今年の文化勲章受章者が17日、発表され、歌舞伎俳優片岡仁左衛門(81)が選ばれた。仁左衛門は「自分が好きでやらせていただいたことで、こんなに大きな勲章をいただけて、幸せだなというのが実感です」と喜んだ。どこが評価されたと思うかと問われると「分からない。自分がいただいていいのかなというのが本音ですから。なんか照れくさいです」と、笑顔を見せた。
電話で連絡を受けた時のことを「有頂天になって『ありがとうございます。お受けいたします』と喜びました。お仏壇に、父や母、亡くなった兄弟たちに報告したんです。落ち着いて考えた時、私がいただいていいのかな、と思いました」と話した。その上で「文化勲章の大事さ、質を落とさないように、一層精進して、多くの方々に、長い歴史を持つ歌舞伎に親しんでいただけるように努力しなければいけない。わーっという気持ちになりたいけど」と語った。
1949年(昭24)に初舞台を踏んで76年。最もうれしかったことを聞かれると「難しいなあ…。たくさんあってね」と熟考し「舞台をつとめていて、お客さまに受け入れられている空気が伝わった時、これはうれしいですよね。やはり役者というのはお客さまに受け入れていただいて、初めて幸せ感を感じる」と答えた。
また、つらかったことを聞かれると「舞台に立てなかった時期です。今でこそ、安定したお仕事をちょうだいしてますけど、若い時は、この仕事から去らなければいけないのかという時期もありました」と、関西の歌舞伎が低迷していた時期を挙げた。
93年には大病を患い、1年間休演した。当時のことについて「仁左衛門という名前を内々で継ぐことが決まっていまして、自分でいいのか、三男の自分でいいのか悩んでいる時に大病になりました。一時、生死の境を行ったり来たりしていたようですけど、私が継ぐべき人間であれば命が助かるであろう、と」と振り返った。復帰を果たした後は「神様が命をくださったという責任感」を感じているとした。
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これまで演じた中で印象深い役を聞かれると「1つは『女殺油地獄』の与兵衛。私の出世作の1つで、これがある意味、私のスタートです」と、64年に大阪・朝日座で初役で挑み大評判になった役を挙げた。さらに「きゃしゃな私が線の太い役をつとめた『義賢最期』」と「源平布引滝」の人気の場を挙げ、「印象深い役…たくさんあってね。この辺でやめとこか」と笑った。
片岡孝夫時代から、坂東玉三郎との共演が話題で「孝玉コンビ」として人気を博した。現在は「仁左玉コンビ」として、共演演目は完売日続出となっている。玉三郎の存在について、仁左衛門は「気心が合うといいますか、女房的な感じですね。役者同士、仲が良くても相手に気を使ったりするところがあるけど、彼とはそういうところがない。良きパートナーです」と話した。
後進に伝えたいことを問われると「先輩がこうしてたからこうするのではなく、先を見ないと。私自身、いまだに、なぜ気付かなかったのかなということがたくさんあります。これでいい、できたと思ってはいけない。その上を目指さないと」とし、出演中の「義経千本桜」の場面を一例に挙げ「一事が万事、せりふの裏をしっかり自分でつかまなきゃいけないよと言ってます」と話した。
◆片岡仁左衛門(かたおか・にざえもん)本名片岡孝夫。1944年(昭19)3月14日、大阪生まれ。13代目片岡仁左衛門の三男。屋号は松嶋屋。49年9月大阪・中座「夏祭浪花鑑」で本名の片岡孝夫で初舞台。98年1、2月「吉田屋」「助六曲輪初花桜」ほかで15代目仁左衛門を襲名。06年に日本芸術院会員、15年に人間国宝認定、18年に文化功労者。「上方歌舞伎会」の指導や、若手、中堅俳優らの公演「あべの歌舞伎 晴の会」の指導、監修を務める。長兄は片岡我當さん、次兄は片岡秀太郎さん、おいは片岡愛之助。
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