激戦を今に伝える守り神=刻まれた無数の銃弾痕―祈りささげる住民ら・沖縄

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2025年06月23日 21:01  時事通信社

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時事通信社

弾痕が刻まれた「富盛の石彫大獅子」=4月29日、沖縄県八重瀬町
 沖縄県八重瀬町で、300年以上前から村の守り神として同地を見守ってきた獅子像「富盛の石彫大獅子」。県内最古で、各村落に置かれるようになったシーサーの発祥とも言われるが、その体には無数の銃弾の痕が刻まれている。太平洋戦争末期の沖縄戦で、米兵が像の背後に隠れて弾をよけた際にできたとみられ、激しい地上戦の爪痕を今も同じ場所で伝え続けている。

 獅子像は高さ約141.2センチメートル、全長175.8センチメートルで、1689年、火の災いの魔よけのために設置されたと伝えられている。

 1945年4月1日、米軍は沖縄本島中部に上陸。日ごと攻勢を強め、同町では南部に追い詰められた日本軍との間で激戦が繰り広げられた。同年6月に米軍が撮影した「A bullet scarred monolith(弾痕で傷ついた一枚岩)」と題された写真には、獅子像の後ろに身を潜め、日本軍の様子をうかがう米兵の姿が写されている。獅子像の銃弾痕はこの戦闘で付いたとみられる。

 同町立具志頭歴史民俗資料館の学芸員・金城達さん(45)は「沖縄戦を含めた地域の歴史を伝える重要な文化財だ」と指摘。地域の子どもたちや修学旅行生などを対象に、町内の史跡、戦跡を案内する八重瀬町ガイドの会の嘉数千秋さん(49)も「住民は銃弾が飛び交う中を逃げ惑うしかなかった。弾痕は当時の戦闘の激しさを物語っている」と強調する。

 野戦病院となった壕(ごう)などと共にガイドマップでも紹介されるなど、町を代表する戦災遺構であると同時に、地域の守り神でもある獅子像。旧暦の10月1日には、地域の安全を願い、祈りがささげられるなど、今でも住民の心のよりどころとなっている。

 「恐ろしい戦争が二度とないよう、平和な時代を見守り続けてほしいね」。嘉数さんは、獅子像の元を訪れる子どもたちにそう語り掛けているという。 

「富盛の石彫大獅子」に身を隠し、日本軍の様子をうかがう米兵ら=1945年6月、米軍が撮影(沖縄県公文書館提供)
「富盛の石彫大獅子」に身を隠し、日本軍の様子をうかがう米兵ら=1945年6月、米軍が撮影(沖縄県公文書館提供)
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