AKB48橋本陽菜「オーディションで中学校の校歌を歌いました。音程が外れても歌詞を間違えてもバレないかなと(笑)」【連載 なんで令和にAKB48? Season2】

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2025年11月13日 12:10  週プレNEWS

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富山県出身の橋本陽菜


2005年(平成17年)12月8日に秋葉原で産声を上げたAKB48。前田敦子、高橋みなみ、小嶋陽菜、篠田麻里子、大島優子、指原莉乃ら数々のスターを生み出し、誰もが知る国民的アイドルグループとなった。

あれから20年、数々の伝説を作ったAKB48劇場は昨年末に完全リニューアルされ、それに合わせておよそ9年ぶりのオリジナル公演がスタート。そしてグループとして再び東京ドームに立つという目標が掲げられた。そんななかで現役メンバーは何を思うのか? 今、AKB48を見る意味とは?

昨年3月よりスタートした若手インタビュー連載に続いて、在籍6年以上のメンバーに話を聞く「なんで令和にAKB48? Season2」がスタート。

第3回は2014年4月3日に13歳でチーム8富山県代表メンバーとしてデビューした橋本陽菜(はしもと・はるな)。前編はオーディションの思い出や、彼女の代名詞ともなったアプリゲームのことなどを語ってもらった。

【写真】橋本陽菜のグラビア

【アイドルをやって、学校の先生をやって、レジ打ちをするという人生設計でした】

――最初にAKB48でのターニングポイントを教えて下さい。

橋本 私のターニングポイントは『AKB48のどっぼーん!ひとりじめ!』(以下、『ドボン』)というアプリゲームがリリース(2020年8月18日)されたときですかね。

私はもともとAKB48のファンで、グループの色々なゲームを遊んでいました。メンバーになってからも、音楽ゲームがあったらいいなと思っていたら、実際にリリースされて。当時、『ドボン』を頑張ったメンバーは『AKBINGONEO!』という特別番組に出られる特典付きだったんです。

――『AKBINGO!』といえば深夜にやっていたAKB48のレギュラー番組でしたね。

橋本 ファンの方が一度も番組に出演したことのなかった私を「絶対に出してあげよう」と、頑張ってポイントを積み重ねてくださったおかげで出演できました。そこで初めてファンの皆さんと一緒に何かを成し遂げることに達成感を感じたんです。

そこから毎年、『ドボン』を頑張った人だけが出られるライブは、ファンの皆さんが熱心に応援してくださって。来年2月にあるライブも1位で参加することが決まりました!
 
――それはすごいですね。では、そんな橋本さんがどんな人生を送ってきたのか聞いていきたいです。

橋本 富山県出身で、小さい頃は野山を駆け回ったり、校庭の鉄棒をぐるぐる回ったり、小学校の夏休みは毎日プールに行って日焼けするのが当たり前なコでした。

――当時憧れていたものは?

橋本 将来の夢がいっぱいあって、学校の先生、女優さん、それからレジ打ちの方にもなりたくて。ドラマを見ることが好きで、新しい作品を見るたびになりたいものが増えていくんですよ。

そんな中、初めてアイドルになりたいと思ったのは、NHKの『紅白歌合戦』に出ているAKB48を見たときでした。とてもキラキラしてカワイイなって。

――『紅白』ですか!

橋本 当時は小学1年生で、AKB48がどんどん大きくなっていくのを見ていて、気が付いたら『ヘビーローテーション』とかを踊るようになって、私も入りたいなと思うようになりました。 

――たくさんなりたいものがあった中で、AKB48を選んだのは?

橋本 小学生の頃に組んだ人生設計が、若いうちにアイドルをやって、ちょっとしたら俳優やタレントさんになって、それから学校の先生をやって、レジ打ちをやるという流れだったんです(笑)。

――詰め込んでいますね。アイドルはいくつまでの予定だったんですか?

橋本 私の中では20歳で卒業する気持ちでした。そこから俳優を20年ぐらいやって、学校の先生を20年ぐらいやって、レジ打ちをやって。

――ちなみにアイドルグループはどこでもよかったの?

橋本 いえ、AKB48を見てアイドルになりたいと思ったので、AKB48しか興味がありませんでした。

――オーディションを受けたのは?

橋本 13歳の時、お父さんが富山でチーム8のオーディションがあることを教えてくれました。家にはAKB48のグッズが大量にあふれていたし、ずっとAKB48に入りたいと言っていたんですが、一度オーディションを受けたら、熱が冷めて勉強を頑張ってくれるだろうと思っていたようです。

なかなかオーデイションを受ける決心はつかなかったのですが、お父さんが締め切りぎりぎりに「いいの?」と聞いてくれたときに「やる!」と言って受けました。

――オーディションで覚えていることはありますか?

橋本 ダンスが全然踊れなかったことですね。『会いたかった』が課題曲で、家でたくさん練習して、踊れるようになったつもりでしたが、本番ではまわりに上手なコがいっぱいいて「私って踊れていないんだ」と気づきました。

ビジュアルがいいコも本当にたくさんいて、経歴がすごい方コもいるし、これは落ちたなと。 

ファッションもおしゃれなコがいる中で、私は赤チェックの長袖シャツにジーンズ。メガネもかけていた上にお団子ヘアで「田舎から出てきました!」みたいな(笑)。 

――それでも受かった理由は何だと思いますか?

橋本 自分の中で唯一インパクトを残せたと思ったのは、自己PRで中学校の校歌を歌ったことかなと。歌はそんなに得意ではなかったんですけど、校歌は別に歌詞を間違えても、音を外してもバレないかなと(笑)。お母さんが勧めてくれました。

――校歌にカラオケ音源とかはないと思いますが、アカペラで披露したんですか?

