
カルロ・アンチェロッティがセレソン(ブラジル代表)を率いて最初の2試合で、ブラジルは2026年ワールドカップ出場を決めた。
アンチェロッティが最初に行なったアプローチは明確で的確だった。それは欠けていた冷静さと落ち着きをセレソンにもたらすこと。試合前の代表のキャンプでは、セレソン恒例の「熱いけれども中身のない鼓舞」は姿をひそめ、落ち着いた雰囲気がチームを支配していた。
また、ほんの10日足らずの間に、アンチェロッティは前任の4人の監督が数カ月かけても成し得なかったものをチームにもたらした。戦術的な柔軟性だ。アンチェロッティは今回3つの異なるフォーメーションを採用している。エクアドル戦では攻撃的な4−3−3で、パラグアイ戦では軽快でスピード感のある4−2−4で絶え間ないプレスを仕掛け、さらに複数の局面で3バックも試みている。
エクアドル戦ではカゼミーロ(マンチェスター・ユナイテッド)、ブルーノ・ギマランイス(ニューカッスル)、ジェルソン(フラメンゴ)が中盤を構成し、エクアドルの激しい攻撃を食い止め、困難なアウェー戦に耐えた。そのおかげでブラジルは試合を0−0で終了することができたが、中盤に創造性がなく、相手を脅かすような攻撃にも欠けていたのは明らかだった。
だが、2戦目のパラグアイとの試合では、アンチェロッティのブラジルは一戦目とはまるで異なる顔を見せる。激しいプレッシングにより、相手のビルドアップを封じ、ダイナミックな4−2−4では、4人のアタッカーが起用された。ガブリエル・マルティネッリ(アーセナル)、ラフィーニャ(バルセロナ)、マテウス・クーニャ(ウルヴァーハンプトン)らが同時多角的なプレッシャーをかける一方で、ヴィニシウス・ジュニオール(レアル・マドリード)は自由に動き回る役割を与えられる。彼の縦横無尽な動きが、スペースを開け、最終的にブラジル唯一のゴールを生み出した。
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守備面も統率がとれていて、過去3年間で見られたような無秩序でバラバラなマークではなかった。攻撃的なサイドバックであるヴァンデルソン(モナコ)も、守備面での貢献を称賛された。そしてチームの結束力が、GKアリソン・ベッカー(リバプール)にほぼ仕事をさせずに済んだ。これは非常にいい兆候だ。
【ホーム戦でブーイングが起こらない!】
パラグアイのグスタボ・アルファロ監督も、ブラジルのプレッシャーに対抗する難しさを認めた。マルキーニョス(パリ・サンジェルマン)、アレックス・サンドロ(フラメンゴ)、カゼミーロがサイドバックのサポートを受けて絶え間ないプレスを仕掛けたこと、ブルーノ・ギマランイスがパラグアイの選手たちに与えた「息が詰まるような」プレーなどを称えた。
アンチェロッティが発表した今回の招集メンバーには、いくつかのサプライズがあった。これまで予選で起用されていなかった選手たちがチームに戻ってきたのだ。ダニーロ(フラメンゴ)、カゼミーロ、マテウス・クーニャ、リシャルリソン(トッテナム)らだ。
ブラジル国内でプレーしているウーゴ・ソウザ(コリンチャンス)のように、アンチェロッティがあまり知らないはずの新顔の選手も含まれていた。さらに、ヨーロッパでプレーしているものの無名に近いアレクサンドロ・リベイロ(リール)なども招集された。
勝利以外にアンチェロッティが生み出した成果は、観客にブーイングをさせなかったことだ。2022年以降、ホームゲームでブーイングが起こらなかった試合は初めてだった。これはチームとサポーターとの間に新たなフィーリングが生まれたことを示す。
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それだけではない。選手同士、そしてコーチとの間に、「皆で勝利を目指そう」という共通の気持ちが芽生え始めた。これまでのセレソンと比べると、これはものすごい出来事であり、なによりブラジルが先に進むために非常に重要なことだ。そしてこれらすべてはアンチェロッティのおかげなのだ!
