※本稿で採り上げる作品および本稿に、差別的な意図はないということを、あらかじめ明記しておきます。(筆者)
大越孝太郎の問題作『天国に結ぶ戀』の単行本が、先ごろ、加筆修正を施した「新装版」として、青林工藝舎より復刊された。2000年から2001年にかけて、伝説の漫画雑誌「ガロ」(青林堂)にて連載された同作は、「虹彦・ののこ」という双子の兄妹の数奇な運命を描いたビルドゥングスロマンである。
2001年に刊行された旧版の単行本は、長いあいだ絶版状態であり(また、それにともない古書価も高騰しており)、再販を望む声も少なくなかったのだが、その描かれているセンシティブな内容から(後述する)、復刊されることはまずないだろうと考えられていた。
『天国に結ぶ戀』の序盤の舞台は、大正時代の帝都・東京。出版業を営む宇佐美家には、ある“秘密”があった。それは、人知れず藏に幽閉されて育てられている、「虹彦・ののこ」という双子の兄妹の存在である。
聡明な兄の虹彦と、生まれて以来、6年ものあいだ眠り続けている妹のののこ。実はこのふたりは腰のあたりでつながった「癒合双体兒」であり、出版社社長である父は、彼らの存在を「恥」だと思い、世間の目から隠し続けているのだった。
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そして、大正12年9月1日――帝都を未曾有の大地震(関東大震災)が襲う。倒壊し、炎上する屋敷から逃げ出した虹彦とののこは、家族と離ればなれになり、やがてののこは目覚めるものの、紆余曲折の末、見世物小屋(寿一座)を取り仕切る「ハクダミ」という男に買われることに。
虹彦とののこは、そこで歌や踊りを仕込まれ、持ち前の愛くるしさも手伝って、一座を支える人気者になるのだったが、それは彼らにとって、過酷な運命の始まりに過ぎなかった……。
凄い物語だ。大越孝太郎は、1986年のデビュー以来、一貫して「猟奇」というテーマで漫画を描き続けている異才だが、本作でもその猟奇趣味は全開である。しかし、主人公のふたりはもちろん、見世物小屋にいる芸人ひとりひとりの描写を見ても明らかなように、作者は、“人とは違う姿に生まれた人たち”のことを決して興味本位で描いてはいない。むしろ、“普通の人間”たちの方が、外見も内面も怪物のように描かれているといっていいだろう(ただし、虹彦たちの母と姉、一時的にふたりの保護者となる水澤家の妻、そして、寿一座の小梅など、作中に出てくる女たちは、ことごとく優しいのだが――)。
そう、誤解を恐れずにいわせていただければ、大越のいう「猟奇」とは、単なる奇異なもの、異常なものへの関心ではなく、マイノリティに対する共感と応援の表われなのだと私は思う(とはいえ、そうした作者の考えを際立たせるために、残酷な描写が要所要所で出てくるのは事実なので、その手の表現が苦手な方はご注意を)。
本作では、徹底的に「差別」する側が非難されている。だが、この差別というものには際限がない。なぜなら、差別を受けた者は、さらに自分よりも弱い――「下」の存在を見つけて差別しようとするものだからだ。そして、その負の連鎖は、さらに、下へ、下へ、と永遠に続いていく……。だからこの世界から差別がなくなることはない。
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前述のハクダミは、虹彦たちから自由を奪ういわば“悪役”だが、こんなことをいってもいる。「差別ってヤツは、無くすことは出来ねェが、忘れちまうことは出来る。人の情でもってな」
かつて自らも差別される側の存在だったハクダミにとっては、多くの人々から愛され、逆境の中でも強く生きていこうとする虹彦とののここそが、希望の光なのだ。だから彼は、本来は悪役でありながら、最終的にはふたりにとってのメンターにもなりえたのだろう。
物語のクライマックス――そんなハクダミの想いを受け止めた虹彦たちの“決断”については、ぜひその目で確認されたい。
なお、本作には、単行本には収録されていない「第二部」が存在する。残念ながら現時点では、第1話のみが描かれ(「ガロ」2002年7月号掲載)、第2話以降は中断している状態だが、今回の新装版の刊行をきっかけとして、何か新たな動きがあることに期待したい。
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