連載・平成の名力士列伝49:智乃花
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、27歳という高齢で角界入りを果たし人気力士となった智乃花を紹介する。
連載・平成の名力士列伝リスト
【大学の後輩・舞の海の活躍に刺激され−−】
27歳の妻子ある高校教師が、一念発起して大相撲の世界に飛び込み、給料ゼロの下積みからスタートして人気力士に――。智乃花は、そんなドラマチックな生きざまと、小兵ながら時に反り技も見せる鮮やかな相撲っぷりで平成初期の土俵を大いに沸かせ、鮮烈な印象を残した。
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昭和39(1964)年生まれで熊本県八代市出身。11歳の時に両親が離婚して、八代市立第四中学校相撲部監督だった叔父・成松光法さん宅に引き取られた。同中学で本格的に相撲を始め、熊本農業高校を経て日本大学に入学。小兵ながら4年時に主将を務め、インカレ団体5連覇に貢献している。
昭和62(1987)年に卒業後は保健体育の教員として山口県内の中学を経て県立大津高校に赴任。昭和63(1988)年には結婚し、平成元(1989)年には長男も誕生した。アマ相撲の土俵にも上がり、同年の全日本相撲選手権では優勝してアマ横綱に輝いた。
アマ相撲最高峰のタイトルを獲得したことで喪失感も抱いていた頃、日本大学の3年後輩で、自分よりも体の小さな舞の海がプロ入り。番付を駆け上がって多彩な技で大きな力士をなぎ倒し、人気力士になっていく姿に刺激を受けた。「自分も大相撲の世界で力を試してみたい」という気持ちがむくむくと湧き上がり、抑えられなくなった。最初は反対していた夫人にもやがて認められ、立浪部屋に入門して平成4(1992)年3月場所、幕下最下位格付け出しで初土俵を踏んだ。
中学を卒業して15歳で入門する力士がほとんどだった当時、27歳という高齢での入門は異例だった。妻子ある身で安定した教職を捨て、給料ゼロで年の離れた若者とともに大部屋での団体生活を送り、妻は長男とともに実家に転居してパート勤務。将来の保証もないなかでの力士生活スタートだったが、幕下を負け越し知らずの4場所で通過して平成4(1992)年11月場所には十両に昇進。晴れて給料をもらえる身分となってからも快進撃は続き、負け越し知らずの4場所で十両を通過して幕内へ昇進。その経歴から「センセイ」と呼ばれる人気力士となり、一般の雑誌やテレビなどでも注目された。
【「小よく大を制す」正攻法の相撲 1場所で3大関撃破も】
174センチ、113キロの小兵・軽量ながら、相手の懐に入って右四つに組んでの寄り、下手投げ、下手捻り、内掛け、内無双も繰り出して大きな相手を翻弄する相撲は痛快そのもの。十両2場所目の平成5(1993)年1月場所12日目の花ノ国戦では、相手の懐に潜り、後ろに反り返って引っ繰り返す「居反り」の大技を十両以上では29年ぶりに披露している。新入幕の平成5(1993)年7月場所は9勝6敗、9月場所は3日目に新入幕の「平成の怪物」武双山(のち大関)との元アマ横綱対決を下手投げで制するなど9勝6敗で初の技能賞、11月場所は3日目に大関・武蔵丸を押し出し、6日目に大関・貴ノ花(のち横綱)、8日目には大関・小錦をいずれも下手投げで破り、3大関を撃破しての8勝7敗で2場所連続技能賞に輝いた。
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平成6(1994)年1月場所には新小結に昇進し、初日に横綱・曙と対戦。3連覇中と圧倒的な強さを見せている横綱に果敢に挑み、押し込まれて土俵を飛び出しながらしぶとく左から突き落として這わせた。惜しくも物言いの末に同体取り直しとなって敗れたものの、大健闘。この場所は4勝11敗に終わりながら、鮮烈な印象を残した。
その後はしばらく幕内を維持して奮戦したあと、平成7(1995)年5月場所で右ヒジをケガしたのが響いて十両に陥落し、さらに首もケガする不運に見舞われた。それでも懸命に土俵を務め、幕内復帰はならなかったものの十両の座は守り続け、幕下陥落が決定的となった平成13(2001)年9月場所を最後に、37歳で土俵を去った。
同じ小兵の舞の海が、俊敏に動き回って相手を翻弄する相撲だったのに比べ、智乃花は右四つで相手の懐に入っての寄り、下手投げを主体とした正攻法の相撲。違う持ち味をもったふたりの「小よく大を制す」相撲は、平成初期の土俵を大いに盛り上げた。
また、智ノ花自身は成功したものの、家庭を持った社会人が、スタート時は無給となる大相撲の世界に飛び込むのはリスクが大きいなどの理由から、智乃花の入門を機に新弟子の年齢制限が設けられ、今では27歳での入門は認められなくなったが、大学卒業後、町役場勤務を経て23歳で入門した一山本のような例はあり、その先駆となっている。
引退後は年寄浅香山を経て年寄玉垣を襲名。現在は大島部屋付の親方として後進を指導するかたわら、長く審判を務めている。また、令和6(2024)年3月場所、同じ伊勢ケ濱一門の宮城野部屋で暴行問題があり、元横綱・白鵬の宮城野親方が処分を受けた際には、一時、同部屋の「師匠代行」を務めて話題になった。
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【Profile】智乃花伸哉(とものはな・しんや)/昭和39(1964)年6月23日生まれ、熊本県八代市出身/本名:成松伸哉/所属:立浪部屋/しこ名履歴:成松→智ノ花→智乃花/初土俵:平成4(1992)年3月場所/引退場所:平成13(2001)年11月場所/最高位:小結
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