
元気な時には、どこにでも行きます――。そう話しつつ、自身の未来を明るく切り開いているのは先天性の脳性麻痺により、四肢麻痺であるゆいさんだ。腫瘍ができやすく、時々、摘出手術も受けている。
【写真】2015年にボストンへ留学 公共交通機関を使ってひとりで外出もできました
アクティブなゆいさんは過去に海外留学をし、「心のバリアフリー」を深く考える機会を得た。現在は、画家やイラストレーターとして活躍するという熱い夢を抱いている。
小学校から大学まで普通学校に通うも「いじめ」に苦しんで…
ゆいさんは生後10カ月ほどの頃、脳性麻痺と診断された。車椅子は幼少期から、ゆいさんの足だった。
小学校から大学までは、両親や地域の方による働きかけで普通学校に通った。だが、学校生活は楽しいものではなかったそう。
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「高校までは、いじめにあっていて…。その頃は集団行動が苦手だったり、言葉の受け取り方に偏りがあったりする自分の特性に気づいておらず、もどかしさを言語化することもできませんでした」
なお、ゆいさんは昨年、発達障害の検査を受けたところ、対人関係が苦手、強いこだわりがあるなどの特性が見られる「自閉症スペクトラム症(ASD)」の傾向があるとの診断を受けたという。
海外留学をしたのは、大学生の頃だ。きっかけは当時、通っていたリハビリ先の利用者さんの親御さんが口にした言葉を聞いたことだった。日本より海外のほうが、福祉が進んでいる。車椅子ユーザーである息子を留学させたいくらい――。そう聞いたゆいさんは、自分の目で“実情”を確認したいと思ったのだ。
小学生の頃から学外でも英語を学んでいたゆいさんはまず、大学の長期休みにニュージーランドへ2週間、語学留学をした。だが、短期間の留学では物足りなく感じ、株式会社ダスキンが行う「ダスキン愛の輪基金障害者リーダー育成海外研修派遣事業」へ応募した。
5カ月間の海外留学を通して得た「自立心を育む成功体験」
「ダスキン愛の輪基金障害者リーダー育成海外研修派遣事業」とは、地域社会のリーダーとして貢献したいと願う障がいのある若者を障害者福祉の先進国に派遣する事業だ。
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ゆいさんが参加した時にはアートが心や身体、脳に及ぼす影響をテーマとし、「自身の障害はアイデンティティなのか」を話し合う機会も設けられていたそう。
5カ月間の留学生活でゆいさんが得たのは、自立心を育む多くの成功体験だった。
「人目を気にして流されやすかったけれど、自己決定を優先できるようになりました。留学前はひとりで外出できなかったのに、留学先では公共交通機関を使ってひとりで外出できた。これは、後の人生に大きな影響を与えてくれました」
その一方で、日本とは違うはっきりとした物言いや「反論」というコミュニケーション法に慣れることは難しく、自分の意見が埋もれたり、現地のヘルパーさんとの意思疎通が上手くいかなかったりしたことはあった。
ただ、そうした経験があったからこそ、「声を上げなければ埋もれる」「言葉にしなければ伝わらない」と痛感し、自分の想いを伝える訓練に力を注ぐようになったという。
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「そうやって努力すると、コミュニケーションが円滑に進むことが増え、物理的にバリアフリーが進んでいない場所でも、みなさんが温かく手を貸してくれるようになりました。そういう状態になると、私が何も発さない時には、その選択自体を尊重してくれるようにもなって…。心のバリアフリーを強く意識する経験になりました」
リモートで接客できる「分身ロボットカフェ」との出会い
だが、大学卒業後に立ちはだかったのは就労の壁。通勤必須の仕事や素早い処理速度を求められる仕事は身体的に難しく、就活は難航した。
そんな時、知ったのが、株式会社オリィ研究所が運営する「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」だった。このカフェでは障害や病気、介護など様々な理由で外出困難な人が自宅から“分身ロボット”を遠隔操作し、接客業を行う。
コミュニケーションスキルを活かして働けるリモートワークがあるなんて…。驚いたゆいさんは実際に「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」で働いている人に話を聞いた上で、1年後、パイロット(※分身ロボットであるOriHimeを操作する人)の募集を見かけ、応募した。
実際に働いてみると、“離れていても人と繋がれている”と感じられて嬉しかったという。接客時には、いつも「お客様と共にその場にいる」と思えるのだ。
「OriHimeでの出会いを機に意気投合して、オフラインで会うようになった方もいます。OriHimeは海外でも注目されているので、いつか接客を機に知り合えた外国人の方にも会いに行きたいです」
「手のリハビリ」から始まった“イラストレーターへの夢”
人との繋がりによって人生がより豊かになっていったゆいさんには、叶えたい夢がある。それは、身体を労わりながらイラストレーターや画家として活動することだ。
実はゆいさん、絵が得意な父親の影響で幼少期から「手のリハビリ」として絵を描くようになり、アートの世界にどんどん惹かれていった。
絵を描くことは、趣味にとどめておこう。そう思っていたが、大学生の頃、心境に変化が。大好きな外国人の教授にクリスマスのポストカードをリクエストされ、製作したところ、「ゆいのイラストは仕事になる。お金をもらうべきだ」と、力説されたのだ。
「個展や海外展開もしたい。その際は、できれば障害を含めた自身の背景がフォーカスされるのではなく、作品自体を好きになってもらえたら幸せです」
自分の役割が確立された中で無理なく働ける選択肢が、より増えてほしい。そして、障害者も就労に見合う十分な対価が貰える社会であってほしい。そう、ゆいさんは願う。
「対価の話は、脳性麻痺の人だけに当てはまることではありません。どんな障害がある人も、就労の面でも平等に尊重される世の中になってほしいです」
他人と足並みをそろえずに「私のまま」で生きる
ゆいさんは現在、福祉制度を利用しつつ、ひとり暮らしをしている。現在、体の状態は、つかまり立ちならできるものの、場合によってはバランスを崩してしまったり、足が絡んで動けなくなってしまったりするそう。
「全身の緊張(特に足)が強く、体幹も弱いので何もないところでの立ち座りは上手くバランスを取れません」
そこで、毎日2時間ほど、ヘルパーさんに来てもらいつつ、可能な限りひとりで行動して自分らしい日々を送っている。だが今の生活環境を整えるまでには、大きな苦労や心ない言葉を向けられることもあった。
だからこそ、ゆいさんは自分たちのような障害者が“どこにでもある何気ない幸せ”を望みながら、日常の中に当たり前に溶け込んでいることを知ってほしいと語る。
「心身に不自由さを感じていても、自己実現したいと思うことは健常者と何も変わりません。そういう見方が幼少期から根付く社会であってほしい」
苦しかった高校生活も視野が広がった大学時代も留学経験で得たものも、全て自分の強み。この境遇だから、寄り添える部分やできることがある。そう言えるようになったゆいさんは、他人と足並みをそろえようと心に鞭を打たず、“今の私で生きること”を大切にしている。
「より広い世界を見たり多様性に触れたりしたことで、『この私でいい』と思えるようになりました。人と違うことを受け入れるのは時間がかかるし、難しい。でも、逆手に取れる時には積極的に活かしていきたいです」
様々な経験をしてきたゆいさんだからこそ、描ける絵はきっと多い。その感性から生み出される作品が楽しみだ。
(まいどなニュース特約・古川 諭香)