
興梠慎三が選ぶ日本サッカー歴代FWトップ10
昨シーズンを最後に現役を引退した興梠慎三氏に、自身がこれまで見てきたなかですごいと思ったFWを10人挙げてもらった。J1通算2位の168ゴールを決めたストライカーは、はたしてどんな選手を選んだか。
後編「興梠慎三が選ぶ対戦して嫌だったDFトップ10」>>
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【インパクトの強かったFWたち】
10位 平山相太(元ヘラクレス、FC東京ほか)
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平山さんは、僕にとって初めて見た本物の化け物でした。彼が長崎の国見高校、僕が宮崎の鵬翔高校なので、高校時代によく練習試合をしていました。そのなかでひとりだけずば抜けた存在でした。
あの長身で足元のテクニックがあり、意外にスピードもあり、DFの頭二つ分くらい上からヘディングを叩きつけたり、胸トラップしてオーバーヘッドを決めたり、シュートがとにかくうまかった。何でもできるFWでしたね。
「こういう人がプロに進んでいくんだろうな」というのが第一印象でした。その後にプロに行ったことに驚きはなかったし、オランダでプレーしたのはすごいことだと思います。
ケガがなければ、A代表でももっと活躍できたなと。この人を超えることは絶対にできないだろうなと思わされた、初めての選手でした。
9位 鄭 大世(元川崎フロンターレ、清水エスパルスほか)
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テセさんはとにかく強かった。川崎でプレーしている頃、すごくやられた記憶があります。彼は相手との駆け引きでゴールを奪うというより、相手を背負いながらでもゴールを奪っていくタイプでした。シュートのパンチ力もすごかった。
僕はDFと接触しないようにプレーしていましたが、テセさんはパワーで相手を抑えながらゴリゴリいけるのがうらやましかったです。
感情をむき出しにして「絶対に俺が決めて、チームを勝たせてやる」という気持ちが伝わる選手で、そこがテセさんのいいところでした。
8位 福田正博(元浦和レッズ)
もちろん、福田さんと対戦したことはありません。でも浦和に移籍した時、福田さんの記録やサポーターの記憶を抜きたいという大きな目標がありました。でも結局それは叶わなかったですね。どこに行っても福田さんの話になるので、サポーターの心にあるのはやっぱり福田さんなんだなとあらためて思いました。
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福田さんがつけていたエース背番号の9番をクラブから「つけてくれ」と言われた時、僕は「その番号をつけてしまったら福田さんを抜けない」と思ったんです。
僕は「絶対に自分の30番を浦和のエース番号にするんだ」という思いで、30番をつけ続けましたけど、やっぱり無理でしたね。福田さんからは「興梠はこんなもんじゃない。もっとやらないとダメ」と、常に厳しい言葉をかけていただいて、それは愛のあるムチだったと思います。
【相性がいい、僕と似ている、同い年】
7位 李 忠成(元柏レイソル、浦和レッズほか)
チュンとは本当に相性がよかったです。ポジショニングがよくて、どの距離でも決められるシュートセンスを持っていて、なんでもできるストライカー。自分がやりたいことを理解してくれていたし、試合中は常に目が合う存在でした。
「今日は慎三に決めさせてあげるよ」と言って、本当にアシストをつけてくれることもあって、そういう器用なプレーを簡単にできる選手でもありました。
2017年のACLで戦ったアウェーのウェスタン・シドニー戦で、チュンが中央でボールを持っていて、4人くらいに囲まれながら自分が上がってくるのを待って、浮き球のスルーパスを出してくれたんですよ。そこから抜け出して僕がゴールを決めたんですけど、あのオシャレなパスはチュンらしいなとすごく印象に残っています。
6位 小林悠(川崎フロンターレ)
悠は、僕と似ているタイプだと思います。ハイライトで彼のゴールを見ると、決める前の動き出しで「俺だったらこう動くな」と思ったら、悠もその通りに動いて決めることが多くて、やっぱり僕に似ているなと思いました。
悠の強みはやっぱり裏への抜け出しだと思いますけど、DFとの駆け引きと、動き出すタイミングが優れていますよね。それと中村憲剛さんというスペシャルな出し手もいて、阿吽の呼吸もあったと思いますが、常に相手にとって危険なところに動き出せる選手です。
2017年に川崎がリーグ優勝した時、悠が得点王になりましたけど、彼がいる時といない時ではだいぶ違ったなと思うくらい、彼の存在は大きかったと思います。
5位 岡崎慎司(元清水エスパルス、レスターほか)
彼とは同い年で、A代表に初招集されたのも同じタイミングでした。同じスタートラインに立っていたはずなんですけど、いつの間にか、かなり越されてしまったなと。
うまさで言えば、僕のほうがうまかったと思います。でも彼の献身的な守備の姿勢、クロスに入っていく迫力、それをきっちり決めるところ。GKが出てきて、ちょっと危ないシーンでも怖がらずに飛び込んでいけるところは、僕はちょっと避けちゃうところがあるのですごいなって思っていました。彼はゴンさん(中山雅史)に憧れていると言いますけど、プレースタイルが本当に似ていますよね。
