握手する(左から)武村正義新党さきがけ代表、村山富市社会党委員長、橋本龍太郎自民党総裁(肩書はいずれも当時)=1996年1月、国会内 村山富市元首相の死去を受け、与野党から17日、悼む声が相次いだ。1994年に自民党総裁(当時)として社会党、新党さきがけとの連立政権樹立に尽力した河野洋平元衆院議長(88)はコメントを発表。「持ち前の実直さと信念を持ちながら日米首脳会談やサミットも立派にこなされ、(戦後50年に関する)『村山談話』や『被爆者援護法』など数々の実績も残された」と顕彰した。
河野氏は、社会党委員長だった村山氏を首相に推したことに触れ「当時は批判もあったが、自民が譲ってこそ成立することができた政権だと、今でも確信している」と強調。「昨今のこの政治の混乱について意見を聞きたいと思っていた矢先の訃報。残念でならない」とつづった。
さきがけで代表代行を務めた田中秀征元衆院議員は取材に「社会党出身の首相という戦後政治の例外的存在だったが、保守出身の首相と比べても見識・人格ともに群を抜く人だった。自分を過大評価しない人だった」と振り返った。
村山氏は首相就任後、社会党の基本政策を変更し、日米安全保障体制の堅持と自衛隊合憲を表明した。石破茂首相は首相官邸で記者団の取材に応じ、「大きな転換点だった」と評価。「自衛隊を認めてこなかった方が最高指揮官になるのはどうなんだろうかという思いが強くあった」と振り返りつつ、「(当時の)首班指名で村山さんに投票していない」と語った。
自民の高市早苗総裁は日米安保堅持について「非常に大きな政策転換をされ、党内を説得されるのにも本当に大変な思いをされたと思う」と指摘。「今、私自身も同じような立場の中にある」と述べつつ、安定政権の樹立に全力を挙げる方針を表明した。
社会党を引き継いだ社民党の福島瑞穂党首は記者団に「党を見守ってくれていた守護神みたいな方だ。最後の最後まで頑張れって言ってくれた人なのでとても寂しい」と強調。村山談話に関し「植民地支配や、過去の侵略戦争への反省、謝罪をはっきり言った。功績だ」とたたえた。
社民出身で立憲民主党の辻元清美参院議員は自身のX(旧ツイッター)にお悔やみを投稿。立民国対委員長として助言を求めた際、村山氏から「約束したことは必ず守る。教えることはこれだけじゃ」と言われたエピソードを紹介した。
村山氏と同じ大分県出身の岩屋毅外相は会見で「党派を超えて県民から『トンちゃん』という呼び名で親しまれていた先生で、人柄も温かい方だった」としのんだ。

記者団の取材に応じる自民党の高市早苗総裁=17日午後、東京・永田町の同党本部