ドラマ『できても、できなくても』(C)「できても、できなくても」製作委員会 多様な生き方が尊重される現代。それでもなお、結婚や出産を“普通の幸せ”と定義づける空気は日本社会に根深く存在する。不妊症の女性が主人公のドラマ『できても、できなくても』(テレビ東京)が多くの視聴者の心を揺さぶるのも、“自分の幸せ”と“普通”の狭間で苦しむ人が多いからだろう。ドラマプロデューサー・吉川肇氏と、シーモアコミックスの原作マンガを手掛けた朝日奈ミカ先生それぞれに、不妊というデリケートなテーマに踏み込んだ思いを聞いた。
【漫画】「女として失格」…婚約者も職も失った不妊症女性の運命は?■「気持ちが痛いほどわかる」同じ悩み抱える人から反響、センシティブなテーマ扱う覚悟
宇垣美里が連ドラ単独初主演、『NHK紅白歌合戦』初出場が決まったダンスボーカルグループ、M!LKのメンバー・山中柔太朗らが出演するドラマ『できても、できなくても』が佳境を迎え、SNSには主人公のままならない恋愛の行方の考察や共感の投稿がますます増えている。
中でも「不妊症の自分には相手を幸せにできない」という理由から、主人公が恋愛にブレーキをかけてしまうのが「リアルで切ない」という投稿は多い。そう、本作を貫く重要なテーマは“不妊と恋愛”だ。
宇垣が演じる主人公・桃生翠(ものう・すい)は、結婚を控えて受けたブライダルチェックで不妊症が発覚した32歳の女性。同じ会社に勤める恋人からは「子どもを産めない女とは結婚できない」と婚約破棄され、その噂が職場にも広まったことで退職を余儀なくされる。職も婚約者も失ったばかりか、「女として失格」という心をえぐる言葉に絶望のどん底に落とされた主人公が、周囲の人々との交流を通して“普通の幸せ”の呪縛から解き放たれ、“自分なりの幸せ”を模索していく再生のストーリー。
中でも彼女を陰日向で支える年下男性・月留真央(山中)にキュンとする視聴者は多く、「2人を応援する声をたくさんいただいています。特に不妊症の悩みを抱える方からの、翠の気持ちが痛いほどわかるから幸せになってほしいという声が強く印象に残っています」と、その反響をドラマプロデューサー・吉川肇氏は語る。
“不妊”というセンシティブなテーマはSNSやネットで議論を呼びがちな一方で、これまでドラマでは扱われることはほとんどなかった。だが、「テレビの存在意義は見えないものを見えるようにすること」と吉川氏は挑む意義を語っており、「医療現場で働く方や不妊治療を経験した方などに取材を重ね、通常のドラマ以上に伝え方、見せ方を熟考してきた」と真摯な制作の舞台裏を明かす。
何よりもドラマ化の決め手となったのは「原作コミックの朝日奈ミカ先生ご自身が不妊に苦しんだ経験をもとに描かれた作品であること。本作の最大の魅力である言葉の強さは、ドラマにも反映させていただいた」という。朝日奈先生は自身の経験をなぜ、そしてどのように本作に込めたのか。
――10月からドラマがスタートしました。ドラマ化をお聞きになったときは、どんなお気持ちでしたか? また、実際にご覧になってどう感じられましたか?
「とても嬉しく光栄に思いました。1 人で描く漫画とは違って、ドラマはたくさんの人たちの創造力を得てより深みが増して、素晴らしいものになっていて感動しました」
――先生はXで「神キャスティング」とおっしゃっていました。宇垣美里さんや山中柔太朗さんら素敵な出演陣がキャラクターを演じていることについて、感じたことを教えてください。
「皆さんの魅力はもとより、役柄への解像度の高さに驚かされました。ほんの些細な言い方や目の動きで、こんなにも個々の心情表現が可能になるのかと。毎回勉強させていただいています」
――作品について伺います。冒頭から主人公が不妊症であることが描かれますが、センシティブな内容を取り上げようと考えたのは、なにか理由やきっかけがあったのでしょうか?
