「毒舌キャラは求められていない」青木さやか、タレントとしての“価格”を突きつけられた日。裏方仕事で見えた現実

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2025年06月27日 09:10  日刊SPA!

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青木さやかさん。白シャツの似合う柔らかい表情が印象的だった
2000年代、「どこ見てんのよ!」のギャグで一世を風靡した青木さやかさん。現在もテレビや舞台出演を続ける一方で、近年では自らトークイベントを主催したりYouTubeチャンネルを始めたりと、「自分目線」の発信が増えている。ブレイクから約20年、仕事との向き合い方に変化はあったのかを聞いた。
◆求められることに答えたい

ーー’25年に4月始めたYou Tube「青木さやかのどこ見てんのよ!チャンネル」では、ルームツアーの再生回数が69万回を超えるなど注目を集めています。ご自身が発案して始められたのですか。

青木さやか(以下、青木):友人の誘いに乗った形ですね。普段作っている料理だったり旅行の記録だったり、基本は自分にとって興味のあることを発信しています。

ーー「どこ見てんのよ!」の時代は毒舌キャラの「バラエティタレント」として青木さんを認識されていた方が多いと思いますが、現在ではほかにもエッセイの執筆やテレビコメンテーターなど、多方面で活躍されている印象です。仕事の受け方において意識されていることはありますか。

青木:基本的にいただいた仕事は、特別な理由がない限りは断らないスタンスです。

私、というかタレントとしての「青木さやか」って、主張が強そうなキャラクターに見られることが多いんですね。ただ実際のところは何か強いこだわりを持っているわけではありません。基本的には求められることに答えていきたいと思っています。肩書についても、見る人が好きなように決めてくれればいいという考えです。

◆いただく仕事が自分にとっての「答え」

ーーYouTubeを見ていても、こうしてお話していても、テレビでお見かけしていた時代とは異なる柔らかい印象を受けます。意識的に発信の仕方を変えられているのでしょうか?

青木:「どこ見てんのよ!」をやっていたのがもう20年近くも前ですから、自然と変わっていった部分も大きいとは思います。

強いて言うならば、私生活も仕事上も含めて、様々な「変化」を経験したことは大きかったかもしれません。38歳のとき、離婚を経験してシングルマザーになりました。その後は過労を経てパニック障害になり、肺がんも経験しました。47歳のときには、実の母を看取る経験もしています。

私は、人生の節目は人が変わっていくチャンスだと思っています。特に40代後半からは、それまでの生き方を反省して「嘘をつかない」「悪口を言わない」「やさしい顔つき」「悪い態度をとらない」「ていねいな言葉遣い」「約束を守る」「悪い感情を出さない」「不貞腐れない」という8つのルールを自分に課すようになりました。最初の頃は気づいたことをノートに書いて、定期的に見返していました。今は、仕事帰りの車の中や寝る前などでタイミングを設けて、振り返りの時間を作るようにしています。

自分を変えるというのは決して簡単なことではなく、今も変わろうと努力している最中ですが、そのことは見る方の印象に多少なりとも影響を与えているのかもしれません。

ーー今、かつてのような毒舌キャラを公の場で見かけないのも、「変わろうとする努力」が関わっているのでしょうか。

青木:「嘘はつかない」は関わっていると思います。「嘘」というとやや強い表現にはなってしまいますが、テレビはやはりショータイムの世界ですから、ときには本心でないことも言わなければいけないことはありました。

今はもう自分の中にも「毒舌・青木さやか」は残っていないような状態ではありますが、自分から毒舌キャラを「降りた」わけでもありません。冒頭でもお話した通り、芸能界での仕事は求められたことに答えるのが基本。

世間からすれば、今の私は「50代」「子持ち」「シングルマザー」といった側面で見られることの方が大きく、もうあの時の「青木さやか」が求められていないということだと思います。

いただける仕事は、自分にとってその時々での「答え」のようなものですから、求められたものにレスポンスする中で今の自分があるという形ですね。

◆裏方仕事を通じてタレントとしての“価格”を突きつけられる場面も……

ーー’24年7月から、「with青木さやか」というトークイベントを定期的に開催されています。運営・制作・出演交渉などをすべてお一人でやられているそうですが、なぜこのようなイベントを始めたのでしょうか。

青木:一番大きな理由は芸能界の中で、受け身でなく仕事を生み出せるようになりたかったからです。芸能の仕事というのはどうしても波があって、仕事がない時も、ありすぎる時もあります。

仕事が少ない時に、違う仕事にチャレンジしてみたことが二度ほどありました。具体的には、お見合いおばさんと、「ソルフェージュ」という子どもに音楽を教える仕事に手を出したんですが、結果的にどちらもうまくは行かなくて。自分にはやっぱり芸能の仕事しかないと思いました。ただ、今までと同じやり方を続けているといくのも苦しい。

そこで、表に出る仕事と、裏方の仕事をミックスさせていくスタイルにチャレンジすることにしました。「with青木さやか」では「その場所で会いたい人」をイベントのテーマにゲストを考えていて、イベントの利益の8〜20%ほどはその地域や、動物愛護団体に寄付される仕組みです。

ーーこれまでに大泉洋さん、清水ミチコさん、ゲッターズ飯田さんなどの大物ゲストが多く登場しています。出演交渉は、青木さんが行われているのでしょうか。

青木:はい。お金周りのことは事務所(ワタナベエンターテインメント)に多少サポートしてもらっていますが、交渉は基本的に、自分一人でやっています。

まずはゲストさんとなる方に自分から連絡を入れて出演の打診をし、OKをもらえたらマネージャーさんの連絡先を聞いて、マネージャーの方と打ち合わせをしながら詳細を決めていきます。会場も、自分ひとりで現地まで見に行っています。チケットについては販売会社とやり取りをしながら、販売や情報解禁の日程を決めています。あとは当日のバイトさんの依頼、お支払いもやっていますね。

ーースタッフの仕事をご自身ですべて切り盛りするのは、大変ではないですか。

青木:そうでもないんです。長く芸人をやっているので、売れていなかった時代にはチケットの手売りなんてざらでした。そういう意味では、若手時代の経験も役に立っていると思います。

ーー自ら裏方仕事にも関わるようになったことで、視点の変化はありましたか。

青木:今はもう慣れましたが、初めの頃はチケットの価格について相談していると、今「青木さやか」というタレントに観客が出せる具体的な金額をその場で突きつけられ、傷ついてしまうことがありました。

ただ、今まで知らなった裏方の人たちの苦労も肌身で理解できるようになりました。何事もやって良かったと思っていますし、今後も自分から主体的に動くことは続けていきたいと思います。

2000年代、「女芸人」という生き方を切り開いた一人である青木さん。画面の中では尖っている印象が強かったが、その裏には“求められること”に真摯の答えるプロフェッショナルな姿勢があった。「受け」に留まらず、自身から仕事を生み出していく青木さんの姿勢には、いち社会人が学ぶべき点は多い。

<撮影/山川修一>

【松岡瑛理】
一橋大学大学院社会学研究科修了後、『サンデー毎日』『週刊朝日』などの記者を経て、24年6月より『SPA!』編集部で編集・ライター。 Xアカウント: @osomatu_san

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