彼の代表やプレミアリーグでの活躍は、すごくうれしくて、刺激にもなっていました。同時に負けたくないという複雑な思いもずっと巡っていましたね。でも彼を見ていると、最終的に努力した人が勝つんだなと。自分にはそこが欠けていたと思います。ただ、まさかあそこまで突き放されるとは思っていなかったですけどね(笑)。
【"師匠"から"規格外"まで】
4位 柳沢敦(元鹿島アントラーズほか)
柳沢さんは僕の師匠と言える存在です。僕はMFでプロになったんですけど、1年目にFWにコンバートされて、どう動けばいいかわからなかったなかで、柳沢さんの存在は大きかったです。
それまでは「自分がゴールを決めて勝たせよう」とそういう思いが強かったんですけど、柳沢さんと出会って変わりました。ニアで自分が潰れて味方にスペースを作るのもFWのひとつの役目で、それで点が取れれば大きな仕事をしたことになるんですよね。
チームを勝たせるのは、こういうこともあるんだなと。「1回動いてボールは出てこないのは当たり前。2、3回と動かないと」というのは、試合を重ねるごとに実感して、「こういうことだったんだな」と思った言葉です。
柳沢さんのプレーを盗むだけじゃなくて、ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)のサッカーでポストプレーという武器も身につけました。いろんな人との出会いが大事でしたけど、そのなかでも柳沢さんとの出会いは一番大きな出会いでしたね。
3位 大迫勇也(ヴィッセル神戸)
僕が鹿島に入ってレギュラーになり、2年目くらいですね。「高卒のすごいやつが来る」と言われて、それが大迫勇也でした。正直、「高校生でしょ」と思っていたんですけど、実際に見たら規格外でした(笑)。とにかくうまかったです。
僕がこれからスタメンで、3連覇に向けていこうというところで、一瞬ですけどポジションを奪われたんですよ。あの衝撃は、今思い返してもサッカー人生で一番悔しかったかもしれない。
いろんな能力が優れていますけど、とくにすごいのはキープ力。高卒1年目で、まだ体も出来上がっていないのに、プロのDFを背負ってプレーするなんて簡単にできることじゃない。そこは加入時で、すでに高校生ではなかったです。
ボールの落下地点の見極めがとにかくうまくて、そこをいち早く察知して相手を入らせないし飛ばせない。僕もそこは得意なのでわかりますけど、本当にうまいですよね。今では神戸の戦術の柱で、彼の出来で勝敗を分けるくらいの存在だと思います。
2位 佐藤寿人(元サンフレッチェ広島ほか)
もう"ザ・ストライカー"ですよね。エースとは何かと聞かれたら、寿人さんをイメージします。寿人さんは足元でいろいろやるタイプではないですけど、とくにペナルティーエリア内の駆け引き、相手の裏を突くというところは、ずば抜けていました。
寿人さんで印象にあるのは、やっぱりワンタッチゴール。簡単なように見えるのは、そこまでの駆け引きで完全に相手のマークを外しているということですよね。そのワンタッチに至るまでを逆算した動き出しが、僕はすごいと思います。
僕と違うのは、寿人さんは自分のタイミングで動き出して、出し手に合わせろと要求するタイプ。僕は出し手のタイミングに合わせて動くタイプなんですよね。だから青ちゃん(青山敏弘)とか、柏木陽介は大変だったと思いますけど、寿人さんに育てられたと思いますね。
【3年連続得点王なんて考えられない】
1位 大久保嘉人(元セレッソ大阪、ヴィッセル神戸、川崎フロンターレほか)
寿人さんとどっちか迷ったくらい、ほぼ同率の1位という感じで、大久保嘉人さんを1位に選びました。これは寿人さんと同じですけど、「俺が決めて勝たせる」という、ゴールに対する貪欲さですよね。
とくに川崎に移籍してからは「凄すぎる」としか言いようがないです。チームメイトとか、川崎の攻撃的なサッカーに恵まれた部分もありますけど、3年連続得点王なんて考えられない。
川崎に移籍するまでは、中盤で組み立てに参加して、多くのことをやらなければいけなかったり、思うようなプレーができなくて苛立つようなシーンもあったと思うんですよね。でも川崎に来てからは、自分が下りなくても後ろがしっかりとしているから、真ん中での駆け引きに集中できていたと思います。
よりゴールに近いところでプレーできて、相手からすると本当に怖かったです。いつもニコニコしながらプレーして、楽しそうでしたよね。
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興梠慎三
こうろき・しんぞう/1986年7月31日生まれ。宮崎県出身。鵬翔高校から2005年に鹿島アントラーズ入り。2007〜09年の鹿島のリーグ3連覇に貢献。2013年からは浦和レッズでプレーし、9シーズン連続二桁ゴールなど得点を量産。AFCチャンピオンズリーグ制覇ほか数々のタイトル獲得に貢献した。2022年は1シーズン北海道コンサドーレ札幌でプレーし、浦和に復帰。J1通算2位の168ゴールを記録し、2024年シーズンを最後に現役を引退した。2025年から浦和のパートナー本部パートナー営業担当とアカデミーロールモデルコーチとして活動している。