※画像はイメージです我が国の高齢化率は年々増加し、令和5年の調査では、国民総人口に占める割合が29.1%に達しました(※1)。平均寿命も右肩上がりで、同時に健康寿命(※2)も確実に伸びています。つまり、元気なお年寄りが増加しているということです。
今回の取材で見えてきた問題も、アクティブに行動する老人の増加が関係しているのかもしれません。一体何があったのでしょうか。
◆古びた団地で起こった厄介な問題
市内にある築40年以上の市営団地。そこに住む三沢さん(仮名・54歳)は、管理組合の理事長として、日々住民の声に耳を傾けながら、団地の環境維持に奔走しています。そんなある日、何人もの住人からこんな苦情が寄せられました。
「共用廊下が通れない」「なんだか変な臭いがする」
最初に異変が表面化したのは、数年前。共用の通路に、小型テレビや炊飯器、錆びた金属製ラックなど、明らかに家庭ゴミとは異なる“物”が並び始めました。ひと目で不要物とわかるそれらは、次第に数を増やし、通路の半分を塞ぐまでに膨れ上がったのです。
問題の住人は、70代後半の男性。10年前に妻を亡くしてから、独り暮らしを続けているそうです。
「もともと無口で目立たない人でしたが、奥さんが亡くなってからは急に様子が変わりました」
と、三沢さんは語ります。
「足腰はまだしっかりしていたので、毎朝のように団地周辺のゴミ置き場を回っては、まだ使えそうな物を拾って帰ってくる姿が見かけられるようになったんです」
最初のうちは自宅内に収めていたようですが、年月が経つにつれ物の量は増え続け、ついには共用スペースにまであふれ出してしまいました。
◆注意しても強制撤去しても変わらない現実
理事会では、これまでに何度も話し合いを重ね、老人に対して注意喚起を行いました。しかし、「まだ使えるものを拾っているだけです。誰にも迷惑をかけていない」と本人は意に介さず。
「もちろん、何度か強制的に撤去もしました。でも、時間が経てばまた同じ状態に戻る。私たちも正直、打つ手がないと感じていたんです」
行政にも相談し、福祉課からの訪問も行われましたが、本人が生活保護受給者ではなく、認知症の診断も受けていないことから、介入は限定的。
「ゴミではなく“財産”だと思い込んでいる様子でした。むしろ撤去されると機嫌が悪くなってしまう。こじれるとさらに厄介なので、どうにか穏便に解決したかったのですが……」
団地の他の住民たちも、共用スペースの悪臭や火災リスクを危惧し、不満は募る一方。そんな中、ある日、予想もしなかった人物から提案があったのです。
◆劇的な転機は隣人夫婦の一言から
その人物とは、問題の男性の隣に住む老夫婦。長年にわたり互いに声を掛け合う間柄で、男性にとっては数少ない“心を許せる相手”だったそうです。
「理事会の話し合いの後、その奥さんがそっと手を挙げて言ったんです。『あの人、亡くなった奥さんのこと、今でも毎日のように話してるのよ。きっと奥さんの言葉だったら、聞くかもしれない』って」
その言葉に理事会は動かされ、老夫婦の提案を受け入れることに。数日後、夫婦は直接男性にこう声をかけたといいます。
「こんなにガラクタを家の前に置いていたら、あんたの奥さん、きっと悲しむよ。あの人、きれい好きだったじゃない。生きてたら、きっと怒ってると思う」
この一言に、男性はしばらく黙り込んだそうです。そして数日後、異変が起きました。
「最初は誰か別の人が片づけたのかと思ったんですが、見ていた住民の話では、ご本人が一人で、ゆっくりと荷物を片づけていたらしいんです」
◆人はこれだけ変われるもの
その日を境に、男性は毎朝少しずつ荷物を整理し始めました。何年も前から溜め込んだガラクタは、週を追うごとに減り、ついには廊下からすべての物がなくなったのです。
「『これを捨てたら、奥さんに怒られないかな』と、何度も悩みながら作業をしていたようです。でも、あの一言が彼の心に火をつけたのだと思います」と三沢さん。
現在では、男性が共用部分に物を置くことはなくなり、団地の廊下には風が通るようになりました。
「ときどき、団地の花壇の手入れを手伝ってくれたり、朝のゴミ出しで挨拶をしてくれたり、少しずつですが、以前の穏やかな姿を取り戻しつつあります」
孤独の中で、自分だけの世界に閉じこもっていた男性が、隣人のたった一言で変わることができたのです。
<TEXT/八木正規>
(※1)内閣府発表:「令和6年版 高齢社会白書」より
(※2)健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間
【八木正規】
愛犬と暮らすアラサー派遣社員兼業ライターです。趣味は絵を描くことと、愛犬と行く温泉旅行。将来の夢はペットホテル経営