「私自身不妊治療を経験し、『私の幸せってなんだろう?』とずっと考えていました。いつか自分なりの答えを漫画にしたいと思っていたのが、今回の作品に繋がりました」
――ネットやSNSでも、不妊症や子どもの有無、家族の形は様々な議論を呼びがちです。そこに踏み込むことに怖さや躊躇いはなかったのでしょうか? それでも取り上げた理由とは?
「まず自分が不妊治療を経験したことが大きかったと思います。今は価値観の過渡期だと思いますが…いまだ旧来の考えを捨てきれず、いわゆる“普通”から外れてしまうことへのつらさ、惨めさ、後ろめたさを、私も嫌というほど味わいました。それは子どもの有無の問題に関わらず、現代ではいろんな局面であり得ることだとも思います。そんな中で生きていくために、自分を守って立ち上がるために、描くことに不安や躊躇いはなかったです」
――不妊であることを抱える女性の心情、周りの反応(序盤)など、とてもつらいものがありました。描く際に、同じような経験をした方に取材されたのでしょうか? 先生ご自身でも、そうした境遇に考えるところがあったのでしょうか?
「不妊治療をしていた当時、自分の助けになる言葉が少しでもないかと、藁にもすがる思いでたくさんの書籍やブログを読み漁っていました。その時の蓄積があったと思います。また序盤で翠を身体的なことで執拗に責める言葉は、私が実際に誰かに言われたことではなく、どん底にいた時に自分自身にぶつけていた言葉です。あの頃は絶えず自責することで、治療がうまくいかない罪悪感を誤魔化していました。そして実際読んだ書籍やブログでも、そんな人たちがたくさんいました。誰のせいでもない、何も悪くないのに、皆、自分自身を責めている。それがとてもつらくて、印象的でした」
――翠役の宇垣さんもインタビューで、「私も未婚で出産を経験していません。そして私も、ただそれだけで、時折責められているような気持ちになってしまうことがあります」と語っていました。昔よりは女性の見られ方が変わったとはいえ、同じような思いを抱く女性も多いと思います。こうした社会背景は、本作を描くうえで影響していますか?
「先ほども述べた通り、今は価値観の過渡期だと思います。昔よりは女性の声が届きやすくなって、確かに多様な生き方ができるようにはなってきているとはいえ、今の30代、40代くらいの女性はまだまだ旧態依然とした価値観から完全に解放されてはいないのでは、と思います。まさに翠がその世代です。これから先の社会が、皆が息がしやすいような世界になって欲しいと願っています」
――キャラクターについて伺います。翠は「普通のことが普通にできるとなぜか信じていた」「普通のことができない私の未来はどうなる?」「分不相応な望み」など、考えてしまいます。これらは不妊のみならず、人生がままならないと感じる女性に共通する思いでもあるのかもしれません。このリアルな心情はどのように描いていったのでしょうか?
「普通のことができないというのは、大多数の側にいて得られる安心感がなくなるということです。作中にも広瀬のセリフで『サンプル数が少ない例を辿るのは怖い』というものがありますが、ただでさえ女性がひとりで生きていくためには困難が多い。だからこそ少しでも普通側にいて安心したいという気持ちはきっと誰でもあるんじゃないかと思いますし、私ももちろんそうでした。なので常に自問自答しながら描いていました」
――とくに、自分では好きな人を幸せにできないと感じてしまう思い、出産を控えた妹への複雑な思いと愛情などは心に響きました。読者からも反響は大きかったのではないでしょうか?
「自分を責めてしまっている人たちに、少しでも共感してもらえたらいいな、と思いながら描いていました。私も治療中は周りの共感や言葉に本当に、何度も何度も慰められていたので…。姉妹の絆も大切に描いていたので、そのあたたかさが伝わっていたら嬉しいです」
――また、真央や広瀬、エリカ、水乃もそれぞれ、“普通”ではない悩みや過去を抱え、自分を“欠陥品”と言う言葉まで出てきます。周囲のキャラクターたちをこのように描いた理由は?
