
23年前、洛北高(京都市左京区)を卒業したての若者が、イタリア料理のシェフを志し、関西国際空港から飛び立った。京都で有名料亭を営む祖父や父の元を離れ、欧州各地を渡り歩いて料理の腕を磨いて、昨年4月に京都市に念願だった自分のレストランを開業した。「地元の野菜や肉を使い、お皿に表現した自然の恩恵を味わってほしい」と話す。
【写真】南丹市美山町でとれた鹿肉のロースト。色とりどりの野菜を添えて
中東俊文さん(42)=左京区=は、祖父が「美山荘」を経営、父が「草喰[そうじき] なかひがし」(いずれも同区)の大将という、料理一家の次男。中東家には「2歳で卵を割る」「小学4年でツバスをさばく」などの決まりがあり、幼い頃から料理に親しんで育った。
中学1年で訪れた上京区のイタリア料理店「カーサビアンカ」で、味や店の雰囲気にほれこみ、「将来はイタリア料理人に」と夢が定まった。高校時代はバイトを続けて渡航費用150万円をため、2001年4月、イタリアに渡った。
イタリアでは、同国中部の小さな町のレストラン「アルノルフォ」に勤めた。地元の食材を非常に大切にし、野菜やキノコ、ヤギなど、提供する料理は「地産地消」そのものだった。
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日本の料亭は、料理人の下積み期間が非常に長く、皿洗いなどの雑用が多い。しかし、イタリアでは、やる気を見せれば仕事を与えられ、どんどん料理の腕を上げることができた。
その後、フランス・パリでミシュラン3つ星の高級レストランに勤めた。職場は軍隊のようで、初日に階段から突き落とされた。「東洋人へのいじめだったんでしょう」。「コックである前に日本人だからな」と言われたこともあった。
それでも着々と腕を磨き、24歳で日本に戻った。大阪のホテルの料理長などを経て、21年に東京で自身の店を開いた。郊外で自作した野菜を使い、人気店に。でも、ずっと故郷の京都に店を出したかった。そんな時、大阪のホテル時代からの客が京都の物件を勧めてくれた。東京の店をスタッフに任せ、京都に戻った。
新たな店は、左京区岡崎のビル2階。店に入ると、窓から平安神宮の鳥居が見えた。関空から飛び立って23年。「頑張って京都に戻って来られた」。涙がこぼれた。
店名は「リストランテ ドーノ」。自然の恵みをいただくことから、イタリア語の「おすそわけ」から名付けた。
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中東さんの料理は、左京区・大原の畑で自作したり、その日の朝に大原の農家から購入したりした野菜をふんだんに使う。「朝見てきた大原の風景を皿に再現する」。コース内容は、季節が移ろうように、毎日変化していく。
イタリア料理だから肉料理や多彩なパスタもある。でも、色とりどりの野菜こそが主役だ。「本当にいい野菜は、塩とオリーブオイルだけで、驚くほどおいしい。京都の風土で育った、厳選した野菜を味わってほしい」と話す。
「リストランテ ドーノ」の問い合わせは、050(1808)3110。
(まいどなニュース/京都新聞・辻 智也)
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