『マツダ717C(ル・マン/1983年)』マツダがグループC戦線に投入した“そら豆”【忘れがたき銘車たち】

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2026年02月25日 17:30  AUTOSPORT web

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1983年のル・マン24時間レースを戦ったマツダ717Cの61号車。ジェフ・アラン、スティーブ・ソーパー、ジェームス・ウィーバーがドライブした
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1983年のル・マン24時間レースなどを戦ったグループCジュニアマシンの『マツダ717C』です。

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 1979年。のちのマツダスピードであるマツダオート東京は、SA22型サバンナRX-7をベースにシルエットフォーミュラ車両を仕立て、ル・マン24時間レースに挑んだ。このプロジェクトは初年度こそ予選不通過に終わったものの、1982年には初の完走を達成。一定の成果を得ていた。

 マツダは1983年、ル・マン24時間レースをはじめとするスポーツカーレースがグループC規定となっていく潮流を受け、ネクストステップとしてグループCカーによるル・マン挑戦を画策した。このとき製作されたのが今回紹介する『マツダ717C』という一台である。

 717Cは、正確にはグループCジュニアという規定に属する車両だ。Cジュニアは最低重量800kg、燃料タンク容量100リッターというグループC規定に対して、最低重量700kg、燃料タンク容量55リッターが定められた小規模コンストラクター向けの車両規定だった。

 マツダは最高出力約300馬力というグループCジュニアに適した出力の13B型ロータリーエンジンを717Cに使用する目的で同カテゴリーへの出場を選んだ経緯もあった。なお、この約300馬力はグループCカーであるポルシェ956の約半分の出力だ。

 製作にあたって、マツダはRX-7ベースのル・マンカー以来、ボディデザインを担当してきたムーンクラフトの由良拓也にマシン製作を依頼。依頼を受けた由良は、シャシー製作を宮坂宏に託して717Cの開発がスタートした。

 由良は最高速の追求をテーマにボディを製作。のちに“そら豆”と称されたそのボディフォルムは、オーバーハングが短く切り立ったフロントノーズとロングテール、さらにリヤスパッツを備え、徹底的に空気抵抗を抑えたものになっていた。

 また、宮坂設計のシャシーはツインチューブモノコックにサブフレームを組み合わせるという、当時としては保守的なものであったが、これは絶対に完走するという目標を設定した結果、生まれたものである。そのため、車重もロータリーエンジン特有の振動に対応するためにマウント類を強化していた影響で規定最低重量より重く仕上がっていた。

 こうして誕生した717Cだったものの、空力にもシャシーにもさまざまな問題が発生。特に空力を追求したボディはリフトが発生してしまい、ドライブすることを難しくしていた。

 しかし、それでも1983年のル・マンへ出走した2台はともに完走を果たし、加えて片山義美、寺田陽次郎、従野孝司が搭乗した60号車は、総合12位でCジュニアクラス優勝を達成したのだった。

 そして、717Cはさらに洗練されていき、727C、737Cへと進化を遂げていくことになるのである。

[オートスポーツweb 2026年02月25日]

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