旬の食材を使ったご飯を食べること。豊かな自然の中で呼吸すること。大切な誰かと一緒に過ごすこと――。『アヒルと犬とそらいろ食堂 季節めぐる、忘れじの記憶』の中には、毎日積み重ねる“細やかな幸せ”がぎゅっと詰まっている。それはまるで、色とりどりの定食のように。
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主人公の葵は、婚約破棄をきっかけに都会を離れ、山に囲まれた神白村に移住。2種類の日替わり定食を出す“そらいろ食堂”を開いて新生活を始める。お店に訪れるのは、祖母や初恋相手、仲良しの夫婦、家族関係に悩む大学生、変わり者の村人、時には食いしん坊な妖怪まで。年代も、生き方も、生物種の違いも超えて、美味しいご飯で繋がる心の交流が描かれる。
物語前半は、四季折々の料理の描写と共に、葵が村に馴染んでいく様子が中心だ。たとえば夏は、ピーマンや茄子の揚げ浸しを乗せたそうめん、ミョウガの甘酢漬け、手作り冷やし飴、グリーンティー。清涼感のある品々は、この時期ならではの食の楽しみをそっと読者に教えてくれる。そんな豊かな食事をきっかけに、和やかな会話が始まったり、懐かしい味で昔を思い出したりと、村人たちが仲を深めていく描写はとても微笑ましく、心がほっと温かくなる。
個人的に印象的だったのは、通りすがりの村人との絶妙な距離感だ。「おかえり」と声をかけてくれるバスの運転手。当たり前のように一緒に歩いて道案内してくれる女性。大荷物を運ぶために台車を貸してくれる店主。都会の生活よりも二、三歩は近く、しかし踏み込みすぎない距離感は、人情味があって居心地がいい。そんな心地よさに、田舎の自然を瑞々しく表現する風景描写や、個性豊かな村人たちの人物描写も加わる。とある人物の薄い白髪が風にそよぐ様子を「アツアツのお好み焼きの上で踊る鰹節」に喩えた一文は、あまりにも的確でユニークな名文だった。
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こんな風に、田舎暮らしに思いを馳せながら心穏やかに読み進めていくと、物語の中盤で、村の人々の心に大きな悲しみをもたらす事件が起こる。喪失感に打ちひしがれる彼らに、再び活力を与えたのは、やはり食べること。直接何かを言葉にしたり、大げさに抱き合ったりしなくても、ただ一緒にご飯を食べて傍で過ごすだけで自然と笑いあえる姿は、やがて血縁を超えた大家族のようにも映る。本作の食事は、楽しい会話や思い出を育むだけではなく、登場人物たちに立ち直る力を与える役割も担っているのだと気づかされた。
そして、物語にファンタジー要素を添える妖怪たちもまた、葵の大切な家族の一員だ。話せるイタチのミズハは、憎まれ口を叩きながらも葵が作った年越し蕎麦をおかわりし、祖母の家に住み着く座敷童は冷淡だが、祖母の変化をそっと葵に伝えてくれる。そんな彼らは、決して単なる賑やかしではなく、人生の儚さと尊さを教えてくれる、物語のキーパーソンだ。「生きた長さではなくて、どんな人に囲まれ、どう生きたか。葵たちのような人間とともに生きられることは幸せなのだと、僕は思う」。そう静かに語るミズハの言葉は、長い時を生きる妖怪だからこそ説得力を持って深く響き、読者に“生きること“という普遍的で大きなテーマを考えさせる。
“誰かと一緒に生きることの尊さ”を優しく描いた本作。読み終えたあとは、新しい料理を作ってみたり、帰り道の風景をゆっくり眺めてみたり、離れて暮らす家族にふと連絡してみたり――。昨日よりもっと、今の暮らしを慈しもうという感情が沸き起こってくる。そんな愛おしい作品だ。
(文=南明歩)
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