終戦直後の神奈川県・厚木海軍航空隊に放置された「零戦」(手前)など旧日本海軍の戦闘機=撮影日不明(米国立公文書館提供) 戦闘機やボートなどを使った旧日本軍の特別攻撃(特攻)は、終戦の約10カ月前の1944年10月に始まった。公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」(東京都千代田区)の集計では、陸・海軍を合わせて計6371人が戦死したとされる。
顕彰会によると、軍命令下の出撃や戦果の確認、戦死により階級が上がるといった条件を厳密に満たす特攻としては、44年10月25日にフィリピンのレイテ沖海戦で行われたのが最初の例という。その後は戦況の悪化に伴って出撃は増加し、45年8月15日まで続いた。
戦死者の数は各記録で異なる。顕彰会によると、軍命令下の出撃などの条件を満たすものとしては、陸軍2225人、海軍4146人の計6371人とされる。
45年3月に始まった沖縄戦では、戦闘機は約250キロの爆弾を装着して知覧(鹿児島県)や万世(同)、大刀洗(福岡県)など九州各地の飛行場から出撃した。日本の統治下にあった台湾から出撃したケースもあった。