
取引先とメインバンクが相次いで経営破綻してしまい自社も経営危機に陥るが、このまま潰れるわけにいかない。モノづくりの意地を見せた新技術を生み出し、スチームを利用してベッドに寝たきりでも髪を洗える「シャンプースチーマー」を開発。「近くは濡れるのに遠くは濡れない」という新技術が、医療、介護、そして災害の被災地で認められて、じわじわと需要を伸ばしている。
【写真】近くは濡れて遠くは濡れない特殊なスチーム(2018年6月特許取得)
億単位の売上金未払いのまま取引先が倒産、メインバンクまでが経営破綻
京都府宇治市にある株式会社ティ.アイ.プロスは、理美容機器をはじめ産業機器の企画・設計、生産、輸出入までをトータルサポートする電器メーカーだ。
1997年、撮影した写真をその場でプリントできる「プリント倶楽部」、いわゆるプリクラが若者の間で流行していた。だが、バージョンを替える際は基盤ごと交換する必要があり、作業がいささか面倒だった。その不便を改善するべく、ソフトウェアのディスクを交換するだけでバージョンや仕様を替えられるシステムを開発した。現行のプリクラは、このシステムを踏襲しているという。
このシステムを搭載したプリクラがアニメのキャラクターを使用していたため、版権を有する映画会社と販売代理店との間で三者契約を結んで全国に3000台を展開した。
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ところが、億単位の売上金をもったまま代理店が倒産してしまう。
「代理店から弊社へ支払われるはずの売上金をもったままの倒産でした。もっとも、そういう場合は映画会社から払ってもらう契約にしておいたのですが、それでも満額とはいかず65%しか受け取れませんでした」
そう語るのは、同社の代表取締役・杉本洋一さん。御年83歳の今も、経営の最前線に立っている。
代理店が倒産したのと同じ頃、山一證券が経営破綻した煽りを受けてメインバンクも経営破綻した。
「当時は金融機関の経営破綻が相次いでいた頃で、銀行もいくつか潰れましたね。会社の預金を引き出せなくなったし、トータルで2億円くらいの損害を被りました」
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社員数わずか8人の会社で、2億円の損害は大きすぎた。そんなとき、業務上の繋がりで古くからの知人から「ストレートアイロンが不足しているから、御社でつくれませんか」という相談が舞い込んだ。電器メーカーとしてヘアアイロンの製造ノウハウは有していたので、あらたな技術を盛り込んで1999年4月に理美容業務用のストレートアイロンを開発。従来のアイロンは髪を挟んで加熱し、さらに引っ張るという、髪に大きな負担をかける構造だった。だが同社は、プレートにクッション性をもたせることで、髪への負担を軽減する技術を盛り込んでいたことが高い評価を得て、月5000台を生産した。
ベッドに寝たきりでも寝具を濡らさずに髪を洗える画期的な技術を開発
倒産の危機を脱すると、訪問美容に携わる美容師から「カットと同時にその場でシャンプーができないか」という相談が持ちかけられた。
それを受け、少量の水でも洗髪できる「特殊なスチームで洗髪するシステム」の開発に着手する。これは「近くは濡れて遠くは濡れないスチーム」で、ベッドに寝たままでも寝具を濡らさずに髪が洗えるという。
「途中、コロナ禍で中断したので、開発には10年ほどかかりました」
技術的に最も難しかったのは、「近くを濡らして遠くを濡らさない」ことだった。
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一体どんな感じなのか。筆者が体験してみた。タオルを敷いたテーブルに腕を伸ばし、一般的な入浴温度である摂氏42度に設定されたスチームを肌に接近させて吹き付ける。熱くはない。ほどよく濡れたら専用のボディソープを含ませたタオルで軽く拭い、再びスチームを当てて乾いたタオルで水気を拭き取る。
驚いたのは、スチームを当てた肌の表面は濡れるのに、わずか数cm下に敷いているタオルが濡れていなかったことだ。300〜400ccの水があれば、ベッドに寝たきりだったり衣服を着たままだったりしても髪を洗えるとのこと。
何故こういうことが可能なのか? 当然ながら、技術の詳細は企業秘密だという。
熊本地震の避難所で真価を発揮
2016年4月に発生した熊本地震では、このシャンプースチーマーが避難所へ貸し出された。
実際に使った人からは、「洗い上がりはとてもサラサラしていて、お風呂に入った感覚に近かった」といった喜びの声が聞かれたという。また、洗髪を支援した看護師や介護士からは、「従来の入浴支援は2〜3人がかりだったけど、シャンプースチーマーは1人で扱えるから負担が減った」「従来の洗髪車に比べて準備や片付けの時間が短縮できた」といった、負担の軽減を評価する声が寄せられた。
水を確保できれば全身を洗うこともできるため、現在は全国37の大学病院、医療機関の集中治療室、終末期医療、コロナ病棟、介護施設などで幅広く活用されている。
かつて、取引先とメインバンクが経営破綻し、自社も経営危機に見舞われた。会社を守るため、世の中に無かった技術を新たに開発して起死回生を図った、モノづくりの意地が生きたといえるだろう。
(まいどなニュース特約・平藤 清刀)