これはすごい……! 「博多駅・福岡空港」周辺の様子を“年代別”に比較→“約75年間”の激変に思わず仰天

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2025年05月25日 12:28  ねとらぼ

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“約75年間”の変遷を見ていきます

 国土地理院のWebサイト「地理院地図」では、ある場所の上空からの景色を年代別に見ることができます。今回は、博多駅および福岡空港周辺の上空写真を、昭和前期から2020年代まで約75年にわたって見比べてみました。


【画像】変遷を見る


●1945〜1950年


 現在の福岡空港周辺には、もともと旧日本軍の「席田(むしろだ)飛行場」がありました。この飛行場は1944年に建設が開始され、翌45年5月に完成。しかし、終戦によって、同年10月にはアメリカ軍の管理下に入りました。


 また、米軍による接収後は、「板付(いたづけ)飛行場」と名前を変えました。1951年からは民間路線の営業も始まり、福岡‐大阪‐東京をつなぐなどしました。


 なお、博多駅は1889年に設置されたのですが、この時期はまだ別の場所にありました。当時は、現在の博多駅からみて北西に数百メートルの位置でした。旧博多駅の一部はいまでは“出来町公園”という公園になっており、「九州鉄道発祥の地」という碑が設けられています。


●1961〜1969年


 博多駅が現在の位置に移りました。かつて田畑だった場所に、駅舎や線路が目立ちます。周辺には広い道も整備されたようです。福岡空港も、現在の滑走路の原形が整ってきました。


●1974〜1978年


 ここからはカラー写真です。博多駅周辺は、すっかり大きな建物が目立つようになりました。また、1970年には板付飛行場の管轄が日本に戻ることが決定され、1972年には現在の「福岡空港」という名前に変わりました。この写真の時期は、まさに福岡空港が福岡空港になったばかりのころです。


●1987〜1990年


 このころは、福岡空港周辺の山の開発が進んだようです。競技場のようなものが新たに複数見えるようになりました。また、福岡空港そのものも拡張されており、すでに複数のターミナルがある体制になっていました。


 博多駅周辺は区画がさらに整然とし、現在に近い姿が見受けられます。


●2007年


 福岡空港の滑走路が葉脈状に変わりました。この時期には滑走路の東側が国内線、西側が国際線に分かれたため、どちらからも滑走路に入りやすくなっています。


●2020年


 博多駅に、2011年完成の巨大な駅ビル「JR博多シティ」が見えます。


 ともに九州の玄関口として機能してきた博多駅と福岡空港。戦後から現在までの変遷には、街の発展の歴史が詰まっていました。


●参考文献


・地理院地図(電子国土Web)


・福岡空港「福岡空港について」


・九州地方整備局港湾空港部「福岡空港の概要2(※)-1-2」 ※正しくはローマ数字の2


・福岡市「板付基地」


・三井住友トラスト不動産「福岡・博多」


●文:近藤仁美(こんどう・ひとみ)


クイズ作家。国際クイズ連盟日本支部長。株式会社凰プランニング代表取締役。これまでに、『高校生クイズ』『せっかち勉強』等のテレビ番組の他、各種メディア・イベントなどにクイズ・雑学を提供する。国際賞「Trivia Hall of Fame(トリビアの殿堂)」殿堂入り。著書に、『クイズ作家のすごい思考法』『人に話したくなるほど面白い! 教養になる超雑学』などがある。



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  • 祇園にあった頃の博多駅。すさまじい混雑に駅舎が対応しきれず、引っ越しでもしなければどうにもならなかったらしい。
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