
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『日本語ラップブーム』について語った。
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今週のひと言「バブルを迎えた日本語ラップ。この先に待ち受けるものは?」
現在、日本語ラップはバブル期を迎えている。
バブルなんていうとはじけるの前提かい!となるが、1度目のバブルがはじけた21世紀初頭、いわゆる「日本語ラップ冬の時代」にラップを始めた俺を含め、中年ラッパー連中はここ数年の異常な好景気に、かつてのバブルを重ねてしまっているのではないだろうか。
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もちろん、これがバブルなんてものではなく、まだまだ上っていく途中であるなら、それほど素晴らしいことはないのだが......。
とはいえ、現在若者で自ら能動的にヒップホップを聴かない限りはたいていの人にとっては「Creepy Nutsの『Bling-Bang-Bang-Born』と千葉雄喜の『チーム友達』ぐらいしか知らないし、バブルっていうほどはやってるか!?」って感じだろう。
確かに何かとうるさい自称ヒップホップ好きが認めるようなレベルの日本語ラップが日常レベルではやっているかというとそうではない。
しかし、10年前までは考えられなかった数の日本語ラップアーティストが日本武道館や全国のアリーナ、ドームなど大型会場でライブをやれるようになったり、ネット配信の普及で多くのアーティストが事務所やレーベルに頼らず自分たちの力でラップだけで生活ができるようになった。
自分で書きながら、その程度でバブル扱いはいささかスケールの小さい話のように感じなくもないが、繰り返しになるが20年前、ラップで飯を食うなんて文字どおり夢物語だった。
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そうした時代を経験しているオッサンからすると、今の日本語ラップを取り巻く環境は想像もしていなかったような事態なのだ。
そして現在のブームよりひと足先にバブルを迎え、現在徐々に落ち着きを見せ始めているのが、MCバトルブームだ。
俺自身その恩恵にあずかりまくったMCバトルであるが、そのブームの火つけ役ともなった番組『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日)は、フリースタイルシリーズとして形態を変えながらも放送開始から約10年、今年ついに終了した。
そうした中ではあるものの、MCバトルはというと多少規模を縮小しつつも、いまだに多くの大会が毎週のように開催され、純粋なラッパー以外の参入も当たり前になった。これはバブルがはじけたというよりは、むしろ文化として定着したといったほうがしっくりくる。
では、日本語ラップ自体はどうか。
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約20年前の日本語ラップバブル期は、Dragon Ashのヒットに始まり、RIP SLYMEやKICK THE CAN CREWなどに続けと、玉石混交のさまざまなアーティストがメジャーへ引き上げられていった。
しかし、ルーズなアングラマナーをそのまま引きずっていた者は、思うような結果に恵まれず放出。そうした事例が少なからずあったため、続く後発アーティストたちのメジャーへの道がほぼ断たれることになった。
現在のブームはその構図とは違い、それぞれのアーティストが自分たちでそのパイを広げている。
この先もう一段階上の訴求力を持てるかどうかは、過去に学ぶとすれば、良くも悪くも独特なヒップホップマナーからの脱却が必要なのだろう。
しかし、俺を含め、多くのヒップホップファンがそのマナーにこそ魅力を感じているのも事実。
このブームがバブルであろうがそうでなかろうが、結局はなるようになると時代に身を任せるのが正解なのかもしれない。
撮影/田中智久