
ついに実写日本映画の興行収入記録1位を塗り替えた『国宝』。俳優、吉沢亮演じる喜久雄と横浜流星演じる俊介が歌舞伎の世界で、血筋と芸のあいだで揺れ動く物語を描く。メガホンをとったのは、過去に『フラガール』や『怒り』を手がけた李相日監督。11月24日には米ニューヨークでも上映され、今後『アカデミー賞』にノミネートされるかが注目されている。
このほど閉幕した『第38回東京国際映画祭』の一環として、そんな李監督と巨匠、山田洋次監督のトークイベントが開かれた。山田監督は始終、「『国宝』の話が聞きたいんだ」と、李監督を質問攻め。『国宝』の面白さの構造分析をはじめ、吉沢亮と横浜流星がいかに歌舞伎の演目の稽古に挑んだかといった話題から、役者越しに舞台を映す撮影方法の意味合いまで、横断的に掘り下げていった。本稿では、その内容を詳報する。
同イベントは、国際交流基金との共催企画「交流ラウンジ」で、LEXUS MEETS(東京ミッドタウン日比谷1F)で行われた。司会は映画評論家の石飛徳樹が務めた。
2025年6月に公開された『国宝』は、8月にはメガヒットの目安となる興収100億円を突破。11月25日には、初日から24日までの公開172日間で興収173億7739万4500円、動員1231万1553人を記録したというニュースが入った。これは、2003年の『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』が記録した173億5000万円の実写日本映画興収記録1位を、22年ぶりに塗り替えたということだ。
そんなニュースがまだ未来であった秋の日であったが、大ヒットとなった『国宝』について「いまの気持ち」を問われた李監督は「他人事のように聞こえてしまいます」と答えつつ、こう続けた。
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李相日(り さんいる)
1974年1月6日生まれ、新潟県出身。『フラガール』(2006年)で第80回キネマ旬報ベストテン・邦画第1位や第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞など獲得。『悪人』(2010年)では第65回毎日映画コンクールの日本映画大賞をはじめとする数多くの映画賞に輝いた。(写真:©2025 TIFF)
山田監督は、「今日のトークのテーマは『国宝』ですからね」と念押ししたのち、同作の感想について語った。
山田:この映画の劇的な構造、つまり人間の配置としては、二人の男の話が柱になっているよね。その場合は女性が介在し、三角関係のような構造になることが多いけれども、この映画はそれとは別のものが二人のあいだにある。それは何かというと、血と芸の問題。このどうしようもない、不条理なものを、お互いに苦しみながら乗り越えようとしている。そこが非常に素晴らしいところだと思うし、そんな難しいことをきちんと表現していることに驚きました。
山田洋次(やまだ ようじ)
1931年生まれ、大阪府出身。1954年に助監督として松竹に入社し、7年後には監督デビュー。『男はつらいよ』シリーズは1996年までに48作が公開。1977年公開の映画『幸福の黄色いハンカチ』は、『第1回日本アカデミー賞』最優秀監督賞のほか6部門で受賞を果たす。2012年に文化勲章、2014年には東京都の名誉都民に選ばれる。(写真:©2025 TIFF)
山田:そういう構造は最初から考えていたんですか?
李: それに関しては、原作者である吉田修一さんのアイデアです。僕もかつて、歌舞伎の女形を題材に映画を撮りたいと思い始めた時期があったんですが、そのときはこの構造ではなかったんですね。
あの二人によって「血筋と芸」という対立軸が出来て、そのなかにたくさん不条理が詰まっていて、非常に面白いと僕は思いました。ただ、それをどう着地させるか、どう展開させていくかということを考えたとき、よくあるのは、例えば『アマデウス』(1984年)だと嫉妬であったり、足の引っ張り合いだったりがある。しかし山田さんがおっしゃったように、真ん中に芸がある以上、嫉妬よりも、お互いが芸に身を捧げて、苦しみを分かち合い……より二人をつなぎ合わせていく、そういった美しさが終盤に訪れてほしいなとは思っていましたね。
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李: お互いの人生が本当にシーソーのように、どちらかが上昇してるときは、どちらかが地べたを這っている、というのが、入れ替わりのように訪れます。二人が自分たちだけではどうしようもできない人生のしがらみに絡み取られて...…最終的には二人が同じ空気を共有していく。それが、さらにあの女形というミステリアスな存在で表現されることで、何か芸の高み、美しさが強調されるのかなと。
山田: どうしようもない問題で苦しむドラマというあたりがね、この映画がそんじょそこらの映画とは違う、何かすごい重たい芯を持ってる理由じゃないかと僕は思うんだけれども。
山田:一つ、その二人(編注:吉沢亮と横浜流星)を女形にすることは簡単にできるわけではないと思うので、よくあんなにできたなと思うんだけど、苦労はあったんですか。
李: それはもう本当に、二人が根気よく(稽古をしました)。教えてくれる方との巡り合わせも良かったと思いますね。
