
世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第14回】クロード・マケレレ(フランス)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
第14回で紹介するヒーローは、レアル・マドリードやチェルシーの全盛期を陰で支えた守備的MFクロード・マケレレだ。無尽蔵なスタミナで中盤を支配し、鋭い読みでボールを奪い、効果的な縦パスでチャンスを生む──。流れるような美しいプレーは「マケレレ・ロール」と呼ばれ、相手チームは畏敬の念すら抱いた。
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ハーフスペース、デスマルケ、カバーシャドウ......。近ごろのサッカー用語は難解だ。サリーダ・ラボルピアーナとか言われると、もうチンプンカンプンである。後方からゲームを組み立てるための仕組みらしい。
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マケレレ・ロールはわかりやすい。ロール(ROLE)は英語で役割・任務であり、マケレレとはクロード・マケレレを指している。
サッカー史上に名を残す名手だ。ナント、マルセイユ、セルタ、レアル・マドリード、チェルシー、パリ・サンジェルマンと、所属したすべてのクラブで高く評価され、フランス代表でも長きにわたって主力を務めた。
身長174cm、体重66kg。体格には恵まれていなかった。マケレレが全盛期を迎えていた2000年代のサッカー界に、彼ほど小柄な守備的MFはいなかった。フランス代表の同僚パトリック・ヴィエラは192cmの居丈高で、マンチェスター・ユナイテッドのマイケル・キャリックも188cmの長身だった。
それでもマケレレは、身長のハンデを苦にしなかった。素早く、正確な読み・予測に基づくポジショニングは秀逸だった。気配すら感じさせずに忍び寄り、ボールを絡めとる。瞬時にスペース、ギャップを修正する。
しかも、ユニフォームをあまり汚さず、いとも簡単にひとりでふたり分の仕事をまっとうしていた。
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【銀河系はマケレレ離脱とともに崩壊】
「なぜクロードを手放すのか、俺には理解できない」
マケレレがレアル・マドリードからチェルシーに移籍した時、滅多に感情をあらわにしないジネディーヌ・ジダンが公(おおやけ)の席で不満を口にするほどだった。
2000年代初頭、レアル・マドリードの乱獲が始まった。宿敵バルセロナとの間で依然として大きなしこりを残すルイス・フィーゴの引き抜きを皮切りに、ジダン、ロナウド、デビッド・ベッカム......。こうしたスーパースターに既存のラウル・ゴンサレス、フェルナンド・モリエンテスまで含まれる陣容は、まさしく「銀河系」だった。
しかし、この銀河系軍団は重心が前にかかりすぎている。相手ボールになった際のリアクションは、誰もが気まぐれだった。バランスは最悪で、サッカーの常識としてはありえない構成だ。
この窮状をひとりで支えていたのが、マケレレである。
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小柄で敏捷(びんしょう)、なおかつ運動量豊富であり、技術的にも対人能力も申し分なかった彼は、守りに興味を示さない男たちのわがままをクールにコントロールしていた。
特に左サイドである。ジダンは勝手気ままに動き回る。ロベルト・カルロスは「戦局など知ったことか」と上がってくる。広大なスペースができる。
ここにマケレレが現れるのだ。
ピンチの芽を未然に摘むとともに、攻め残っていた者に的確なパスまで配する。銀河系とは絢爛豪華なアタッカーではなく、マケレレこそが主軸であったことは、衆目の一致するところだ。
ただし、フロレンティーノ・ペレス会長はわかっていなかった。もともと守備者を軽視する傾向にあり、マケレレが自らの仕事に見合う額の年俸を要求すると直ちに却下。チェルシーに手放したのである。
この人事が、先述したジダンの発言──なぜクロードを手放すのか、俺には理解できない──につながる。
マケレレが入団した2000年以降の3シーズンで、レアル・マドリードはラ・リーガを2度、チャンピオンズリーグを1度制した。彼が退団した2003年以降、タイトルを再び獲得するまで3年を要している。
銀河系は、マケレレ離脱とともに崩壊した。
【マケレレに粋なプレゼント】
2003年夏、マケレレはチェルシーに新天地を求め、翌年には名将ジョゼ・モウリーニョが着任した。前線にディディエ・ドログバ、中盤にはフランク・ランパード、DFにもジョン・テリー、GKペトル・チェフなど、要所に超一流を揃える強豪だ。
モウリーニョ監督は常に守りのバランスを重視していた。レアル・マドリードに比べると、マケレレにとっては好ましい環境だ。
相手ボールになった瞬間、ドログバとエイドゥル・グジョンセンの前線はボールホルダーを追いかけ、少なくともパスコースを限定する。ボックス・トゥ・ボックスの運動量を武器としていたランパードが身体を張り、ダミアン・ダフ、ジョー・コール、アリエン・ロッベンは守備時の1対1こそ弱かったものの、最終ラインに多大な負担をかけるようなマネはしなかった。
モウリーニョ監督が築いた堅守チェルシーのなかでも、アンカーに位置したマケレレは際立っていた。失点に直結したり、最終ラインが混乱をきたしたりするようなイージーミスは一度も犯していない。
「コーチングする前に、クロードがスペースを埋めている」(チェフ)
「前につり出されても、クロードが必ずカバーしてくれるから、思いきって勝負できる」(テリー)
当時の資料を紐解くと、チーム内の絶対的な信頼がうかがい知れる。
だからこそモウリーニョ監督は、粋なプレゼントでマケレレの労をねぎらったのだろう。37節のチャールトン・アスレティック戦で、すでに優勝を決めていたチェルシーはPKのチャンスを得た。通常はドログバ、もしくはランパードがキッカーだ。しかし、モウリーニョ監督はマケレレを指名する。
小さなビッグヒーローのキックは相手GKに一旦は阻まれたものの、リバウンドを彼本人が丁寧に決めた。ドログバとランパードが祝福する。モウリーニョ監督とコーチングスタッフも、穏やかな笑顔を浮かべている。チェルシーサポーターの脳裏に焼きついているシーンではないだろうか。
【後世に語り継がれてしかるべき】
2004-05シーズンはマケレレの奮闘もあり、2位アーセナルに12ポイント、3位マンチェスター・Uに18ポイントの大差をつける圧勝だった。しかも、わずか15失点。この記録は今も破られていない。
マケレレはチェルシーに5シーズン所属し、リーグとリーグカップが2回ずつ、FAカップも1度制している。フランス代表では2006年ドイツワールドカップの準優勝に貢献した。
アンカーというポジションから、ゴール、アシストで特筆すべき数字は残していない。争いごとを好まないため、メディアのヘッドラインを飾るようなコメントも発しない。アスリート化する一方の近代サッカーにおいて、「マケレレ・ロール」はいずれ死語になるかもしれない。
だが、かゆいところに手が届くようなポジショニングには、サッカーの醍醐味が凝縮されていた。
クロード・マケレレは唯一無二。後世に語り継がれてしかるべき、飛びきり優れたアンカーである。