「戦争はするものでない」=生後間もない妹失った女性―23日沖縄慰霊の日

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2025年06月23日 07:31  時事通信社

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時事通信社

戦争体験を語る金城貞子さん=3月19日、沖縄県糸満市
 太平洋戦争末期の沖縄戦終結から、23日で80年。当時15歳だった金城貞子さん(95)=沖縄県糸満市=は、激戦のさなかに、身を潜めていた壕(ごう)で生まれ、わずか数カ月でこの世を去った末の妹のことが今でも忘れられない。「戦争はするものでないよ」。世界の各地で今も戦闘が続いており、平和を祈り続けている。

 1945年4月、米軍が沖縄本島に上陸したが、当時、父は防衛隊に召集されており、母親が身ごもっていたため疎開はしていなかった。

 米軍機が投下した爆弾が祖母の家を直撃し、台所にいた祖母が吹き飛ばされた。「これはおばあの手だね」。ばらばらになった遺体を家族で探したこともあった。

 戦闘が激しさを増す中、母ときょうだい7人で自然壕に身を隠した。集落の人たちが丸ごと入れるような大きな壕で、560人ほどが身を寄せていた。梅雨の時期だったためひどい湿気で、排せつ物の臭気が漂っていたという。

 同級生ら3人と米俵を隣村から運んでいる途中、道端に横たわる多くの遺体を見たことも。「ごめんなさい」と心の中で謝り、無我夢中で壕に戻った。「怖くて、もう外の手伝いには行かなかった」という金城さん。真っ暗な壕の中で、米軍に気付かれないよう、音も立てずにじっと過ごしたといい「壕暮らしは大変だったよ」と振り返った。

 5月下旬ごろ、突然やってきた日本兵から「軍が陣地として使うから出て行け」と命じられた。多くの住民はやむなく従ったが、身重だった母は行く当てもなく、家族で近くに潜んだ。日本兵の姿が見えなくなったため壕に戻り、その後、母親は末っ子の昌枝さんを出産した。

 沖縄戦が終結する直前の6月中旬、壕に現れた米兵に見つかった金城さん一家。県内の収容所を転々とし、秋ごろになってようやく帰郷が許されると、地元の親戚の家に身を寄せた。そこで末の妹が息を引き取った。「昌枝ぐゎー(ちゃん)」と呼んでかわいがっていたが、厳しい食糧難で母の母乳は長い間出ておらず、栄養失調だったとみられる。「家族全員で泣いた。悲しみしかなかった」

 「戦争は怖いよ」と静かに語る金城さん。沖縄戦から80年がたつ今も、世界各地では戦争が続いている。「平和の神様になって、戦争がないようにみんなを見守ってね」。妹がこの世を去った時と同じように、今も祈り続けている。 

金城貞子さんが隠れた潮平権現壕=3月19日、沖縄県糸満市
金城貞子さんが隠れた潮平権現壕=3月19日、沖縄県糸満市

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  • 戦争の犠牲になるのは、決まって市井に暮らす末端の人達。そんな人達の声こそ大切にしなければならないし、国は真摯にその声に耳を傾けなければなりません。
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