
【動画】安楽死を描く衝撃の社会派作品! 映画『安楽死特区』特報
在宅医として2500人以上の看取りを経験してきた医師で作家の長尾和宏による同名小説が原作の本作は、近未来の日本で「安楽死法案」が可決され、国家主導で導入された制度のもと、人間の尊厳、生と死、そして愛を問う衝撃の社会派ドラマ。
人生の最期を自ら決断しようとする者と、国から命じられ苦悩しながらも安楽死に導く医師、それを見守る者。一体、死とは誰のものなのか? 制度と人間、理想と現実の狭間で揺れ動く人々の姿を描き、見る者一人ひとりに、重い問いを投げかける。
監督は、『痛くない死に方』(2020)、『夜明けまでバス停で』(2022)、『「桐島です」』(2025)などの高橋伴明。脚本は、『野獣死すべし』(1980)、『一度も撃ってません』(2020)などの丸山昇一。
舞台は今から数年後の日本。欧米に倣って安楽死法案が可決した。それでも反対の声が多いため、国は実験的に「安楽死特区」を設置することに。主人公のカップルは、回復の見込みがない難病を患い、余命半年と宣告されたラッパー・酒匂章太郎と、彼のパートナーでジャーナリストの藤岡歩。安楽死法に反対のふたりは、特区の実態を内部から告発することを目的に、国家戦略特区「安楽死特区」への入居を決意する。そこで2人が見たものは、安楽死を決意した人間たちの愛と苦悩。医師たちとの対話を通じ、ふたりの心に微細な変化が訪れるが…。
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末期がんに苦しむ夫と、夫と心がすれ違う妻を演じたのは、平田満と筒井真理子、認知症と診断され、死なせて欲しいと願う元漫才師役で余貴美子が出演。そして、「安楽死特区」の特命医を演じるのは、加藤雅也、板谷由夏、下元史朗、奥田瑛二。歌謡漫才のコンビであり余貴美子の妹役で友近、尾形の元妻役で鈴木砂羽が出演。また、シンガーソングライターのgb(ジービー)が毎熊克哉とラップを披露する。
加藤雅也は「安楽死、それは賛成であるか反対であるかは、簡単に言えることではないです。人それぞれ、その人の生きる環境が違うからです。この映画を見て賛成であるか反対であるかということではなく、人生の幕引きについて考えるきっかけになればいいのではないかと思います」とコメント。
板谷は「自分だったら、自分の大切な人だったら、どうしますか? どう考えますか? 問題提起され、自分と会話をさせられる気がします。今だからこその作品だと思いますので、ぜひ劇場でご覧ください」とメッセージを。
奥田は「たとえ役にモデルとなった人物がいたとしても…考えに考え役を作り、撮影の日々が進むにつれ、スクランブル交差点で迷子になった幼子のように立ち竦んでしまった。それが、題名『安楽死特区』である」とコメントしている。
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加藤、板谷、奥田のコメント全文は以下の通り。
<コメント全文>
■尾形紘役:加藤雅也
どんな患者も生きてもらって帰す。それをポリシーとして生きてきたカリスマ心臓外科医の尾形は、ある時自分は患者の臓器の事は知っていても患者の人となりを知らなかったことを知り、心臓外科医を辞めます。そして、安楽死特区の医者となり「安楽死を選ぶ様々な理由を知る」「命を救うことだけが本当に医者として正しいことなのか?」「患者と家族、患者と患者を取り巻く人々の関係において何が正しいのか?」答えのない答えを求めて葛藤し続けます。
大西さんとのシーンで印象に残っているのは、「何が何でも生きて欲しい」という彼女(歩)の思いを受け止めながらも毎熊さん演じる章太郎の気持ちを伝えるシーンです。絶対に理解されないとわかっていても伝えなければならない。非常に難しいシーンでした。
毎熊さんとのシーンで印象に残っているのは、病室で二人で語り合うシーンです。章太郎の言う「この病気を長くやってると、暗い絶望と明るい絶望がある」というセリフが印象に残っています。お二人のお芝居を通していろいろと考えるきっかけができました。
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安楽死、それは賛成であるか反対であるかは、簡単に言えることではないです。人それぞれ、その人の生きる環境が違うからです。この映画を見て賛成であるか反対であるかということではなく、人生の幕引きについて考えるきっかけになればいいのではないかと思います。
■三浦ユカ役:板谷由夏
演じた三浦の安楽死について個人の考えは揺れ動いている気がしながら演じていました。三浦なりの迷いがあったように思います。毎熊さんと大西さんお二人の心を感じるお芝居を見せて頂き、三浦の迷いもリアルになった気が致します。
自分だったら、自分の大切な人だったら、どうしますか? どう考えますか? 問題提起され、自分と会話をさせられる気がします。今だからこその作品だと思いますので、ぜひ劇場でご覧ください。
■鳥居幸平役:奥田瑛二
出演したこの作品について感想、思いを尋ねられた時、果たして応えられるだろうか? しまい込んだものを無理やり引っ張り出して語ることができるだろうか? まして…死について…安楽死がテーマなら尚更なことである。たとえ役にモデルとなった人物がいたとしても…考えに考え役を作り、撮影の日々が進むにつれ、スクランブル交差点で迷子になった幼子のように立ち竦んでしまった。それが、題名『安楽死特区』である。撮影が終了し、公開が迫った今でもそれは変わらない。歳のせいか? 自分の問題か…今だに答えが出ないままである。