
本稿では、なぜ「教えること」に抵抗や難しさが存在し、その意義が人生のステージによってどう変化していくのかを考察する。
教員の採用倍率は過去最低を記録
「何かを学ぶこと」に前向きな若者は多いが、教師になろうと考える人が多いとはいえない。近年、教員の採用倍率は低下し続け、2024年度には小中高校すべてで過去最低を記録した。その理由として、長時間労働や待遇がよくないといったネガティブなイメージが一因と考えられる。
例えば、大学生の清水さん(仮名、20歳男性)は、親の勧めで教職課程を履修しているが、必ずしも教師として働きたいわけではないという。
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そもそもあまり教師になりたいと思っていないのですが、でも、何かあった時の保険になるような気がして。なんとか続けています」
清水さんのように教員になりたいわけではないが、「とりあえず免許は取っておく」という学生は決して少なくない。
教師の役割と価値観の変化
かつては、教師は知識や人間性を伝え、尊敬される存在だった。しかし今や学校現場は「進学実績を上げる場」に変わりつつあり、学力向上が重視されるようになってきている。その結果、「情操教育」を重んじる雰囲気は薄れ、教育者としての魅力も感じにくくなっているのではないだろうか。
また、情報化社会となり、教師個人の問題行動、発言がすぐ拡散されるようになったことも、教育現場への信頼低下に拍車をかけている要因の1つに違いない。
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昭和世代の多くは、学校や職場で先生や上司から指導を受けて成長してきた。しかし現在は、スマートフォンやAI、SNSや動画などの普及によって、人から人への直接的な指導機会が大幅に減っている。
分からないことがあればGoogleで検索したり、YouTubeの解説動画を見たりすれば、たいていのことは分かってしまう。しかし、仕事の効率化などの利点はあるものの、それと引き換えに、広範な知見や経験を得にくくなっている気がしてならない。
また、オンライン会議や社内チャットなどで業務連絡はスムーズになったが、上司と若手社員が直接話す機会は激減。加えて、パワハラやモラハラ、セクハラなどハラスメントへの社会的警戒感が強まった結果、上司は必要以上に部下と関わることを避けがちだ。
若手自身も、上司の熱意を敬遠しがちな風潮が高まっている。
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情報を探し続けていると、間違った情報にたどり着くこともある。その情報が正しいのか、そうでないのか見極める力は若い人たちにはあまりないことが多い。本来過去の経験が生きるのは、そうした判断に迷った時であり、上司の存在が必要な瞬間である。
コミュニケーション機会の減少でタイムリーな共有が難しくなった今、一方で避けられたはずのミスや損失を招く可能性が高まっていることは、現代社会の深刻な課題といえるだろう。
そんな中、今だからこそ“教育”について考えることが大切だと語る中高年男性がいる。
メリットは教えられる側だけにあるわけではない
もともと会社員として働いていた高橋さん(40代男性・仮名)は、40代半ばで「実務家教員」として大学教員に転身した。実務家教員とは、企業や官公庁などにおける実務経験を通して培われた知識やスキルなどを生かして、大学などの高等教育機関において教育や研究などの職務に従事する教員のことである。
今、この実務家教員を求める声が増えてきているのだが、その背景にあるのは、人口減少社会を迎えた日本で、“人材育成の質を向上させる必要性”があるということだ。
それには、大学教育が社会人として必要なスキル開発に役立つことを、学生により明確にイメージさせることが有効だ。実務経験が豊富な元ビジネスパーソンが教育の現場に立つことで、その狙いを実現させようという試みである。
大学教員には研究能力の高い人物が多いが、実務家教員に期待されているのは「教育指導力」と「実務能力」である。
高橋さんが注力したのは、学生のインターンシップの機会を作ることだった。そのために産業界や行政機関、そしてNPO(非営利団体)やNGO(非政府組織)などとパートナーシップを結ぶことに注力した。
長年営業職で鍛えたコミュニケーション力や新規開拓の経験が大いに生かせたという。
「継続して学生インターンを受け入れてもらうには、インターンの目的や内容、そして双方のメリットを明確にする必要があり、そのためには相手を知る傾聴力や地道な信頼関係作りへの具体的アクションが欠かせません」と、高橋さん。
会社員時代は部下の育成にも力を入れていたというが、いつから人材育成に関心があるのか、なぜ人材育成に関心があるのだろうか。
「人に教えることで自分の頭が整理できるんですよ」と、高橋さんは人材育成がもたらす自分へのメリットから話し始めた。
「分かりやすく人に伝えようとすると、自分の知識や理解を一度分解して整理し、そのうえで再構築するので、自然とあいまいなところがあぶり出されます。自分の気付いていなかったことや、分かったつもりになっていた部分が明らかになるので、学び直すことができるんです。
あとは純粋に、相手に教えて分かってもらえたり、喜んでもらえたりした時はうれしいですし、自分もホッとします。自分だけでなく、他の人も自分と同じ知識やノウハウを持っていると思うことで、何かあった時の保険をかけることができたようで安心できるんです。
もちろん、教えるにあたっては、ハラスメントに十分配慮しなければならないなど、このご時世ならではのハードルはあります。ただそれ以上に、教えるということは、相手と自分の双方に大きなメリットがあると思います」
双方の経験が人生を豊かにする
中高年になると、人材育成への熱意が芽生える人は多くなる。それは自身が若い時に上司・先輩から得た恩を、今度は後輩に返したいと考えるからだ。現代のように人とのつながりが希薄になると「恩返し」の機会も減ってしまうが、ベテラン世代は依然、若手の成長を応援したいと考えているのではないだろうか。
しかし、ハラスメントなどの壁が立ちはだかるのが今。そこで、若手社員からも「積極的に教えを請う」ことが重要だと、筆者は考える。若手が自ら働きかければ、ベテラン側も一方的な指導となるリスクが減り、ハラスメント不安が和らぐ。
さらに、ベテラン世代の失敗談や苦労話も「反面教師」として学びに変わり、人生経験を幅広く吸収できるのだ。
「学ぶ側」と「教える側」の双方の経験は人生を豊かにする。年齢や立場が変わっても、「人に教える」「誰かに学ぶ」意欲と姿勢は、自己成長と社会貢献の好循環となり得る。変化の激しい現代社会だからこそ、互いに学び合い、支え合う関係性の大切さを再認識する必要があるのではないだろうか。
(文:小松 俊明(転職のノウハウ・外資転職ガイド))
