剣に聞き、涙する姿がお茶の間に感動を呼んでいる。愛は親子の日常の延長線上に“藤岡ファミリー”の活動が成り立っていると語る。
「『ZIPANGU−』の役の関係性は普段、私が父に対して尊敬し、こうなりたいと憧れる気持ち、情と同じ。そういう作品で共演できたのも縁だと思います。80歳近くまで現役でやって来られた、今の父になった過程に関心があります。日々の生活で言動を見ていると生き残る術、学びがある。日常生活でさえ一切、手を抜きません。対応も臨機応変で柔軟…こうならなければならなかった、波瀾(はらん)万丈の人生の積み重ねが分かるからこそ、話を聞いていると熱い涙が込み上げてくるんです」
藤岡は、“藤岡ファミリー”が向かう、この先の姿を指し示した。
「母から魚を釣る方法など生きるために必要なことを学び、あとは自分で食べるものを取り実践し生きてきました。演じるという虚像の世界であっても、命がけで危険を顧みず、実を伴った芝居で世の中に夢を与えてきた。“実をもって虚となす”生き方を教えてきた4人が偶然が偶然を重ね開花した。ここまで来たら、世の中に良い影響を与えるファミリーでありたい。こんなに子供を愛する親と、団結し1つになって夢に向かう家族がいるんだと」
◆藤岡弘、(ふじおか・ひろし、本名・邦弘)
1946年(昭21)2月19日、愛媛県久万町(現久万高原町)生まれ。松山聖陵高出身。84年のハリウッド映画「SFソードキル」に主演し、スクリーン・アクターズ・ギルド(米国俳優協会)のメンバーとなる。97年のセガのCM「せがた三四郎」のキャラクターでブレークし、武道家としても知られる。20年6月には、真威人がセガ設立60周年プロジェクトのアンバサダーに就任。PR動画「せが四郎」シリーズ第3話「決意編」で俳優デビューし、父子初共演。主な出演作は映画「日本沈没」(73年)、「野獣死すべし」(74年)、「大空のサムライ」(76年)、ドラマはテレビ朝日系「特捜最前線」など多数。
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