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李:撮影期間中の撮影がない日は必ず稽古をするので、トータルで約1年半ですね。
山田: 1年半? やっぱり、それだけかけているんだ。でも、別の言い方をすれば、1年半でできちゃうんだって……。現役の女形が悔しがっちゃうよね、そりゃね。
李: もちろん演目を絞りに絞っていますからね。でも、それこそ最初は何もできないので、いわゆる日本舞踊のすり足から——赤ちゃんのよちよち歩きから始めて。最初の数か月は、僕も見学に行くのですが、ちょっと頭痛がしてきますよね(笑)。本当にできるのかなって。
山田: 大変だったんだね、二人とも。
李: しかし、そういう意味では非常にストイックな二人ですね。あとやはり、二人というのが良かったのかもしれません。おそらく相手を見ると、自分が負けてるように感じるし、あっちのほうが進んでいる、というふうに感じたかもしれない。
山田: いい意味での競争になったんだね。 なるほどね。それは面白いことだったんだな、二人にとってね。
李: そうですね。だから今回、稽古に注力してもらったので、芝居の本読みやリハーサルに、いつもの自分のスタイルよりは時間が取れなかったんです。でも、稽古でお互いが切磋琢磨していく過程が、そのまま何か、役の関係性になっていました。
山田: 1年半もかけたのは、すごい情熱だ。普通、スターの人はそういうの持ってないはずなんだけどね(笑)。すごいね。
李: 一番忙しい時期にね(笑)。
山田:この映画と李監督への、なんていうのかな、尊敬の念があったんだろうな。
李:タイミングといいますか、吉沢くんも吉沢くんで、人気、実力ともに順調に育っているなかで、もう一つ獲得したいという気持ちもあったのではないでしょうか。大河ドラマには出ていましたが、映画のほうで何か記憶に残るものをやりたいという意欲を強く持っていたのでは。
山田: これだと思ったんだな。
李: じつは撮影の5、6年前から彼にオファーしていたんです。表向きには「君がやらないと、この映画は存在しない」というふうに言ったことになっているんですけど(笑)。近しいことは言ったかもしれませんが。
司会:観客に「2時間55分を長く感じなかった」と言わしめていますね。このテクニックっていうのは一体どういうことなんでしょうか。
山田:もっと長かったって、本当ですか?
李: 撮影素材をつなげたときは、4時間半ですね。
山田: 4時間半!
李: 歌舞伎のシーンも倍ぐらいありましたから。毎回、大概は1時間以上はオーバーするんですよね。
山田: いつも? あなたの場合そうかもしれないね。
李: 山田さんはある程度、現場で取捨選択されるんですか?
山田:僕は松竹に入って、要するに若い頃、撮影所で育っているわけですね。この松竹の撮影所に撮影のやり方があって、小津(安二郎)さんはそういうスタイルなんだけども、撮影のときから尺も決めていくという。そうすると全部トータルすると8000〜9000(秒)とかになる。最初からそういう撮り方になっちゃってんのね。
黒澤(明)さんの撮り方はそういうのではなくて、そのシーンに納得いくまで回し続けるから、めちゃくちゃ長くなることもある。李さんもそういう方なんでしょうね、きっと。それでもすごいな、4時間半。
©2025 TIFF
司会:映画として表現することに拘った理由は?
李: スクリーンで観せたかったんです。たしかにあの原作を忠実に映像化すると、8時間〜10時間で見せることはできると思うんですけど、スクリーンで見せるときに何を選択するかということですよね。特にこの構造——原作と違うのは、それぞれの顛末を見せないで展開させるということを一つルールに決めていました。
特に後半に行けば行くほど、「あの人はどうなったか」とか、「この関係性は10年経ってどうなったか」という、その帰結を見せずに過ぎたものとして、喜久雄と俊介の人生を中心にどんどん進んでいく。削られた……というか、見えない部分は観客の皆さんが埋めていくということを前提に、そういったダイナミズムをつくろうと思ってました。
山田: それはね、シリーズにしてつくるようなものじゃない。それは李くんの仕事じゃないから。つまり、観客はストーリーを見てるわけじゃないのね。ドラマを見てるわけでね。いつもああいう……時系列も激しくフラッシュバックしたり、飛ばしていったり、というスタイルですか?
李: ああいうのは『怒り』ぐらいからですね。『怒り』も、(舞台は)三か所で、時系列も混ざっていて。あの作品のときにそういった手法を積極的に使うようになりました。今回(『国宝』)も、その応用編みたいな感じです。
山田: 驚いたのは、ちゃんと観客がついていけてるわけよね。かなり特殊なことをやっている。でも、ちゃんとそれがね、納得がいけるやり方になっていたことには、とても感心したなあ。
李: ありがとうございます……!
山田: 最後にほら、娘がキャメラマンになって現れるでしょう。「私、娘です」と名乗ったときに、そこから、ばん! と回想が入る。原作読んでも書いていなかったと思うのだけど、あれは……?
李: 原作には(その回想は)書いていないです。
山田: 書いてないでしょう。それは編集で考えていくわけ?
