緩和ケア医・萬田緑平さんが死亡診断書に《ウルトラマン》と──4歳の息子を白血病で失った父が語る「感謝」と「その後」

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2025年06月15日 11:10  web女性自身

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【前編】4歳から102歳まで計2千人を自宅で看取った緩和ケア医・萬田緑平さんの信条「僕は“看取り屋”ではなく“生き抜き屋”」から続く



余命宣告後に在宅緩和ケアを選択した末期がん患者とその家族たちを描いたドキュメンタリー映画『ハッピー☆エンド』が公開中だ。患者も家族も屈託のない笑みを浮かべているのが印象的。そして主人公の緩和ケア医・萬田緑平医師(61)の笑顔が光る。



もし最期の時間を過ごす場所を、病院ではなくて住み慣れた我が家にすると決めたなら。笑顔あふれる「いい日、旅立ち。」のため、萬田医師は今日も患者たちのもとへ向かう──。



萬田医師が大事にしているのが“体の元気より、心の元気”だ。



「体の痛みは、モルヒネなどの医療用麻薬を上手に使えばコントロールできます。痛みは体を弱らせます。がんで死ぬのは、がんが大きくなったからではなく、抗がん剤で体が弱るか、痛みで弱ってしまうから。痛みと闘う必要はありません。医療用麻薬を警戒している患者に正しい情報を届けるのも僕の大切な仕事です。



それ以上に大事なのは心のケア。それができるのは患者の家族や親しい友人だけ。僕は看取る人と約束を交わします。それは患者の意識がはっきりしているうちは、できるだけ早く『ありがとう』という感謝の言葉を伝えること。『ありがとう』は、残りの人生を心豊かに過ごすための最高の薬なのです」



萬田医師が“生き抜き屋”として関わった人のなかには、ウルトラマンになることが夢だった青木一馬君という男の子がいる。



3歳で急性リンパ性白血病を発症した一馬君は、約1年の治療期間を経て、’19年10月に4歳8カ月で亡くなった。その最期の11日間を群馬県渋川市の自宅で過ごしたという。父親の青木佑太さん(42)がこう振り返る。



「家での看取りをケアする訪問看護ステーションで作業療法士として働いているから、いつかは一馬も家で看取ってあげたいという思いがありました。



でも親だったら我が子の死を認めたくありません。『余命宣告』のあとに、ボランティア団体『メイク・ア・ウィッシュ』のはからいで、ウルトラマンに会えたあと、一馬の体調がすごくよくなったことがありました。試せる抗がん剤治療がなくなったと言われても、いつか奇跡が起こるのではないかと考えていました」





■萬田先生は一馬君の前に、ピエロの格好で現れた



主治医に紹介されて診療所を訪れた佑太さんと妻に、萬田医師は「一馬君の最期のときって、いつですか? 具体的に」と質問した。



「私は答えられませんでした。息子の死が来ることなんて考えられません。でも妻が『今なのかもしれません』と言ったんです。そして先生は『今やっているのは延命治療ですよね』とはっきりと。親なら1分1秒でも長く生きてほしいと思うのは当然ですが、一馬君はどう思っているのでしょうか? とも言いました。



そして、一馬が望んでいることをかなえ続けてあげるように努力しようと言われました。私は一馬が病院にいたくないことを知っていましたが、奇跡を待って我慢させていました。家に帰りたいという一馬の気持ちに向き合えていなかったのです」(佑太さん)



青木夫妻は一馬君と“笑顔でバイバイ”するために自宅に戻すことに決めた。佑太さんが続ける。



「退院して家に帰ることを伝えたら、萬田先生は自宅で待っていると。家に着いたら、先生がピエロの格好で現れたんです。大きな赤い鼻をつけて、ブーブーと鳴る笛を吹きながら。一馬は体調が悪くて“なに、この人?”と全然笑いませんでしたが、少しでも一馬が喜ぶことをやってくれたんですよね。うれしかったです」



家に帰ってきて10日目のことだった。佑太さんのあぐらの上に座っていた一馬君が、遊びに来ていた従兄弟を一人ずつ呼び出した。そして「大好きだよ」と笑顔で伝えていったという。



「別れの挨拶でした。一馬の妹も気になったようでそばに寄ってきました。一馬は妹にも『もちろん大好きだよ、だって一人になって寂しいじゃん』と。4歳だから自分が死ぬことはわからないと私は思っていました。でも一馬は自分の命が少ないこともすべてわかっていて、心を込めてみんなに『大好きだよ』と言って感謝の気持ちを伝えたのです」(佑太さん)



翌日、一馬君は両親の腕の中で息を引き取った。「天国に行くまでずっと一緒だよ」「ずっと、ずーっと愛しているよ」「パパとママの間に生まれてきてくれてありがとう」という両親の声を聞きながら──。



そして今、佑太さんは作業療法士の仕事をしながら、妻と一緒に週に1回、群馬県立小児医療センターで「fufufu-soup」というキッチンカーを出している。一馬君が病魔と闘った病院で、入院する子どもの付き添いの家族に温かい食事をと、低価格でおにぎりとスープを提供している。



「正義感が強くて社交性の塊だった一馬に喜んでもらえる生き方をしたいんです。一馬とは『また会えるよね』と約束したから、いつかきっと会えるし、そのときに『さすがパパだね』と言ってもらえるような人生にしたいんです」



このキッチンカーには、時々、『千と千尋の神隠し』のカオナシの着ぐるみ姿で客寄せをする人が現れる。一馬君の死亡診断書に《死亡診断書名 青木一馬 カルテ名 ウルトラマンカズマに変更(変身)》と書いた萬田医師だ。



(取材・文:山内太)

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