『ヒロシマめざしてのそのそと』ジェイムズ・モロウ ジェイムズ・モロウは、1981年に第一長篇を発表してデビュー。ネビュラ賞や世界幻想文学大賞など、いくたびか賞を射止め、現在ではアメリカSF界で確固たる地位を築いている作家だが、なぜか邦訳にめぐまれない。単行本としては、この『ヒロシマめざしてのそのそと』がはじめての紹介となる。原書は2009年に刊行され、シオドア・スタージョン記念賞を受賞した。
太平洋戦争末期、誰の目にもすでに日本の敗戦は確実だったが、無条件降伏に追いこもうとアメリカはだめ押しの手段を探していた。ひとつは陸軍による原子爆弾開発、マンハッタン・プロジェクトだ。
そして、もうひとつ、海軍が進めている究極の生物兵器の開発、ニッカーボッカー・プロジェクトがあった。すでに品種改良によって、全長四〇〇メートルで火を吐く、狂暴なトカゲができあがっており、ベヒモスと名づけられていた。この怪獣は、いったん解き放ってしまえば制御不能。あまりに危険だ。
そこで、海軍は日本から外交団を招聘し、その前でデモンストレーションをおこなってベヒモスの脅威を印象づけ、実戦投入なしに相手の戦意を挫こうと考えた。段取りはこうだ。まず、ベヒモスの成獣三頭の威容を見せつける。そのうえで、ベヒモスの幼体を用い、日本の都市に見立てたミニチュア・セットの破壊を披露する。
ところが幼体は性質がおとなしく、思ったような演出ができないとわかった。切羽詰まった海軍は、実物そっくりの着ぐるみをつくり、スーツアクターに操作させる作戦をひねり出す。白羽の矢が立ったのは、ハリウッド映画でいくつものモンスター役をこなしているシムズ・ソーリーだった。彼がこの作品の主人公にして語り手である。
なにしろアメリカ海軍の極秘計画。ソーリーに拒否権はないも同然だった。引きずられるようにして、砂漠にある秘密兵器試験場へと連れて行かれる。彼がまず目にしたのは、ベヒモス成獣の忌まわしい姿だった。
案内した軍人たちは胸を張って、この生物兵器の凄さを言い募る。やりとりはこんなかんじだ。
「この兵器が通常兵器よりも有利な点のひとつは、運搬システムを必要としないことだ」ストリックランド中将は得意げに言った。「爆撃機も、ロケットも、長距離砲も必要ない。鎮静剤をあたえたベヒモスを潜水艦で日本の沿岸水域まで曳航するだけでいい。鎮静剤の効果が薄れたら、いきなり拘束具をはずすことで、解放という大きな刺激をあたえてやる。この連鎖反応が生来の凶暴性と結びついて、ベヒモスはまっしぐらに海岸へと泳ぎ着き、田園地帯を蹂躙しながら前進して都市を見つけだし、そこを焼き尽くすのだ」
「焼き尽くす?」わたしは言った。「こいつらは火を吐くんですか?」
「火を吐くに決まっているだろう」バーザック中佐が言った。「納税者の五億ドルをついやしたのはなんのためだと思っているんだ?」
ストリックランド中将のように、デモンストレーションなどせずに、奇襲作戦でベヒモス成獣を日本に上陸させ、一気に敵を叩きのめしたがっている者もいるわけだ。ソーリーはうんざりしながら、事態に巻きこまれていく。
戦争が引きおこす狂気をひややかな視点で眺め、皮肉交じりの饒舌で綴っていくところは、カート・ヴォネガットを彷彿とさせる。モンスター映画やホラー映画などマニアックなトリヴィア、映画業界の内幕話がいくつも織りこまれているのも楽しい。主人公のソーリーはもちろん、彼の恋人で脚本家のダーリーン・ワッサーマン、ベヒモスのデモンストレーション現場を取り仕切る映画監督のジェイムズ・ホエール、ソーリーをライバル視しているB級ホラー映画俳優のシーグフリード・ダコヴァーなど、個性的なキャラクターたちもイキイキと魅力的だ。
基本的にブラックユーモアSFだが、ヴォネガット作品がそうだったように、いたたまれないテーマが根底に流れている。
作品の大部分はソーリーの回想録として書かれており、彼にとっての現時点は1984年10月28日から翌日にかけてだ。前日にファンタジイ映画大会があって、ゲストとして呼ばれたソーリーはボルティモアのホテルに滞在している。執筆途中に部屋を訪ねてくる人物が何人かいて、そのやりとりも物語中に挿入される(それがどれもほろりとさせる良いエピソードなのだ)。
ソーリーは回想録を書き終えたら部屋のバルコニーから身を投げて自殺するつもりで、それを冒頭で明記している。つまり、読者は1945年のベヒモスをめぐるドタバタ劇を追いつつ、自ら死を選ぼうとしている現在のソーリーの心境を推察していくのだ。太平洋戦争末期に起こったことがおよそ40年後につながっていくわけだが、そこに当時(1980年代前期)の状況がかかわっている。
そして、その状況はさらに現在(2025年)につながっていることを、内田昌之氏の「訳者あとがき」が明かしている。書評でこういう表現はあまりしたくはないのだが、間違いなく「いまこそ読むべき作品」だ。
(牧眞司)
『ヒロシマめざしてのそのそと』
著者:ジェイムズ・モロウ,内田昌之
出版社:竹書房
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