「覚醒剤をやっています」と自ら病院に電話…“普通の人生”から薬漬けに転落した28歳女性の半生

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2025年06月20日 16:11  日刊SPA!

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限界さん(28歳)
 現在、派遣型風俗店で働く都内在住の限界さん(28歳)。生まれてすぐに両親が離婚したため、父親とは会ったことがない。母、祖父母、そして自身の4人家庭で育ち、地元・東北の高校を卒業するまでは、いたって“普通の人生”を送っていたという。
 しかし、18歳で母とともに上京後に生活環境が一変。ある人物と出会ったことをきっかけに覚醒剤に手を染めることに……。

 これまで2度の逮捕歴がある限界さんだが、結果的に刑務所には入っていないという。執行猶予が明けた6月8日の前に、約2時間に及ぶインタビューでその生き様を聞いた。

◆格闘家との出会いが転機に

——Xの発信などによると、とある格闘家との出会いが転機だったとのことですが、どのようにして彼を知り、会うことになったのでしょうか?

限界:出会った当時はまだ無名の格闘家でした。でも私は彼のことを知っていて、興味本位で会ったのが始まりですね。

——知人の紹介ですか?

限界:いえ、マッチングアプリです。しかも名前も写真も本人のもので、どうせ偽物だろうと思っていたのですが、会ってみるとまさかの本人でした。

——彼のことは格闘家A(以下A)としておきましょう。かなり非道な手口で薬漬けにされたということですが、まずは限界さんの人となりについていろいろ質問したいと思います。

限界:可能な範囲でお話しさせていただきます。

◆父の存在と母子家庭の記憶

——まず、幼少期はどのような生活を送っていましたか。

限界:東北地方で生まれ育ちました。私が生まれた直後に両親は離婚してしまい、父と会った記憶がありません。母と祖父母の4人家庭で育ちました。

——お母様は再婚もされなかったのですか?

限界:はい、ずっとシングルマザーで、正社員ではなかったので、困窮とまではいかないですが、今思えばかなり苦しい生活でした。でも貧乏なりに、私が3歳くらいのときに母がディズニーランドに連れていってくれた記憶があります。

——限界さんのXを見ると、父親の存在に言及しているポストがいくつかありますが、その想いをお聞かせいただけますか?

限界:そうですね。父親とはどういう存在なのか、いまだにわからないんです。困った時に頼るのは母だけでしたから、父親という存在が欠けていたことが、いい意味でも悪い意味でも私に大きな影響を与えてきたと思います。

◆格闘家の影響で薬物を始めることに…

——そして、地元の高校を卒業後にお母様と一緒に上京されたわけですね。

限界:都内の美容師専門学校に入りました。なんとなくヘアメイクが楽しそうという理由で進路を決めたのですが、在学中にこの世界は向いていないと悟ってしまって……。2年で卒業して資格も取ったのですが、クラスの中で私だけ就職せずにフリーターになりました。

——フリーターとなって、どういった仕事をしていましたか?

限界:営業や編集などの仕事をしていました。でも2年くらいたって、美容系の会社に正社員として就職できたので、それまで同居していた母から離れて一人暮らしを始めました。風俗との掛け持ちに切り替えたのもこの頃です。

——薬物を始めたのもこの頃ですか?

限界:そうですね。マッチングアプリで格闘家のAと出会って、MDMAを飲まされたのが最初です。たばこも吸わないような人間なので、薬物ももちろん初めてでした。初めての一人暮らしで心に隙があったのかもしれません。

——昼職と風俗の掛け持ちをされながらも、薬を使って働いていたとのことですが……。当時の限界さんにとって、薬はどういう存在になっていたのでしょうか?

限界:美容系の会社では接客業をしていたのですが、いわゆるガンギマリの状態で仕事をする日もありました。どんどん痩せていって、会社で気絶したこともありましたね。その後、いろいろあって、Aとは縁が切れたのですが、その後も薬物に依存している状態でした。

◆「覚醒剤をやっています」と自ら病院に連絡…

——Aと縁が切れた後も依存状態が続いたと。その後はどんな経緯で薬物を手に入れるようになってしまったのですか?

限界:マッチングアプリで知り合ったホストが覚醒剤をやる人で、一緒にやるようになりました。ある日、おしりに覚醒剤を入れられてしまい、粘膜吸収なのでキマリすぎてしまって……。その時は1日で体重が3キロも減るほど、上からも下からも出るものが止まらなくなってしまいました。

——それは想像を絶する状況ですね……。そのときは結局どうなりましたか?

