
金子侑司インタビュー(中編)
12年の現役生活で多くの投手と対戦してきた金子侑司氏。そのなかで印象に残った投手3人を挙げてもらった。また、同じ打者として驚愕した3人の打者とは?
【打てないと思った3人の投手】
── これまで金子さんが対戦して、最もすごかった投手は誰ですか?
金子 打てないと思ったのは、2014年の金子千尋投手(当時・オリックス)です。この年は最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得して、沢村賞にも輝きました。リーグ優勝はソフトバンクでしたが、MVPも受賞するなど圧倒的なピッチングでした。
── 具体的に、金子投手のどこがすごくて打てないと感じたのですか。
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金子 多彩な変化球ですね。プロ野球のピッチャーといえども、得意な変化球、苦手な変化球があるものですが、金子投手は全球種でストライクが取れます。ストレートはもちろん、カーブ、スライダー、シュート、カットボール、フォーク、チェンジアップ......。
── たしかに、球種の多さはダルビッシュ有投手(現・パドレス)と双璧でした。
金子 初球ストレートでストライクを取られ、「次は何が来るんやろう」「今度は何?」と変化球で翻弄され、最後はまたインコースに150キロのストレート。「あっ、ストレート忘れてた......」みたいな感じです。しかも、コントロールもめちゃくちゃくいい。特に(オリックス本拠地の)京セラドームでは無双していました。
── 2人目は誰でしょうか?
金子 千賀滉大投手(当時・ソフトバンク/現・メッツ)です。
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── 千賀投手といえば、160キロに迫るストレートと"おばけフォーク"です。
金子 2022年に164キロを出したように、とにかくストレートが速くて、大きく鋭く落ちるフォークもある。わかっていても、なかなか打てません。2016年から7年連続2ケタ勝利を挙げて、MLBに挑戦。千賀投手がすごいのは、毎年のように貯金を5つ以上稼いでいること。金子(千尋)さんと違って球種自体は少ないですが、一つひとつが強烈でした。
── 3人目は誰でしょうか。
金子 山岡泰輔投手(オリックス)です。フォークのような独特の軌道の縦スライダーで、「この球は一生打てない」と思いました(笑)。2019年に13勝4敗、勝率.765で最高勝率のタイトルを獲得しましたね。
── どの投手もインパクトある活躍が印象的です。
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金子 たまたまですが、みんな右投手になってしまいましたね。ほかにもすごい投手、すごい左投手はたくさんいたのですが、3人となるとこの投手になりました。
【僕もあんな選手になりたかった】
── 次に、同じバットマンとして「すごいと思った打者」は誰ですか。
金子 まずギータさん(柳田悠岐/ソフトバンク)ですね。
── 柳田選手のすごさとは?
金子 マン振り(フルスイング)して、シーズン100三振以上するのに、打率.350以上で首位打者を獲ってしまう。それにバックスクリーンを破壊するほどの強烈な打球も飛ばす。さらに"トリプルスリー(3割、30本塁打、30盗塁)"もやってしまう。マスクもいいですし、僕は今のプロ野球選手で一番カッコいいと思います。僕もあんな選手になりたかったですね(笑)。
── 次は誰ですか?
金子 コンちゃん(近藤健介/ソフトバンク)ですね。まるで機械のような安定感がすばらしい。大きなスランプがなく、毎年コンスタントにハイアベレージを残します。規定打席に到達したシーズンは7度あるのですが、すべて打率6位以内です。
── 近藤選手は選球眼がよくて、四球をたくさん選んでいる印象があります。
金子 ソフトバンクに移籍してからは、そこに長打力と勝負強さが加わった気がします。2023年は本塁打王と打点王の二冠を達成し、昨年は首位打者です。手がつけられない打者になりましたね。
── 3人目は誰になりますか。
金子 同い年のアサ(浅村栄斗/楽天)ですね。西武時代はチームメイトで、僕より4年早くプロ入りしました。寡黙なところがあって、打ち解けるのに3年くらいかかった気がします(笑)。
── 浅村選手のすごさは具体的にどんなところですか。
金子 最近少なくなってきた、まさに"右の強打者"という感じです。打っている姿がカッコいい。アサもギータさん同様にマン振りして、本塁打王2回、打点王2回と長打力と勝負強さを兼ね備え、逆方向にも打てる。今季通算2000安打を達成しましたが、心から祝福したいですね。
つづく
金子侑司(かねこ・ゆうじ)/1990年4月24日生まれ、京都府出身。小学生時代にラグビーと並行して野球を始め、中学時代は硬式野球クラブチームの京都嵐山ボーイズに所属し、両打ちに挑戦。立命館宇治高に進学後は遊撃手として高校2年春からレギュラーとなり、高校通算20本塁打。立命大でも1年春からリーグ戦に出場し、3年時に大学日本代表に選出された。2012年ドラフト3位で西武に入団。1年目から開幕スタメンを果たし、初打席初安打を記録。16年、19年に盗塁王のタイトルを獲得。24年シーズンを最後に現役引退。引退後は野球解説者をはじめ、野球教室のコーチを務めるなど精力的に活動し、25年にはジュエリーブランド「KANOA jewelry」を立ち上げ、経営に携わっている