「これで笑ってちゃダメでしょ」『水ダウ』企画に“差別的”と批判の声。真剣な人たちをバカにしすぎでは

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2025年06月25日 15:50  女子SPA!

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画像:TBSテレビ『水曜日のダウンタウン』公式サイトより
 6月18日に放送された『水曜日のダウンタウン』(TBS系)の企画「インディアンス改名ドッキリ」が物議をかもしている。

 アメリカ先住民を指す「インディアン」という言葉が、近年「ネイティブ・アメリカン」などに言い換えられている昨今、お笑いコンビ・インディアンス(田渕章裕、きむ)が“ネイティブアメリカン系のそれっぽい団体”から改名を要求される、というドッキリが実施されたのだ。

◆「“インディアン”を馬鹿にしていない」と強調

 番組内では、本来の「インディアン」は「インド人、インド人の」という意味を指す言葉であり、アメリカ先住民を指さなければ差別的なニュアンスは含まないと注釈を入れていた。

 後半ではネイティブアメリカンのシャーマンであるウィンド・レイブン氏が登場し、改名に前向きなインディアンスの2人に改名案を提案。その際にインディアンスという名前について「良い名前だね。私は特に無礼だとは思わない」「彼らがインディアンスと名乗るのは本当に光栄なことだよ」と口にしており、「この企画は“インディアン”を馬鹿にしているわけではない」という予防線が随所に張られていた。

 とはいえ、やはり“攻めた”企画であるため、X上では同番組の演出を務める藤井健太郎氏の投稿を引用しながら、「迫害されてきた人々への理解がない」「ネイティブアメリカンが今も虐げられていることを知らないのか」「愚弄でしかなく全く笑えない」など批判的な声が散見された。

◆“それっぽい団体”の極端な描き方に違和感

 インディアンを“ネタ”にしたことよりも、筆者は“ネイティブアメリカン系のそれっぽい団体”の団員3人の描き方に違和感を覚えた。

 序盤、インディアンスをビビらせるため、吉本興業の本社の受付で団員が揉めている様子を見せる。その後、インディアンスが舞台の出番のために訪れた会場の出入り口付近に、「NO差別」と書かれたプラカードを持った状態で姿を見せ、インディアンスを威嚇(いかく)する。

 最終的にはその3人組とインディアンスが対面で話し合う。その際、田渕が改名案として「ちょんまげラーメン」と口にすると、団員の男性は「江戸時代っていう時代がこの国にはあって、権力構造、支配の……」と反発。続けて、田渕は「おでかけマダム」と提案するも、団員の女性から「女性の私からすると『おでかけ=マダム』っていうステレオタイプになるんですよ」という。その後も難癖をつけられ、インディアンスの2人は追いつめられた。

 団員たちは終始、「面倒な人間」「屁理屈ばかりの厄介者」という印象を与える立ち回りをしていた。もちろん、バラエティ番組なのだから多少の“演出”は仕方ない。それでも、声を上げる人をあまりに茶化しすぎてはいないだろうか。

◆賞レース決勝でも

 ただ、テレビ番組において、声を上げる人を“笑いに昇華”させるケースは珍しくない。

『R-1グランプリ2024』(カンテレ・フジテレビ系)では、お笑い芸人の吉住が“デモ活動をしている女性が婚約者の実家を訪れる”というコントを披露した。ネタ中にはプラカードと拡声器を持ち、「さっきまでデモ活動してて」「今朝の政治家の汚職のニュースあったじゃないですか、あれ見てたら血が騒いじゃって」と語る。両親から結婚を反対されると「大丈夫ですか? 私を敵に回して」「私、自分の意見を押し通すプロなんですよ」と口にした。

“声を上げる人”がコントの題材にされることで、彼らの主張や行動は「過激で危険なもの」として戯画化され、社会的な問題提起そのものが冷笑の対象になっているように感じられる。さらには、「こうした人を嘲笑しても構わない」という印象を視聴者に与えているようにも見える。

◆脚本家の意向を無視してヒステリックに描く

 声を上げる人が“ユーモラス”に描かれるのはお笑いに限らない。2022年1月1日に放送された『相棒20 元日スペシャル』(テレビ朝日系)ではこんなシーンがあった。

 非正規労働者の賃金格差が問題視されているデイリーハピネス本社から杉下右京(水谷豊)と冠城亘(反町隆史)が出てきた際、非正規差別を訴えてプラカードを掲げる女性たちに取り囲まれ、拡声器で「格差をなくせ」と不満の声を浴びせられる。

 このシーンは脚本家の意向ではない。同エピソードの脚本を担当した太田愛氏は放送終了後、自身のブログで「右京さんと亘さんが、鉄道会社の子会社であるデイリーハピネス本社で、プラカードを掲げた人々に取り囲まれるというシーンは脚本では存在しませんでした」と指摘。

 さらには、「自分たちと次の世代の非正規雇用者のために、なんとか、か細いながらも声をあげようとしている人々がおり、それを支えようとしている人々がいます。そのような現実を数々のルポルタージュを読み、当事者の方々のお話を伺いながら執筆しましたので、訴訟を起こした当事者である非正規の店舗のおばさんたちが、あのようにいきり立ったヒステリックな人々として描かれるとは思ってもいませんでした」と辛い胸中を語った。

 脚本家の意思を無視してでも、ドラマで「声を上げる人=ヤバいやつ」として描かれたことを鑑みると、もはやその認識はテレビ業界で共通しているものなのかもしれない。

◆テレビが冷笑主義を作っている?

 ここ最近、声を上げる人に冷ややかな視線を向ける人が増えた。景気悪化のために給与が上がらず、景気回復に努めない政府を批判しようとすると、「自己責任」「能力が低いだけ」と反応が返ってくることはSNSあるあるだ。このように政府や社会、企業を批判する人は「勇敢」「カッコ良い」とはならず、むしろ馬鹿にされる傾向が強い。

 こうした冷笑主義が広まっている背景には、テレビが声を上げる人を馬鹿にする見せ方をしていることが少なからず影響しているのではないか。声を上げる人はヤバい人、ひいては馬鹿にしていい人という免罪符を与えている可能性は低くない。

 声を上げている人を見かけた際、嘲笑(あざわら)いたくなるのは本当に自分の意志なのか。テレビに踊らされているだけではないだろうか。一度立ち止まって考える必要がある。テレビがオールドメディアと馬鹿にされるようになってきたが、そのテレビに染まって冷笑的になっていないか、改めて考えたい。

<文/浅村サルディ>

【浅村サルディ】
芸能ネタ、炎上ネタが主食。好きなホルモンはマキシマム ザ ホルモン。

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