横浜F・マリノスの「その場しのぎ」は続く 残留は「偶然性にかける」しかないのか

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2025年06月23日 10:10  webスポルティーバ

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 6月21日、横浜。J1リーグ、横浜F・マリノスはファジアーノ岡山を迎え、0−1で敗れた。前半戦を折り返して以降も、最下位を抜け出せていない。Jリーグ発足時からの10クラブ「オリジナル10」で、降格がないのは彼らと鹿島アントラーズだけだが、残留へ差し迫った状況だ。

 この数週間だけで、いくつも異変が起こっていた。

 19年間、横浜FMのGKコーチとして不動だった松永成立が退団。小さくない衝撃的だった。2022年の優勝メンバーだった永戸勝也はヴィッセル神戸へ移籍。皮肉にも、左サイドバックの定位置を確保して活躍を見せている。さらにパトリック・キスノーボ監督の解任が伝えられ、川井健太監督の就任を伝える報道があったが、結局は「大島秀夫ヘッドコーチの繰り上げ」(暫定監督)という"その場しのぎ"だった。

「選手はプレーの姿勢を見せ、"目指す方向性は間違っていない"と体現してくれました。次につながる戦いだった」

 岡山に敗れた試合後、今シーズン3人目となる大島監督は言った。本当に、その戦いが次につながるのか? すでにアラームは鳴り響いていた―――。

 筆者は図らずも、今シーズン3勝しかしていない横浜FMが勝利を飾った試合現場に2度いた。選手、スタッフもファン・サポーターも、地元メディアも勝利を喜んでいた。勝ち点は貴重だ。

 しかし、"勝っただけ"だった。

 どうやって守り、攻めるか。いるべき場所やプレーのジャッジは行き当たりばったりで、まともにボールをつなげない。守備の連係も乏しく、空回りしていた。

 勝利は悪い部分を覆い隠すが、消えるわけではない。勝つことで変わっていく、というのは都合のよい幻想である。勝った時こそ、自分たちを見つめ直し、変わる機会だ。

 岡山戦は横浜FMが負ける姿を見た初めてのことだったが、勝った試合と内容は変わっていない。ほとんどサッカーになっていなかった。

 サッカーとは何か?

 それは集団性である。11人がそれぞれどこにいて、いつ走り出し、止まり、どうボールを止め、蹴るか。攻守のつながりは社会性であり、距離感やタイミングに変換され、具体的には「セカンドボールを拾える」「チャレンジ&カバーができる」などという補完関係となる。関係性があるからこそ、信じて走り出し、パスを入れ、勝負も挑める。集団性は「仕組み」にも言い換えられるが、それを土台にしてオートマチックに動くことができるし、そのうえで適応や応用が生まれるのだ。

【再現性が失われた理由】

「戦術云々ではなく、球際!」

 しばしば、敗れたチームにはそんな"呪いの言葉"が浴びせられるが、選手は忸怩たる思いだろう。仕組みのないチームで、選手は極めて効率の悪い環境で動かざるを得ない。お互いの意思疎通が薄いことで自ずと迷いが出て、距離感も悪いだけに、一歩が遅れる。必然的に球際も劣勢になる。それを補うため、「気持ち」を見せ、体力は消耗する。旧日本軍の兵士やブラック企業の社員のように、擦り切れるまで戦うしかないが、たとえ成功を収めても次につながる再現性などない。

「勝てば変わる」

 そう励まされるのは過酷だ。

 再現性が失われた理由は、"監督がいない"からだろう。

 昨シーズン、新たに就任したハリー・キューウェル監督は一切、監督の経験がなかった。失礼を承知で言えば、サッカー選手としての知名度で受け入れたようなものだった。その采配はひどく、開幕の東京ヴェルディ戦の時点で、所属選手たちが戸惑っていた。彼らは勝利を拾ったが、意図を持ってボールを前に運べていたのは東京Vのほうで、低迷は必然だった。

 シーズン半ば、内部昇格で監督を引き受けたジョン・ハッチソンヘッドコーチも、ろくに監督経験のない人物だった。アンジェ・ポステコグルー時代の主力がどうにか「仕組み」を戻し、最後は巻き返した。しかし、監督としては何も構築できなかった。

 今シーズン、クラブはまたも監督経験がないスティーブ・ホーランド監督を招聘し、"見事な"デジャブを実現した。思いつきの3バックを早々に捨てると、他に打つ手はなし。そして多くの主力がチームを去っていたことで、「仕組み」は再構築できなかった。成績不振で、実績の乏しいキスノーボを内部昇格で監督に据えたが、もはや笑えない冗談だ。

 まったくプレーは好転せず、大島暫定監督が指揮を取ることになった......。

「(横浜FMは)ボールを動かすチャレンジをしてくると考え、プレスをしっかりかけ、そこから自分たちのゲームにする」

 岡山の木山隆之監督は、ゲームプランをそう説明していた。

 横浜FMはそのプレスにまんまとハマり、自陣で何度もボールを失った。奪い返したところを再び奪われ、切り替えでも劣勢に立っていた。前半は同じようなミスを繰り返し、手も足も出なかった。

 これで、どこが次につながるのか?

 失点後、横浜FMは反撃に転じていた。外野は「なぜ最初からそれができないのか」となるだろう。しかし、それは相手が守りに入って、横浜FMが無理矢理でもボールを運び、突っ込んで混乱を起こした"瞬間最大風速"に過ぎない。実際、5分と続かなかった。試合の流れで生まれた"現象"にすぎず、再現性はない。後半、攻めに回れたのも相手が「守る」構図を作ったからだ。

 横浜FMの現体制に出口はない。粉骨砕身で、祈るしかないだろう。拠るべき「仕組み」はないからだ。

「戦う気持ちを見せろ!」「最後まで走れ!」「歴史あるクラブの名を汚すな!」......。

 それらは呪いの言葉で、相手も死力を尽くしてくることを度外視している。しかし、選手は戦い抜くしかない。非効率的ななかでも走り続け、運よくカウンターからゴールに放り込めたら、あとは我慢強く耐える。偶然性にかけるしかない。

 6月25日、日産スタジアム。横浜FMはやはり低迷するFC東京と残留をかけた"裏・天王山"を戦う。

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