重要性増す震災遺構 どう捉え、伝え継ぐ 岩手で見つめ直す催し

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2025年06月19日 05:16  毎日新聞

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東日本大震災の津波で壊された防潮堤周辺の草を刈る人たち=岩手県宮古市で2025年6月15日、奥田伸一撮影

 東日本大震災で被災した建造物で、保存されたり保存が検討されたりした「震災遺構」に関する二つの催しが6月中旬、岩手県沿岸部であった。震災から14年が経過し、当時を知らない世代も増えるなか、その重要性は増している。催しの参加者たちは、遺構の存在意義についてさまざまな見解を示した。


 宮古市田老(たろう)地区では15日、大震災の津波で壊れた防潮堤周辺の草刈りがあった。防潮堤は「万里の長城」と呼ばれた大型堤防だったが、震災後それより高い堤防が整備され、遺構の意味合いを強めている。


 田老は震災前にも明治、昭和の三陸地震などで度々津波に遭った。防潮堤は1933年の昭和三陸地震の翌年から45年かけて築造され、高さ10メートル、長さ2400メートル。中国の巨大城壁に例えられたが、震災の津波は大きく超える高さ16メートルで、防潮堤も海に近い部分を中心に損壊した。


 草刈りは田老で震災伝承に取り組むNPO法人「津波太郎」が初めて企画。地元で「X」と呼ばれる、防潮堤が交差する地点付近で実施した。


 この場所は例年春から夏にかけて雑草が生い茂り、壊された部分が見えづらかった。明治三陸地震が起きた6月15日に草刈りをすることで、1896年の発生から130年近く経過した津波災害を振り返る機会にもした。


 参加者は、NPOの会員や岩手県立大の学生団体ら25人。大人の背丈を超す草を鎌で刈ったり、手で引き抜いたりすると2時間ほどできれいになった。


 田老出身で学生団体の遠藤隼さん(20)は取材に「壊された部分が全部見えることで、津波の大きさや破壊力が更に伝わると思う」と話した。NPOの大棒秀一理事長(74)は「この部分はどんな防潮堤も津波の規模によっては越えられ、壊されることを示した教材だ。草刈りは継続し、いつでも見られるようにする」と語った。


 14日には釜石市の桑畑書店で書籍「生き続ける震災遺構――三陸の人びとの生活史より」(ナカニシヤ出版)の著者らによる座談会があり、遺構に関する意見が交わされた。


 書籍は岩手大地域防災研究センターの坂口奈央准教授が2月に刊行した。町を二分した末に解体された岩手県大槌町の旧役場庁舎や、宮城県気仙沼市で津波で陸上に押し上げられた後に撤去された漁船などを取り上げ、住民への聞き取りを基に震災遺構をどう捉えるか考えた。


 座談会では坂口さんと、震災で住民の1割強が犠牲になった大槌町安渡(あんど)地区の町内会長、佐々木慶一さん(63)が語り合った。


 坂口さんは著書で、震災遺構に対する思いや考えは人や遺構、災害の種別によって異なり、その時々でも変わりゆくものだと指摘した。佐々木さんは「遺構そのものに特別な意味はなくても、それが存在することで、震災から時間がたっても学んだり、考えたりすることができる」との見方を示した。


 釜石市で震災の語り部活動をしている藤原信孝さん(76)は閉会後の取材に「震災遺構に対する考え方はさまざまであり、参考になった」と話した。【奥田伸一】



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  • 維持できそうな少数に集約したほうがいいだろうな。頑強な建物が多いんで解体も大変だけど
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