10月5日、手塚治虫の未発表作品のネームが、手塚プロダクションの原画保管庫から発見されたと発表され、話題を呼んでいる。時事通信社の報道によると、見つかったネームは3本で、1973年ごろに描かれたものと推察されるという。
当時の手塚は、自身が立ち上げたアニメスタジオ・虫プロダクションが倒産し、多額の借金を背負い、ヒット作にも恵まれなかった“冬の時代”を過ごしていた。そんな逆境の中で描かれたネームということもあり、手塚の試行錯誤の痕跡や、苦しい心境が内容に反映されている可能性も高い。
報道によれば、1本は「読み切り短編『低俗天使』の試作」とされ、残る2本は完全な未発表作品。「高性能コンピューターに育てられていた男児がヒョウのような野生児に生まれ変わる物語」と、「スイスのアイガー北壁で遭難死した兄の謎を追う青年の物語」という設定で、それぞれ27ページ、28ページに及ぶ長編ネームだ。手塚プロダクションによると、これほどの分量の未発表ネームがまとまって見つかるのは「初めてに近い」としており、発見の意義は極めて大きい。
これらのネームは、11月14日に発売される『手塚治虫 ミッシング・ピーシズ』(立東舎/発行)に収録予定だ。同社はこれまでにも、『三つ目がとおる』や『ブラック・ジャック』などの未公開ネームやスケッチを収めた資料集を刊行しており、今回の書籍もその流れを汲むシリーズの一冊となる。定価は約7,000円と報じられている。
なお、今回見つかったネームは雑誌編集者に提出するために描かれた可能性があるとされ、完成稿の下書きというよりも、構想段階の「企画提案」に近い位置づけとみられている。公開された画像には、コマ割りやセリフ、登場人物の造形までかなり描き込まれており、ネームとはいえ完成度の高い内容であることがうかがえる。
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手塚の未発表作品や草稿の断片が見つかること自体は珍しくない。「開運!なんでも鑑定団」で未発表原稿が1,000万円の鑑定額をつけられたこともあり、過去にも「まんだらけオークション」などを通じて草稿やスケッチが市場に出た例もある。さらに、藤子不二雄(A)の回顧にもあるように、手塚は若い漫画家志望者に原稿の切れ端を譲ることも多く、1950〜60年代のファンのもとから資料が発見されるケースも少なくなかった。
しかし、今回特筆すべきは、それが1970年代の新作ネームである点だ。20ページを超える規模のネームが新たに見つかることは極めて稀であり、特に1973年という年に描かれた点にも注目が集まる。この年は、虫プロ倒産後の低迷期にありながら、『ブラック・ジャック』の連載が始まった再起の年でもある。つまり、絶望の中で再び創作意欲を燃やし、復活へと向かう過渡期の手塚の精神状態が、このネーム群には刻まれている可能性があるのだ。
ネームとはいえ、構図やセリフの完成度は高く、キャラクターの造形もほぼ確立しているように見える。そのままペン入れをすれば、十分に一作品として成立しそうなほどである。ただし、作品化には著作権や遺族・遺産管理の問題、原稿保存の状態など、いくつかのハードルが残されている。現時点では、3本すべてが完全な形で刊行されるかどうかは未定だ。
1970年代の手塚は、自身の地位を再構築しながらも、商業的には苦しい局面に立たされていた。だからこそ、この時期に描かれた未発表ネームは、「復活」を志す手塚の創作を垣間見る貴重な資料といえるだろう。漫画史的にも、作家個人史的にも、この発見の意義は計り知れない。
11月刊行の『ミッシング・ピーシズ』で3本の全貌が明らかになるとき、我々は“手塚治虫が最も苦しみながらも、最も燃えていた瞬間”をようやく追体験することになるのかもしれない。
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