もちろん、これですべての問題が解決したわけではない。依然として課題は残っている。
かつて創造性と才能で名を馳せたブラジルの攻撃陣は、現在ではゴールチャンスを作ることに苦しんでいる。ネイマールの負傷やルーカス・パケタのピッチ外での問題(賭博容疑で告発)によって、中盤の創造力は著しく貧困化している。守備面では組織的にはなってきているが、それでもなお脆弱だ。そして何よりこれまでの失敗のトラウマが、いまなおチームを苦しめている。
【アンチェロッティを待ち受ける問題の数々】
それに対するアンチェロッティのアプローチは的確だった。「これは戦いだ!」「我らが血のために!」などという大袈裟な表現をする代わりに、まず何より、落ち着いた環境をもたらしたのだ。アンチェロッティはブラジル人の欠点をよく理解していた。
「ブラジルの選手は自分たちの代表チームに強い愛着を持っている。しかし時にはその愛がプレッシャーを生み出し、彼ら本来のプレーを妨げることとなる」(アンチェロッティ)
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アンチェロッティの就任は、チームの心理面に変化をもたらすことができると私は思う。だが同時に、それだけでは不十分であるとも思う。なぜなら、ブラジル人というのは頭から足のつま先に至るまで感情に支配された生き物だからだ。そして感情をコントロールすることがうまくできないと、たちまちバランスを崩してしまうのだ。
2014年にブラジルが自国で開催したワールドカップを思い出してほしい。サッカー王国として優勝以外は許されないプレッシャーで、ブラジルは完全に自制心を失った。それがチーム史上最大の惨敗、1−7の悲劇を生んだ。相手のドイツがそれ以上ゴールするのをやめてくれなかったら、もっとひどい結果になっていたはずだ。
また、選手もいない。今のブラジルにはカフーやロベルト・カルロスのようなサイドバックはいない。公平な目で見ると、ブラジルの選手層は現在、アルゼンチン、スペイン、フランス、ポルトガルより劣っていると思う。今回の予選では、ブラジルは予選史上初めてベネズエラに勝つことができなかった。それも2度も。チームは凡庸で輝きもアイデンティティもない。
アンチェロッティなら競争力のあるチームを作り上げられるという期待は強いが、もうブラジルはかつてのような優勝候補の常連ではないのだ。
そして何よりも大きな疑問は、 アンチェロッティは、CBF(ブラジルサッカー連盟)のような複雑な組織下で完全な自主性を保てるのか、ということだ。
彼を2年間にわたって熱心に口説き、説得したエドナルド・コスタ会長はもういない。裁判所によって懲戒処分を受け、解雇された。ブラジル代表監督には外部から大きな圧力がかかる。特に、選手をチームに送り込みたい代理人たちからのプレッシャーは大きい。彼らは権力と人脈を駆使して、自らの選手をセレソンに入れようとしてくるだろう。コスタ会長という後ろ楯がなくなった状態のアンチェロッティはその干渉に耐えられるか。
もうひとつアンチェロッティが直面しなければいけない問題は、ブラジルの国民的テーマ「ネイマール」だ。アンチェロッティは彼を代表に復帰させるのか。それはいつなのか。
またその時、ヴィニシウス・ジュニオール、ロドリゴ、ラフィーニャは? 彼らのクラブでのプレーを、ブラジルの黄色いユニフォームを着ても実現させることができるのか。
ただ、アンチェロッティのメッセージははっきりしている。走り、プレスをかけ、努力する選手だけがセレソンの一員となる資格を得る。これはネイマールのようなスター選手たちにとって、間違いなく試練だろう。今のままでは彼らはこれらの資格に合致しない。
ブラジルが2026年のワールドカップに向かうまで、まだ予選残り2試合も含めて強化試合など10試合が残っている。アンチェロッティにとって、真のチームを築くための10試合だ。魔法使いのように、10試合で本大会に活用できる選手を次々と発見しなければならない。困難な道のりであるのは確かだ。
とにかくブラジル人にとって、何年ぶりかに方向性が見えてきた。少なくとも何かが起こるかもしれないという希望が持てるようになった。アンチェロッティは革命家ではないが、カメレオンのような存在かもしれない。変化し、柔軟に対応し、新しい「土壌」に適応する能力がある。
ブラジルではサッカーが宗教であり、代表チームの成功は誇りである。アンチェロッティの到来は、単なる監督交代を超えた意味を持つ。彼はセレソンが混沌から再生し、世界一の座を取り戻すという夢の象徴なのだ。
イタリア人指揮官の手によって、その夢はまだかろうじて生き続けている。