写真「2024年12月に、90歳になりました」そう語るのは、多良美智子さん。
お孫さんとはじめたYouTube『Earthおばあちゃんねる』は登録者数16万人を超える人気ぶり。『90年、無理をしない生き方』(すばる舎)は3冊目の本です。
◆85歳でYouTubeデビュー、その後の暮らし
好ましい人や出来事に囲まれた生活、アクティブでつねに笑顔。憧れのシニアのロールモデルのようですが、多良さんはいたってマイペース。
「私の毎日の暮らしは以前と変わりません」と木漏(こも)れ日のように笑います。
私達とほぼ変わらない日々の暮らしは、決して派手ではなく淡々としたもの。それでも多良さんの目には、一日一日が尊く輝いているのです。
◆大切なのはシンプルな思い
90年、90歳。多良さんの笑顔からは明るい月日しか見えませんが、辛苦を舐めた経験があるのは当然でしょう。
戦争、若くして亡くなったご両親、ご自身の結婚と子育て。特に戦争に関しては、想像を絶する経験もあったに違いありません。
私達はつい「こんなはずじゃなかった」「私はこんなに頑張っているのに」など、不平不満の種を見つけて、自分の中で育てしまっています。
確かに、私達のせいではない、どうにもならない運命もあります。そんな時、多良さんがとる方法はひとつ。
「さっとやめてしまいます」
「気持ちが乗らないなと思ったら、無理にすることはありません」、「あきらめはとても早いです」と多良さん。すべてが自分基準で、自分の物差しがはっきりしているのです。
情報化の社会に生きる私達はSNS上に群がる“他人様”という知り合いに踊らされて、つい“自分”を見失ってしまいます。
私達はもっと自分の人生を謳歌するべきで、その秘訣は「自分の気持ちに正直に、嘘偽りのない素のままの、自然体な自分でいたい」というシンプルな思いを、心に生かすことだけなのです。
◆「何が起きても現状を受け入れる」
今日も朝が来た、幸せ!と微笑む人がどれだけいるでしょうか。多良さんは「今日もいいお天気」と窓をあけて幸せになります。
洗濯物がよく乾く、ご飯を食べられる、雨露がしのげる家がある、それが十分に幸せで、毎日が小さな幸せだらけの日々。
本書を読みながら、私達は幸せボケしている、と悲しくなりました。幸せすぎて幸せを感じにくくなっているなんて。
これもまた、自分の中で不幸の種を育てていることですよね。幸せと不幸は表裏一体で、それを決めるのはその人の感度ではないでしょうか。
愚痴を言って憂さを晴らしても、根本的には何も変わりません。かえって面倒な問題が明確になって、ストレスを増長させてしまうだけ。
「何が起きても現状を受け入れる」
これが多良さんのモットー。あとは振り子を幸せのほうへ持っていくだけです。
体がしんどいのならステッキを使ってみる。オシャレなステッキに出会えてラッキーな明日がやってくる。年齢を重ねれば体が衰えていくのは当然なのだから、潔く受け止めて「無理をしない」。
過去の若かった自分、体力のあった自分には、もう戻れません。今の自分を精一杯に愛して幸せにするのは、自分しかいないのです。
◆「いつでも現金主義」のわけ
高校生の頃、お金のない切なさを味わった多良さん。友人達との旅行を断ったのも、せっかく貯めたアルバイト代を姉に渡したのも、お金がなかったからでした。
姉にも事情があり、当時は実家も困窮していたため、どうにもならなかったのです。お金にまつわる記憶として鮮明に残っているといいます。
でも、お金がないからと親を恨んだりはしませんでした。どうすれば自分のやりたいことができるのかと、頭を切り替えて節約に励んだのです。
節約するのは「使いたいとき迷わず使う」ため。ほしいもののためにお金がたまっていくのが楽しい、とここでも小さな幸せを堪能しています。
基本、多良さんは現金主義。クレジットカードを使用するのは飛行機に乗る時だけで、あとは現金払いだそうです。
現金で払うと、お金の授受がよりリアルになりますよね。お金が旅して戻ってくる、という感覚も、キャッシュレスに慣れている私達には新鮮かもしれません。
◆人間関係よりやりたいこと
公私にわたって、メンタルに最たる影響を及ぼすのが人間関係。
長崎に神奈川、居住を変え、時には次男の家へ月の半分ほど滞在することもあった多良さんですが、ここでも自分基準を発揮します。
どこへ行くにも、何に参加するにも、人間関係よりはやりたいことを優先したのです。
なぜなら目的が「やりたいこと」だから。誰かと親しくなる」「周囲とうまくやる」というのを筆頭に決めてしまうと、必然的に苦しくなります。やりたいからやる、というマイルールさえはっきりさせれば、その空間は楽しみだけで満たされます。
とはいえ、やりたいことだから、というまっすぐな情熱で参加すると、不思議と似たような仲間ができるのだとか。人間関係を気にしないほど、案外うまくいくのでしょう。
◆年をとるほど解放され自由に
いつしか、年をとるのがネガティブなイメージになりました。季節がめぐるのが早くなり、日常をこなすのが精一杯で毎日があっという間。もう40歳、もう50歳、と何事もないのにため息をついてしまったのも、私だけではないですよね。
ところが多良さんは「年をとればとるほど、様々なことから解放され、どんどん自由になっていきます」とご満悦。70代が花だったといい「老後というよりは人生これから!という感じだった」というのですから、羨ましいかぎりです。
◆つましくも心は豊かに
丈夫な体ありきというのが大前提ですが、「無理をしない」メンタルと多趣味、そして自炊生活も生き方のベースになっているのだと思います。つましい食卓ではありますが、野菜を中心とした献立は彩り豊か。
2週間に1回は次男親子が訪ねてくるので、その日はから揚げやカレー、親子丼に手巻き寿司など、ボリュームのあるものを作ってふるまいます。
「育ち盛りに味わったひもじさが、食事を何より大事にする原点」
この言葉は、私達の胸にも重くのしかかるのではないでしょうか。多良美智子さんの戦時下の暮らしには到底かないませんが、物価高騰に不景気、私達も今一度、健やかに生きているという普通の日々を、そのありがたみを、多良さんとともに味わうべきなのです。
巻末には、60代ブロガー・ショコラさんとの対談が付いている本書。ページをめくるたびに、心がゆるゆるとほどけていきますよ。
<文/森美樹>
【森美樹】
小説家、タロット占い師。第12回「R-18文学賞」読者賞受賞。同作を含む『主婦病』(新潮社)、『私の裸』、『母親病』(新潮社)、『神様たち』(光文社)、『わたしのいけない世界』(祥伝社)を上梓。東京タワーにてタロット占い鑑定を行っている。X:@morimikixxx