
米の価格が上がり続け、例年より田植えの話題にどうしても目がいく昨今。米作りに携わる人たちの日々の苦労に理解が足りていなかったことを反省しつつ、今年の天候を心配してみたり、そもそも減反政策の負の側面を改めて実感したり。そんな中、岐阜県高山市では、珍しい「車田」の田植えが行われた。
田んぼといえば、文字の形が示すような四角い田んぼが定番。ところが高山の車田は、車輪のような丸い田んぼ。車田の田植えの習俗は県の重要無形民俗文化財に指定されており、全国でも高山市松之木町と新潟県佐渡島の2カ所しか残っていない貴重な伝統文化だ。
車田は、江戸時代初めころにはよく知られていたと考えられており、高山城三代城主、金森重頼は「見るもうし植(うえる)も苦し車田の 廻々(めぐりめぐり)て早苗とる哉(かな)」という和歌を詠んでいる。江戸中期の様子を伝える「飛州志(ひしゅうし)」には、かつては伊勢神宮への神供米(じんくまい)を作ったという言い伝えがあることなどが記載されているという。
今年は5月11日、厳粛な神事の後に田植えが始まった。宮笠をかぶった保存会13人が、中心から円を描くようにコシヒカリの苗を植えた。夏の風雨や暑さにも負けず、豊かに実って無事に秋の収穫が迎えられることを願っている。

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