橋本 お姉ちゃんの伴奏をお父さんがCDに焼いて、それを流して歌いました。

――校歌を提案したのはお母さんだし、家族総出のサポートですね。

橋本 結局、緊張しすぎて1番と2番の歌詞が混ざっちゃって......。でも審査員の方は気づかなかったみたいです。

――作戦勝ちですね(笑)。受かってどうでしたか?

橋本 地元の新聞に載りまして、次の日学校に行ったら「見たよ」と。

――アイドルになりたいという話をまわりは知っていたの?

橋本 AKB48が好きというのはみんな知っていました。ただ、小学校の卒業文集には俳優になりたいと書いていたり、卒業式ではタレントになるのが夢と言ったり。なぜか、まわりの目を気にしてアイドルになりたいとは言えてなかったですね。

【『AKB48のどっぼーん!ひとりじめ!』で私の居場所ができました】

――どうでした? 実際に活動をスタートして。

橋本 平日は学校、土日はイベントやレッスンで、毎日忙しくしていた記憶しかなくて。でも同年代のメンバーと一緒にいるのが楽しかったし、学校で嫌なことがあっても「AKB48があるからいっか」みたいな。新しい居場所ができました。 

――ずっと富山から東京へ通っていたんですよね。

橋本 加入当初はまだ新幹線が富山まで通じていなくて、4時間ぐらいかかっていたこともありました。それでも当時の私は苦だと思っていなくて、遠足のような感覚で楽しんでいましたね。

――週末だけ東京でアイドルをやる生活だ。

橋本 そうですね。その一方で地方のイベントに参加させていただくこともあって。撮影OKなイベントも多かったので、たくさんきれいに撮っていただけたことを覚えています。

――チーム8はカメコ文化がさかんでしたよね。

橋本 静岡での一番最初のイベントの映像もYouTubeに残っていて、全然踊れていないんですよ。それを見ると成長したなと思えたり、後輩に笑い話として見せています。

――橋本さんは加入当初はメガネキャラでしたよね。

橋本 1年ぐらいメガネをかけていましたね。同期が47人いたし、東京とか北海道、沖縄のメンバーはフィーチャーされやすいですけど、富山は「どこだろう?」という段階から始まると思ったので、「富山のメガネのコ」で覚えてほしいなと。

――メガネを辞めたのはなぜ?

橋本 めちゃめちゃ曇っちゃうからです(笑)。劇場公演に出ると1曲目で曇っていました。撮影していただくときも、反射してしまうのでコンタクトにしようかなと。

――そんな理由だったんですね。そして活動は進んでいくけど、印象深かったことはありますか?

橋本 チーム8ツアーの富山公演(2018年3月4日)ですかね。オーバード・ホールという、観劇などで小さいころからお客さんとして行っていた場所で、ソロ曲を披露させていただいたんです。

そんな日が訪れたのが驚きでしたし、友達や家族を呼んで、自分がAKB48として活動していることを見てもらうことができてよかったなと。

――ずっとチーム8のメンバーとして活動していましたが、2017年12月にはチームKの兼任メンバーになることが発表されました。

橋本 発表のとき、高校の研修旅行でアメリカにいたんですよ。ホストファミリーの家で友達としゃべっていたら、「チームKだよ」という連絡がたくさん来て。何のことだろうと。

――サプライズでしたもんね。チームKと言われてどうでした?

橋本 チームKは体育会系で、すごく踊るイメージ。私はダンスが本当にできなかったので、もう無理だと思ったこともありました。でも仲の良かった横道侑里ちゃんもチームKと兼任になったので、ダンスを教えてもらいながら頑張ろうと。

――4年ぐらい在籍されていましたが、そこまでチームKのイメージはないかも......?

橋本 そうなんですよ。チームKは高校生のころ在籍していたんですが、学業を優先させていただいたから、あまり活動できてなくて。

ただ、チームKにいてよかったなと思うことは、当時『RESET』公演をやっていて、今もリバイバルしていることもあって、当時の先輩方の表現やダンスの細かい動きを若いメンバーに伝えられているなと。

――確かにそれは素敵ですね。そういえば先日、大学を卒業したこと発表していました。大学に行って、アイドルって大変では?

橋本 ちょうどコロナ禍だったので授業はリモートでしたし、AKB48の活動もあんまりなかったんです。

――そして最初にも話したターニングポイント『ドボン』が2020年にスタートしました。

橋本 私のファンの方は精鋭揃いで、「はるぴょんを絶対に1位にする」という気持ちでイベントに協力してくださるんです。

毎回素敵な順位をいただけるおかげで「AKB48にいていいんだ」「居場所が見つかった」と思えたり、色んな方から「『ドボン』といえばはるぴょんだよね」と言っていただけたりすることが、嬉しいです。(後編に続く)

【連載「なんで令和にAKB48?」は木曜日更新。彼女の良さでもあるアイドルパフォーマンスについての考えや、今後の目標などを語る後編は11月20日公開!】

●AKB48
2005年(平成17年)12月8日、秋葉原のAKB48劇場で1期生お披露目。
2022年(令和4年)5月4日に17期生、2023年4月9日に18期生、2024年3月17日に19期生、12月20日に20期生がデビュー。
OGメンバーも多数登場する「AKB48 20th Year Live Tour 2025 in 日本武道館 20周年記念コンサート」が12月4日〜7日開催!!
最新情報は公式ホームページをチェック

●橋本陽菜(はしもと・はるな)
2000年5月25日生まれ、富山県出身
身長150cm
Nickname=はるpyon
公式X【@harupyon_0525】
公式Instagram【@48pyonz_toyama】

取材・文/関根弘康 撮影/持田薫

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