限界:これはまずいと思って、都内のクリニックに駆け込んでシャブ抜きの点滴を何日かかけて打ってもらいました。でも具合は悪いままで。点滴もあまり効かず、ラリったままだっと思います。

——どういった症状が出たのでしょうか?

限界:“勘ぐり”といって、盗聴されていると思い込んでしまい、そのときは病院や救急車に電話をかけまくった記憶があります。錯乱状態なので、「覚醒剤をやっています」と病院に言ってしまったんですよ。そしたら、電話番号から住所が特定されて、ドアを開けたら母と警察がいたという状況です。

——これが1回目の逮捕ですね。その場で尿検査をしたのですか?

限界:はい、でもその時は点滴で薄まっていたので疑陽性でした。警察が帰った後は母に抱きしめられて号泣しました。

◆“疑陽性”と在宅起訴の顛末

——ただ、こうなると仕事も続けられないですよね。

限界:でもその翌日が朝7時の早出でちゃんと出勤した記憶があります。

——えっ、それはすごいですね……。その後、警察からはどのような連絡があったのですか?

限界:数日後に警察から陽性という結果を聞かされましたが、反応も薄く悪質性が低いということで在宅起訴になりました。なので、厳密には逮捕はされていません。これを機にホストとも切れて、薬物からも離れて、体調もかなり改善していきました。

——でも在宅起訴ということは裁判にはなったわけですよね。判決のときの言葉など、印象に残っていることがあれば教えてください。

限界:2〜3か月後に裁判所に呼ばれて、国選弁護士にはウソ偽りなく打ち明けました。でも判決言い渡しの時に裁判官から「あなたもう一回(薬物を)やりますからね」と言われました。

——なるほど、なかなか薬物から抜け出せないことを裁判官もわかっているのかな……。判決は?

限界:懲役1年6月、執行猶予3年でした。

◆SNS経由で再び薬物の渦へ

——その執行猶予中に、再び薬物に手を出してしまったとのことですが……。そのときはどういう心境だったのですか?

限界:以前やっていたTwitter(現X)のアカウントで、覚醒剤についてツイートもしていたのですが、ある人からメッセージがきて、会ってみようと……。やはり依存から抜け出せていなかったのか、車の中で覚醒剤を見せられ「やってみる?」と聞かれ、「やりたい」と即答してしまいましたね。そうなる前から“そういう気持ち”が芽生えていたのだと思います。

◆大麻ショップの前で2度目の逮捕

——このときに、2度目の逮捕となったということですね。

限界:その人物と渋谷にある大麻ショップになぜか行ってしまって。当然、警察も張っていますよね。店を出たところを抑えられました。

——執行猶予中ですよね?

限界:はい、そうです。この時点で「懲役に行くんだ……」と絶望したのを覚えています。最初は偽名を言って誤魔化そうとしましたが、最終的にはすべて打ち明けまして……。でも40日間、留置場に拘留されたのですが、結果的に不起訴になりました。

——それが何年前ですか?

限界:2年半くらい前ですね。その後、覚醒剤には一度も手を出していません。

——それでもやはり“誘惑”というのは日常の中に潜んでいるものなのでしょうか?

限界:Xで薬物や性行為についてのお誘いメッセージは山ほどきます。でも完全無視ですね。今は薬物依存症外来に通っていて、隔週でグループワークに参加しています。

——どうやって生計を立てているんですか?

限界:今は派遣型風俗店です。出勤は週に2〜3日ですが、何とか食いつないでいます。今はまだ何をしたいか模索中ですが、早く昼職に戻りたいとは思っていまして、区の就労支援にも通っています。

 * * *

 アルコール依存、ニコチン依存、ギャンブル依存——。世の中に多くの依存症が存在するが、薬物依存が最も罪なのは間違いない。それだけ抜け出すことも容易ではないということだ。本人がその苦しみを一番よくわかっているだろう。

 更生に向けて少しずつ前を向く限界さん。困難な道のりだが、今後の彼女の選択が未来への光となることを願うばかりだ。

文/中川大河

【中川大河】
競馬歴30年以上の競馬ライター。競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。競馬情報サイト「GJ」にて、過去に400本ほどの記事を執筆。

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