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1980年(昭55)に亡くなった初代林家三平さんの妻、海老名香葉子さんが老衰のため24日に死去したことが29日、分かった。92歳。海老名さんが堂守を務めていたねぎし三平堂の公式サイトで発表された。サイトに掲載された訃報によると、12月24日午後8時38分、老衰のため死去した。故人の遺言により、29日に家族葬を執り行った。来年1月9日に東京・東叡山寛永寺でお別れの式を行うという。
初代三平さんの弟子で、林家一門最年長の漫談家林家ペー(84)が日刊スポーツの取材に応じ、亡き「おかみさん」をしのんだ。「ついさっき、初めて聞きました。家族葬ということで、水くさい。本当に家族だけでやったんですね。心が落ち着きません。今年9月(19日)の自宅マンションの火事でも、いろいろお世話になりました」。
今月初めには東京・根岸の自宅に、お歳暮を持って行った。「いろいろ話したけど、もっと長生きすると思っていました。92歳は大往生と言うけれど、もっと長生きしてほしかった。昔話をして『お互いに100歳まで生きましょう』と誓い合った。『おかみさんの方が長生きすると思うから、僕の葬儀委員長をお願いします』と頼んでいたのに」と振り返った。
ペーは1964年(昭39)に初代三平さんに入門。「こん平さんが亡くなって、僕が一番古い、付き合いの長い弟子になってしまいました。おかみさんが31歳の時に弟子入りして、61年間もお世話になりました。本当にいろいろな思い出があります。寂しくなります」。
人間が大好きで面倒見のいい香葉子さんのところには、人が集まった。「僕が入門した時は弟子は4人だったのに、おかみさんは人間が好きで、今は一門の集まりがあると50人も集まる。面倒見が良くて、落語家に子供が生まれると必ずお祝いを届けていました。落語家のおかみさん会も作って、若い人たちを助けていました」と話した。
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1945年(昭20)3月10日の東京大空襲で家族6人、全てを失った香葉子さんは平和への思いも強かった。「手を合わせる場所がほしい」と、2005年、東京・上野公園の母子像と寛永寺現龍院墓地前の慰霊碑を建立して、毎年3月9日に慰霊と惨禍を語り継ぐ「時忘れじの集い」を開いてきた。「戦争のない世の中を祈っていた。優しい人でした。本当に長い間、ありがとうございました」と話した。
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