<悼む>
漫画「あしたのジョー」の力石徹のモデルとなった空手家、ジャーナリストの山崎照朝(やまざき・てるとも)さんが22日、胆管がんのため亡くなった。77歳だった。23日に公式フェイスブックが発表した。
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20年4月、さいたま市内の道場で、山崎さんを取材した。コロナ禍の最中、彼は1人で稽古を続けていた。ミットを巻き付けた支柱に突き、蹴りを間髪入れずに打ち込み、50キロのバーベルを担いでスクワット、10キロのダンベルを抱えての腹筋……稽古は2時間にも及んだ。“極真の龍”の異名を取った男のすごみは、72歳になっても健在だった。
稽古後に語った半生もまるで劇画のようだった。
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空手を始めたのは山梨・都留高2年の時。「最初は野球部に入ったけど、夏の試合で同学年の甲府商の堀内恒夫(元巨人監督)の剛速球を見て大きな差を感じて辞めた。その後、入学式でケンカを売ってきた番長グループに空手をやっているやつがいて、対抗するために空手を始めたの」。
偶然、新聞で見つけた東京・池袋の極真会館に入門。山梨から1日おきに通ったという。「空手は親には内緒。でも東京まで交通費がかかるから“歌手を目指す”と説得して都内の『歌謡スタジオ』にも通った。もちろん歌手になる気はなかった。空手の稽古の後にスタジオに行くから声も出なかった。そこで一緒だったのが五木ひろし」。
日大進学後は終日道場で稽古に励んだ。わずか2年半で黒帯を取得。強さが評判となり、69年には当時人気のキックボクシングのリングにも上がった。「大山倍達館長に言われると『オス』としか言えなかったからね」。あの沢村忠の30連勝を止めたムエタイのカンナンパイを1回KOで撃破するなど8連続KO勝利。一躍スターになった。
同じ69年9月、極真会館の第1回全日本選手権でも優勝。上段回し蹴りの切れ味は一撃必殺だった。「夜、自宅で4キロの鉄げたを足に巻いて、天井の電球のヒモ目がけて前蹴りと回し蹴りを100本くらい繰り返す。最初は足がヒモに引っかかっていたけど、慣れるとヒモに触れた瞬間に引けるようになった。あれでビシッとムチのような蹴りができるようになった」。
漫画「あしたのジョー」に登場する力石徹のモデルになったのは有名な話。しかし、73年の全日本選手権準優勝を最後にあっさりと引退。空手界から一線を画した。理由を聞くと「武道の精神は社会に生かすために学ぶもの。だから空手で飯を食っていく考えはなかった」。名声よりも自らの哲学を貫いた。
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現役引退後は地元さいたま市内に空手道場『逆真会館』を創設。格闘技の記者などを本職としながら、週末にボランティアで指導を続けてきた。逆真会館の名前の由来を聞くと「逆もまた真なり。人は必ず壁にぶつかる。その時に大切なのが基本。迷ったら初心に戻る。そんな思い込めたんだ」と教えてくれた。
私がボクシング担当になった89年以来、山崎さんとはずっと親しくさせていただいた。忘れられない出来事がある。92年、当時のWBC世界フライ級王者ユーリ・アルバチャコフ(協栄)の伊豆合宿の取材中、山崎さんは海辺の石を拾うと、手刀で真っ二つに割って見せた。驚いたユーリの顔が何とも痛快だった。
今年3月4日に都内で夕食を共にしたが、ふだんと変わらず、体調がおもわしくないことなどおくびにもださなかった。決して人に弱さを見せない、あの伝説の“極真の龍”を貫き通した人生だった。【首藤正徳】
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