李: そうですね。
山田: あれ、見事でしたね。
トークでは、『第38回東京国際映画祭』で特別上映された山田洋次監督の最新作『TOKYOタクシー』の話題に移り、山田監督が主演の木村拓哉について「自分の出番がなくても終わりまでいつもちゃんとセットにいるとか、真面目だなと思いましたね、彼はね」と評する場面も。しばらくすると「話、戻っていい? 僕は『国宝』の話をしたいんだ」と山田監督が再び李監督に質問を投げかけた。次に問いかけたのは、劇中の歌舞伎の演目のシーンでの、カメラの位置の話だ。
山田:『国宝』では歌舞伎を演じるさまざまなシーンがあるんだけども、舞台の撮り方がね、斬新というわけじゃなくて、普通は撮らないという撮り方をしてるわけ。それはどういうことか。基本的に約束事があって、観客がこっち(=画面に映らないほう)で、舞台がこっち(=画面に映るほう)。ちょっと落ち着かないのね。やっぱり、観客の目線から離れちゃいけないという……黒澤明監督がしつこく言ってたことがね、「絶対、逆側に回っちゃいけないんだ」と。
黒澤さんはオペラが好きでね、公演が始まると、テレビの前に座ってじっと見てるんだってさ。そうするとNHKかな、カメラがだんだんこっち(=舞台側)来ちゃうわけ。それで黒澤さんが怒り出すんだって。「駄目なんだ」「何やってんだ」っつって「NHKに電話しろ」って言うんだね。でも「いま電話しても、これビデオ(録画)だから」って。「それでもいいから」って、しょうがないから電話しても「できない」ですよね。それで「何やってんだ馬鹿野郎」って。どうにもならないですよね(笑)。
その話は別としても、『国宝』の場合は、役者の側から役者の気持ちを捉えながら撮るんだから、当然こっち側(=カメラが観客席を映している側)に来ちゃってるわけね。で、役者越しに観客が見えていて、そして、その演じる俳優の感情まで観客に伝えるという、そういうことをやってるから、ちょっと珍しいわけね。だから、観客にとっても面白かったんじゃないのかな?
それともう一つは、劇場の撮影。(歌舞伎座の)客席が3階まであった。あれってどうしたんだろうって、不思議でしょうがなかったね。で、2〜3階、あれはCGなんですね。
李: 終盤の一番大きい劇場の2〜3階は全部CGです。1階だけ、ちょっとセットで。その周りにブルーバックを壁に貼って、それである程度は。しかし役者とかぶると、難しかったですね。
山田:舞台もちゃんとつくって?
李:舞台もつくって。天井はつくれなかったんですけど、天井との接点ぐらいまではつくって……。
山田:それで、客席の椅子がザーッとね! 何脚くらい持ってきているんですか?
李: 500は軽く超えてますね。
山田: 500の椅子を並べて! よくそんな撮影できましたね。
李: 本当に運が良かったですね。
Q&Aでは、山田監督と李監督に対して、日本映画の「グローバルなポテンシャル」を問う質問が飛び出した。日本のアニメ映画が世界中で人気を誇るなかで、実写の日本映画の潜在的能力についてどのように見ているか、という問いだった。
©2025 TIFF
李:幸いなことに『国宝』が『アカデミー賞』の候補、日本代表にさせていただいたので、そのことをもってアメリカで、いわゆるキャンペーンをするんです。そこでどんな反応があるのかは一つ、楽しみにしていまして。
というのは、やはり賞に絡む作品というのは、非常に作家性の強い作品が多いという傾向のなかで、本作はエンターテイメントと作家性の両方混ぜ合わせたような日本映画であり、それがどういった受け止め方をされるか。
アニメはすでに一歩先に、エンタメとして認知されています。山田監督が本日、何度もおっしゃった「構造」という意味でも、アニメの構造をちゃんと分解して、実写の我々が取り入れるということも考えなければいけないと意識しているんです。なので、いますぐの展望はわからないんですけど、何か見極めていきたいなと思っている最中ですね。
山田: 日本製のアニメーションがいま、大変に世界的な人気があって、とても大きい輸出金額になっていますね。それに対して日本の(実写)映画は、じつはほとんど取るに足らない金額しか売れてないわけですよね。それは僕たち日本の映画人にとっては、とても悔しいし悲しいことです。
僕はいまから60〜70年前、松竹に入ったんだけども、その頃は日本の映画が大変な勢いで海外から評価されていました。黒澤さんは『七人の侍』、小津さんは『東京物語』、あるいは溝口(健二)さん……そういう世界の映画史に残る傑作は、その時代に生まれているわけなんですよね。で、その当時は韓国や中国では映画はまだまだこれからという時代であった。だから日本はアジアの映画の先進国であったわけなんですけれども、いまの韓国や中国の映画の力強い躍進ぶりを見ていると、それを脇で見てるのが、本当に残念でしょうがない。
何とかしなきゃいけない。それは、僕たちの力だけじゃなくて、政府もそのことに真剣に目を向けなきゃいけないんじゃないかと。韓国がなぜあんな素晴らしい力を発揮してるかっていうと、韓国政府が大きく支援してるからなんですよね。だから僕は、国の方針として、映画を支援するというふうになってほしい。そういうきっかけが、『東京国際映画祭』から生まれればいいなと心から思っています。