「一見普通に、順風満帆に見える人たちにだって、それぞれの価値観と生きづらさが必ずあります。だからこそどこかの部分で共感しあえるし、寄り添って支え合うことができる。それが、傷ついている翠に伝わればいいなと思って描いていました」
――一方、元カレや後輩女性がどうしようもない(笑)人たちですが、意外に描いていて楽しいのではないかな?とも思いましたがいかがですか?
「ここまでわかりやすい悪役を描いたことがなかったので担当さんに『もっと!もっと悪くしましょう!』と励まされて(笑)。始めは戸惑いながら描いていましたが、彼らにも彼らなりの背景があることに思い至ると、なかなか奥深いキャラに感じられるようになりました」
――また、恋愛関係が絡み合っていくところも見どころです。読者も「どっちとくっついた方が幸せになれるのか」、「みんな幸せになってほしい」とヤキモキしているようですが、描いていていかがでしたか?
「そうですね、ぜひ最後までヤキモキしていただけたら、と思います(笑)。私自身は物語のラストは迷わず最初から決めていましたので、そこに至るまでのキャラたちの思考だったり背景だったりを考えるのは楽しい作業でした」
――真央や広瀬の言葉で翠は前向きになれたり、気づきになることも多いです。こうした言葉をどのように生み出していっているのでしょうか? 先生自身もなにかご経験されて感じた言葉なのでしょうか?
「自分の経験から得た気づきももちろんありますが、家族や友人からもらったもののほうが多いです。もちろんそのまま使ってはいませんが(笑) それらは私の一部になっていますから。つらい時に救われた言葉というのは、いつまでも胸の中に宝物のように残るので、物語の中の言葉たちもその中から生まれたんだと思います」
――読んでいくうちに、「普通とは?」「自分は何を選択するのか?」と考える読者も多そうです。先生はこのあたりについて、どのようなことを伝えたかったのでしょうか? 作品を読めば伝わるのですが、未読の人に向けて言葉で少し教えていただけたら。
「今は普通かどうかの判定も難しい時代だと思います。幸せの定義も多種多様で、選択肢もたくさんある。だからこそ、自分で選ぶこと、選んだことに責任を持つことが大事だと思います。(悪役ふたりは置いておいて)そのためにも、キャラ達には誠実であって欲しいと願って描いていました。自分に対しても他者に対しても誠実であることは、自分の中に揺るぎない芯を持っておくことに繋がると思います。その芯があれば、どんな選択であれ、後悔なく進めるんじゃないかなと思います」
――『できても、できなくても』は当初、“子どもが”かと思いましたが、読了後にはもっと広い意味なのかなと思いました。タイトルに込めた思いを教えてください。
「不妊はあくまでこの物語のテーマのひとつだと私は思っています。努力した全員が報われる世界が一 番幸せだけど、残念ながらそうじゃない。だけど、幸せになろうと努力することは決して無駄じゃないし、人として意義のあることだと思っています」
――最後に、ドラマ視聴者、ドラマでコミックに興味を持った方、読者にメッセージをお願いします。
「ドラマを観てくださってありがとうございます! ドラマで興味を持っていただいた方も、ぜひ原作でさらに補完していただいて、もっと楽しんでもらえたら嬉しいです」
ドラマのプロデューサーは「100人いれば100通りの生き方があって、そこに白も黒もない。正解などないからこそ、人が生きるということは美しいと感じていただける作品づくりを目指したい」と、多様な生き方にエールを送るドラマ制作のモットーを語っている。
不妊症の女性が主人公だけに、『できても、できなくても』というタイトルには「子どもが」や「妊娠が」といった枕詞が見え隠れするかもしれない。しかし、不妊はあくまで本作の(重要ではあるが)要素の1つに過ぎないことが、ドラマやコミックを最後まで見ればわかるはず。特に“普通”という呪縛に囚われて苦しんでいる人には、自分の生き方を肯定する希望に満ちた読後感をぜひ味わってみてほしい。
(文:児玉澄子)