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大阪から世界へと飛躍した企業の筆頭といえば、やはりパナソニック(旧・松下電器産業)を置いて他にないでしょう。
1918年(大正7年)、当時23歳の松下幸之助氏が、妻と義弟の3人で大阪市で「松下電気器具製作所」を創業したのが始まりです。
松下家は商売が失敗して一度破産しており、松下氏には学歴も資金もありませんでしたが、彼には運と商才がありました。尋常小学校を中退して奉公に出されていたときに出会ったのがサントリーの創業者・鳥井信治郎でした。
若くして経営の師匠を見つけたという奇跡。そして、奉公時代にタバコを買いに行かされた際、いちいち買いに出ずにまとめ買いしておけば、時間も値段も節約できると気づき、小銭を稼ぐなど、商売のセンスを磨きました。
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その後、大阪市の路面電車を見て感動し、電気にかかわる仕事をしようと大阪電灯(現在の関西電力)に入社。そこで考案した電球ソケットで商売をしようと、一念発起して起業したのでした。
起業して最初に大ヒットさせたのが松下氏の代名詞ともいえる「二股ソケット」でした。当時の一般家庭における電気の普及はまだ始まったばかりで、家の中には電球を差し込むためのソケットが一つしかないのが当たり前でした。夜に電灯を灯せば、それだけでソケットは埋まってしまい、普及し始めていたアイロンなど他の電化製品を使うことができないという不便がありました。
現代風に言えば「コンセントが足りない」という状況です。
ここで松下氏が出した答えは、一つしかないなら二つに増やせばいいという、極めてシンプルな解決策でした。実は、当時すでにアメリカや、東京、京都では「二股ソケット」が販売されていました。では、なぜ後進組にもかかわらず、「松下氏といえば二股ソケット」というほどヒットさせることができたかというと、これまた理由はシンプルで、他社製品よりも使いやすく壊れにくく、しかも3割引きから半額にしたからです。
言葉にすれば簡単ですが、普通ならそんなことはできません。それを可能にしたのが松下氏の「既製品を使う」というアイデアでした。松下氏は、一流メーカーの古い電球のねじ込み部分を再利用し、無理難題を実現したのです。
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こうして売り出された「二灯用差し込みプラグ(通称ニサシ)」を延長コードでつなぎ、手元で電球を使えるようにする「アタッチメントプラグ(通称アタチン)」は人々の生活を変えました。松下氏が「経営の神様」と呼ばれているのは、こうした個別のヒット商品以上に、彼が打ち立てた壮大な経営哲学にあります。
その代表が「水道哲学」です。ある時、松下氏は道端で通行人が水道の蛇口をひねって水を飲んでいる姿を見て、衝撃を受けます。水は貴重な資源なのに、誰でも安価に、そして自由に手に入れることができる。それと同じように、産業人の使命は、生活に必要な物資を水道水のように安く大量に供給し、この世から貧困をなくして文化的な生活を実現することにあると、松下氏は確信したのです。
これは単なる利益の追求ではなく、企業の存在意義そのものを社会貢献とした斬新な考え方でした。この水道哲学があったからこそ、パナソニックは安価で高品質な家電製品を次々と世に送り出し、日本の生活水準を底上げする原動力となったのです。
松下氏の思想は、現代のビジネスシーンにおいて改めて重要な考え方とみなされています。モノがあふれ、価値観が多様化した現代において、企業がなぜ存在するのか、誰のために何をつくるのかという問いは、かつてないほど重要になっており、その問いに答えられない企業は必要とされなくなっていきます。
松下氏は常に「まず、何のためにこの事業を行うのかを明確にしなさい」と説きました。技術革新がどれほど進もうとも、その中心には必ず「人間」がいる。その人間を幸せにするために技術をどう使うかという問いに答え続けることこそが、パナソニックが大阪から世界へ発信し続けているメッセージなのです。
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(大野 雄斗、在阪テレビ局の報道記者)
※この記事は、書籍『大阪ビジネス』(大野雄斗/クロスメディア・パブリッシング)に、編集を加えて転載したものです。なお、文中の内容・肩書などは全て出版当時のものです。
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